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【暮らしのエッセイ】家を守っているという自負

わたしは家事が得意ではない。

そんなわたしが、ある日、
ああ、わたしはちゃんとこの家を守れている!家事やれてる!
と思えた瞬間があった。

家事と一言で言ってもやるべきことは多岐にわたる。
料理、洗濯、掃除、片付け、このあたりは代表的だが、ゴミ出し、洗剤の詰め替え、ストック品の購入・管理、電池交換、不用品の廃棄、書類の見直しなどなど。
家事って実はマルチタスクで、一つのことをしながら、次はあれ、次はあれってな感じでどんどん次を考えながら動いていく
マルチタスクは嫌いじゃないけど、これといって、得意とか好きとか思える家事はない

そして、家事がうまく回らないと、わたしは不機嫌になりがちだ。
先日も、ゴミ箱に使用済みの顔パックが落ちていて、ゴミ箱が水浸しになっており、イライラが爆発して夫と喧嘩になったばかり。
しかもその顔パックを捨てたのは他でもないわたしである。
ああなんて理不尽。夫ょ、ごめんなさい。
こんな短期な妻ですまん。。
そして謝るのはいつも夫なのでした。
そのおかげで我が家は平和を保てている。
感謝しかない。

さぁ、わたしが自分の家事に自負を感じた日の話である。
家事って達成感がない。毎日毎日同じように過ぎていく日常。

その日は夫が飲み会で、夜までワンオペ育児を乗り切った。
いつもなら夫が6時ごろ帰ってくるので、私のワンオペはそこまで!
夫が帰ってくると一気に気が抜ける。
でもこの日は娘を寝かしつけるまで気が抜けない。

夕方から徐々に緊張が始まる。
夫がうちでごはんを食べない日は、わたしは自分のために料理はしない。テキトーに納豆ごはんで済ませ、娘が遅めの昼寝に入った瞬間にお風呂に入る。
娘が起きないことを祈ってそーっと静かに。
娘が起きたらお風呂は途中でも切り上げる。
この日は運良くすべて洗い終わってから娘が起きた。
そこからは娘の離乳食、ワンコのごはん、使った食器を片付け、娘と遊んで、あっという間に20時。
そこから娘をお風呂に入れる。
わたしはすでに入っているので、娘を待たせずスムーズだ。
お風呂を出たら娘の保湿、着替え、眠たくなるようにBGMをかけ、部屋を暗くして、目をこすったら眠くなってきたサイン。
寝室へ移動し、おっぱいで寝落ちさせる。
ちなみに、このおっぱい寝落ちに失敗すると、そこから寝かせるのは1時間くらいかかるので、絶対に失敗したくない。
この日もなんとか寝てくれた。
ここでやっと一息つける。
目の前に娘がいないだけで開放感に満たされる。
そして、娘の散らかしたおもちゃを片付け、ワンコのおもちゃを片付け、簡単にプレイマットや床を拭いておく。
キッチンのシンクを洗って水滴を拭きあげる。しまえるものはしまって、キッチンリセットも終了。
キッチンからの景色を眺め、今日も無事に終わったと胸を撫で下ろす

そのとき、あぁわたしはこの家を守ってる、家事できてる、ちゃんと気持ちいい暮らしができてる、そんな達成感を唐突に味わった
これは今まで感じたことのない感覚だった。

なんというか壮観だった。美しい我が家
いや、見る人が見れば、全然整っていないし、あくまでわたしの感覚だ
しかも我が家はわりと狭く、壮観というのとは少し違うのかもしれない。
だけど、その光景にわたしは感動した
おさまるべきところにおさまったおもちゃたち、畳んで整った洗濯物、すっきりと片付いたダイニングテーブル。

この日から、我が家の家事を取り仕切る自負が生まれたように思う

半ば嫌々だった家事が、わたしの暮らしを豊かにする重要なエッセンスに昇格したのだ

この感覚がこのまま継続してくれるかどうかはわからない。

ただ確かなことは、家事の捉え方が変われば向き合い方も変わるということ。
余計なもののように感じていた家事の重要度があがったことで、今まであまり大事にしてこなかった暮らしに重きを置けるようになってきている気がする。

毎日家事をする母を見て、よくもまあ毎日毎日1人で続けられるなぁと思っていたが、もしかしたら母にとって、家事こそが拠りどころであり、そこには長年続けている分、わたしとは比べ物にならない自負があるのだろう
母に思いを馳せつつ、今日も一日無事に終わったことにほっとするのも束の間。さぁ寝よう。
あと2時間後には、また娘が起きるのだから。

同じことの繰り返しだが、温かい。
これが今のわたしの日常なのだ。

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