私が直面した母の入院手続きとその現実 | 介護体験記2
こんばんは。
昨日に引き続き、介護体験記を更新していきたい思います。
ちなみに前回初めて介護体験記を書いた感想としては、
当時の自分は色々短期間に詰め込まれすぎて覚えてなかったこともnoteに書き起こすことで思い出せてよかったということです。
私は人に勧められてnoteを始めましたが、
自分にはよく合っていると思っています。
自分が今まで頑張ってきたことの詳細を思い出せる一方で苦しかったことは文章に起こすことで自分の中の何かを整理できて吹っ切れたように思えています。
みなさんも何かあれば、note(じゃなくても何かしらの文章)に書き起こしてみるのはおすすめです。
それでは前回に引き続き介護体験記始めます。
今回は母の入院についてです。
入院に至った経緯
前回の介護体験記1(以下の記事)では
母が救急搬送されて末期の乳癌であることを告げられたところで終わったと思います。
今回は、その後入院する経緯をお話しします。
まず医師の方と母の病状について2人でお話ししました。
この時母は検査や治療で同席しておらず、私と医師の方の2人きりでの少し緊張感のある話し合いでした。
伝えられた内容は以下の通り
・末期の乳癌
・重篤で、命の直近の危険あり
・入院する必要あり
・退院できるかは分からない
私はただ医師の話を聞くしかありませんでした。
この時は正直現実味がなく、診断にミスがあるのかもしれないという淡い期待にすら縋りそうになっていました。
ともかく話し合いが終わり、私は母の入院手続きを始めました。
入院手続き
ここらから看護師さんなどとお話をしながら
入院の手続きをしました。
とりあえずは様々な書類の記入などをしました。
書類の記入についてはかなり悩ましいことが多かったです。
まずは、責任者?を誰にするのかです。
定石では私ではなく父が治療方針決定や支払いの責任者になることでしょう。
しかし実際は父は一切関与していなく、この場にきているのは私で父は家で寝っ転がっている。
とにかく迷いました。私がどうするべきか。
結局は全ての責任者を私にしました。
独断でしたし、病院の方にも
「娘さんですか?旦那さんではなくてよいですか?
社会人であるお姉さまもいますよね?」
と何度も確認されて再度意思が揺らぎましたが、
どうせ何もやってくれない人たちに任せるくらいなら
自分がやるしかないと決断しました。
この時、延命措置はどうするのか等も私が決める必要があり、混乱状態の私にとっては重くきついものだったと思います。
そしていまだにこの決断が正しかったのかは分からないし苦しいことも周りに迷惑をかけたことも沢山ありますのでみなさんに共有したいと思います。
・ただの大学生が責任者で本当に大丈夫か心配された
・他の家族親戚がやらないのは、なにか問題があるのか心配された
・自分自身、責任者になったことで1人で医師の説明や治療の意思決定をさせられて苦しかった
これくらいですかね。
みなさんもご家族が重篤な病気で入院される場合は、
誰が責任者になるのか他のご家族と相談して、
責任者だけに押し付けるのではなくみんなで話し合い決断することを強くおすすめします。
そういえば今回初登場なのが、私の姉ですね。
そうなんです。
実は我が家には社会人の姉も存在するんです。
どうして私が全てやっているのか、姉はなんなのか等の
愚痴パートはまた近いうちに期間限定公開の記事もしくは有料記事で綴ります。
母との対面
諸々の手続きが終わり私が病院を後にする前に
ようやく数時間ぶりに母と対面することができました。
数時間ぶりに対面した母は多くの管に繋がれてボロボロの状態で、様変わりしていました。
改めて母の病状を受け入れざるを得なくなった瞬間でもあります。
そんな中コロナの影響もありまして、母と話せたのは少しだけでした。
せっかくnoteに書き起こすのでこの時何を話そうとしたのか思い出そうとしたのですが、
いつ退院できるのか、もう家に帰ってこれないかもしれない母と話せる貴重な時間かもしれないと混乱しながら会話していたのでなにも覚えていませんでした。
おそらくたわいもない話をわずかにしたのちに母とはお別れして、私は残りの手続きをして病院を後にしました。
朝に救急搬送されてから、ようやく病院を出たのが18時頃だったと思います。ハードでしたね。
今回はこの辺で終わりたいと思います。
次回は、入院後の手続き、やるべきことについての記事を投稿したいと思います。
また、愚痴パートも近々期間限定公開または有料記事で公開します。
介護等で家族が機能しなくて悩んでいる方などいましたら、自分だけではないと共感して少しでも気が楽になっていただければと思います。