セカンドオピニオンで知った母の末期癌 | 介護体験記1
前回まででの投稿で自己紹介や趣味の紹介をして
私の人となりについて綴りました。
今回はようやく、その上で介護についてのお話を始めようと思います。
前回の投稿も気が向いたら目を通しつつ、
"こういう大学生が介護してたのか〜"と
ぼんやりと思ってくださるとうれしいです。
ちなみにこのヘッダーの写真は、
入院した母が外が見たいというので撮って送った夕焼けです。
介護の前兆
2023年8月、母が突然背中が痛いと仕事を休み始めました。
しばらく休んだりマッサージをしていれば治ると思い
休養していたのですが治らず、整形外科を受診することに。
受診した結果は、背骨が弱っているとのこと。
しばらく安静にしていれば治るとのことで
痛み止めと湿布をもらい受診終了。
当時は、大したことはなくてよかった、休むいい機会になった、くらいの考えで私も母も過ごしていました。
しかしいくら休んでも治りません。
1ヶ月休んでも治るどころか、日々動ける範囲が狭まっていきついに1人でトイレに行くことすらままならない状況に。
ここから私たちの意識は変わっていきました。
セカンドオピニオンの検討
私も母もおかしいと思い始めて、セカンドオピニオンを検討しました。
初めは近所で評判の良い整形外科に行こうと思っていました。
しかしそこに行く元気すらない。
私も母もは車を持っていなくて免許もなくて、
連れて行くことが難しかったのです。
タクシーも検討しましたが、移動に迷惑をかけることや、私1人で母を支えることへの不安感でなかなか動けなかったのです。そして躊躇しているうちに母は悪くなっていく一方でした。
ここまで来るとただの骨ではない気もする、
セカンドオピニオンが必要であると強く感じつつも
私の無力さと無知さで初動が遅れました。
7119番の活用
いよいよ救急車を呼ぶか検討し始めました。
そのために、救急車を呼ぶか判断してもらう7119番にまず電話をしました。
ちなみに7119番についての詳細は以下のとおりです。
こちらに電話した結果伝えられたことは以下のとおり。
・母は時間をかければ娘さん(私)の介助でトイレにいける
・娘さん(私)がついている
・旦那さん(私の父)もついている
・母の意識に問題はない
・よって救急車を呼ぶほどの緊急性はない
とのことです。
これを聞いて私は困惑と自信の無力さにどうしていいか分からなくなりました。
その混沌の中一晩母の隣で過ごしました。
ちなみにネタバレをすると、結果として救急車を呼びましたし呼んでよかったと思っていますので
もしみなさんが7119番に救急車を呼ぶ必要性がないと言われても救急車を呼ぼうとしている時は罪悪感や躊躇を捨てて呼んでほしい、と強く思います。
救急搬送
救急車を呼ぶか悩みに悩んだ結果、
私はついに救急車を呼びました。
消防の方などに迷惑をかける罪悪感や自分の無力さ、
目の前で苦しむ母への困惑に苦しみ続けた結果でした。
呼んだ結果どうなったかというと、
救急隊員の方には、
どうしてここまでになるまで処置しなかったのか、
なぜあなた(私)も旦那さん(私の父)も動かなかったのか
と言われました。
ここで私は初めて、救急隊員の方々が日々目の当たりにしている医療の過酷さや自分の甘さについて気付いたと思います。
しかし前日に7119番では救急車を呼ぶ必要性はないと言われたため矛盾しているのではないか、と困惑や怒りも感じました。
この怒りはもしかしたら自分の罪悪感や無力さを他人に転嫁したかったのかもしれませんね。
いずれにしても無事に総合病院に搬送されました。
セカンドオピニオン:末期癌発覚
病院につき、1人で待合室で座り続け
色々な人が出入りする姿をはらはらしながら見つめていました。
ちなみに蛇足ですが、この日は就活の重要な予定が入っていて出席したかったなあ、父にも手伝ってほしいなあ、ということもぼんやり考えていましたが。
こんな時にそんなこと考えてる場合ではありませんがね。
そして本題、セカンドオピニオンです。
医師の方から部屋に呼ばれお話を聞いた結果
母は末期の乳癌で、癌が骨に転移して背中が痛んでいたとのことでした。
漠然と事実を聞くしかありませんでした。
今回の本題は、内容もずっしりと重いのでこのへんにしておこうかな、と思います。
次回また続編を投稿します。
(蛇足):たった1人で対処したことへの愚痴
みなさんここまで読んでくださりありがとうございます。
ここからは私のちょっとした愚痴です。
それは、
同居していて健在かつ家にいる父が、
母の体調不良から救急搬送に至るまで一切手助けをしてくれなかったこと
です。
なぜ私1人で、無力さや罪悪感と戦い対処しなければならなかったのか。
この愚痴の詳細は私達の家庭のことにも関わりますし
不快に思う方、倫理に反していると思う方もいらっしゃると思いますので、次回以降は愚痴パートのみ有料記事しようと思います。
父は昔からいわゆる亭主関白でした。
ご飯も作らない、運ばれないとダメ、
機嫌を取ってもらって立場を保てないと不機嫌になります。
それでも私は、父も母は夫婦なのだからいざという時は助け合うものだと信じていました。
しかしそれは違いました。
父は、母が背骨の痛みを訴え始めた時から
自分のご飯の心配しかしませんでした。
むしろ、ご飯を自分で買ってきて偉いでしょ感すら出していました。
あり得ない、と思いました。
私は母のことが心配で何か食べやすいものや食べたいものはあるかと心配しながら就活も進めている中で
父は自分のご飯やテレビ番組についてしか心配しないのです。
そして極め付けは救急搬送前日の夜(7119番に電話した時)でした。
父はその日も自分に対した質の夕飯がないことにイラつきを覚えていました。
そんな父を尻目に私は構っておられず機嫌も取らずに
母のことでハラハラしていたのです。
この時の父の一言は一生忘れません。
「そんなに心配なら、さっさと救急車呼んで2人で病院に行って来い」
です。
当時は母に必死で気に留める余裕すらありませんでしたが、じわじわときました。
これが介護の始まりでもあり、家族関係の根深さに直面し始めた瞬間でもありました。
改めてここまで読んでくださり本当にありがとうございます。
愚痴パートは特に文章がまとまってなかったと思いますが私が発信してみたかったことでもありましたので
読んでいただけたのであればとてもとてもうれしいです。もしよろしければ何か感じたことなどをコメントしていただけると幸いです。
今後は介護体験記は無料、愚痴パートは期間限定公開もしくは有料記事にて投稿しますのでよろしくお願いします。
愚痴パート、書くとなんだか変ですね。