カラーマンホールと太子塔。百名城を攻める。~2020.12.27寄居鉢形城散歩
少し早めに年末年始休みに入った。とはいえ、遠出をするような状況ではないので、埼玉県内で行き先を探す。
埼玉県内で日本100名城に選ばれているのは2か所あるが、どちらも東武東上線沿線にある。1つは川越城で、もう一つは寄居町にある鉢形城。
長尾景春により築城された戦国時代の平山城で、戦前に国の史跡に指定されているそうだ。
和光市で快速に乗り込む。同じ県内とはいえ寄居までは1時間ほどかかり、途中の乗り継ぎ駅である小川町まで1時間ほどかかる。電車に乗って早々に尿意を催すが、小川町の乗り換えを逃すと30分ほど時間をロスにしてまう。そこそこ遠いと思っている川越まで20分、小川町までの道のりは遠い。
なんとか、小川町駅まで耐えて、トイレに駆け込む。
小川町からは3両編成で、一気に地方ローカル線感が漂う。ホンダの工場への通勤用として、2020年10月に開業したばかりのみなみ寄居駅で停車する。工場は駅から見えないため、山あいにある小さな駅で、降りる人は誰もいない。駅看板を撮ろうと思ったが、自分の乗っていた車両からは、柱に書かれた駅名を見ることしか叶わなかった。
終点の寄居駅につく。そういえばPASMO対応しているのかなと、ドキドキしたが簡易改札機が設置されていた。不思議なことに東武東上線の改札から直接駅の外に出れず、JRの駅構内に繋がっている。いわゆる共同使用駅というやつだ。JRの簡易改札機に再度タッチして駅から出る。
■駅構内にあった秩父鉄道の沿線案内マップが渋すぎる。
寄居駅南口前は、ロータリー整備工事中だった。駅に隣接した大型商業施設は昔はライフが入っていたようだが、5年以上前に撤退しているようで寂れている。昼時ではあったが、駅周りで開いている飲食店は見当たらない。あきらめて、目的地を目指すことにしたが、途中でスーパーがあったのでパンを購入する。
そのスーパーの裏手に、野原医院とかかれた洋風な建物があった。廃業してしまっているようだが、綺麗に残されている。立ち入り禁止の看板があるが、廃墟マニアが入り込んでしまうのだろうか。隣接している木造の建物は、崩れかかっていて危険な状態だった。
荒川にかかる正喜橋を渡る。
穏やかな流れの荒川と名勝地である玉淀河原や東上線の鉄橋を見渡すことができる。
橋を渡りきると、「史跡鉢形城址」とかかれた石碑が現れる。そちらに進むと城内に入るわけだが、その前に城の反対側にある鉢形城歴史館で城の概要を学んでおこうと思い、迂回する車道を進むことにする。これが失敗で、遠回りの上に、車通りも多く歩きにくい道だった。
鉢形城公園につくと、和風造の休憩所がある。後北条氏の家紋が入った陣幕が張られていて、雰囲気がある建物だ。ただ、壁がないため半屋外で、冬場にくつろぐことは難しい。スーパーで買ったパンを一気食いして後にする。
鉢形城歴史館の受付では、マンホールカードを配布しているようで、記念にもらう。歴史館内には、櫓門が復元されており、そのほかにもジオラマがあるなど、お堅い資料館という感じではない。ただ、せっかく見応えのある櫓門とジオラマなのに、館内撮影禁止なのは残念だ。
鉢形城は、長尾景春により築城され、後に後北条氏の北条氏邦が城主となる。豊臣秀吉による小田原征伐において、前田利家らに攻め込まれ1590年に開城した。
歴史館の裏手には深沢川が流れている。あまり大きな川ではないが、川に向かって切り立った崖になっており、攻め難そうな地形である。加えて、崖上には高さのある土塁が巡らされていて、堅牢な城だったことが伺える。
鉢形城は、濠・石垣・天守といった観光名所になるような城ではないため、地味な印象である。しかし、二の曲輪には空堀と土塁が大規模に復元されていたり、三の曲輪には四脚門や石積み土塁が復元されている。なので、ほんとに遺構が少ない山城などに比べたら、親しみやすい城である。
三の曲輪の裏手は、切り立った崖になっていて、荒川が流れている。河原にはデイキャンプを楽しむ人々が何組かいた。
登る気が失せてしまう一段と高い丘の上に本曲輪がある。本曲輪には、文豪田山花袋が大正7年に鉢形城を訪れた時に読んだとされる漢詩が刻まれた石碑がある。その刻まれた文字は武者小路実篤によるものらしく、豪華コラボレーションが実現していた。
本曲輪の尾根伝いに、正喜橋方面に進んでいくと、最初にあった石碑の場所に戻る。その場所には、1/250スケールの鉢形城模型が置かれている。歩いても感じたことだが、模型でも鉢形城が、荒川と深沢川にはさまれた天然の要害だったことが伺える。
正喜橋を渡り、対岸にある朱雀公園を訪れる。七代目松本幸四郎別邸跡地を整備した公園とのこと。建物が残っていたりはないが、公園内にはたくさんのモミジが植えられており、訪れた時には落葉してしまっていたが、紅葉の名所のようだ。落葉はしたものの地面全体がモミジの葉で覆われていて、赤い絨毯のようで、鮮やかだった。ちなみに、七代目松本幸四郎の曾孫が、市川海老蔵や松たか子らしい。
朱雀公園から、そのまま荒川の河原に降りれるようになっている。進んでいくと玉淀河原と呼ばれる名勝地になる。対岸の鉢形城は、絶壁の上にあり、攻め込むつもりなんて失せてしまう。鉄壁の防御だ。
玉淀河原自体は、普通の河原といった印象だった。かつては観光客がたくさん訪れていたのか、河原から上がると料亭や旅館が立ち並ぶ。ただ、閉業して廃墟になっている料亭もあるようである。京亭は、鮎料理を出す料亭で老舗のようだ機会があったら訪れてみたい。
この料亭が立ち並ぶ道は、寄居のマンホールスポットである。
寄居町のカラーマンホール(2種類)以外に、姉妹都市である八王子市と小田原市のカラーマンホールがある。どちらも、後北条氏の城がある都市だから、姉妹都市なのだろうか。ほかの都市のマンホールが置かれているのは珍しいなと思って調べてみると、2017年に全国初となる姉妹都市間による下水道マンホールのふた交換が行われたようだ。
■小田原市のマンホール。褌姿のショッカー?
駅方面に戻ろうとしていると、小さな神社のような一画があった。ただ神社ではなく、狛犬と聖徳太子と書かれた立柱があるのみだった。近くにあった説明板を読むと聖徳太子を祀った太子塔とのことである。大正時代に地元職工組合により建立されたものらしいが、聖徳太子信仰というのがあったのだろうか。ネットで調べてみると全国に数例の太子塔があるようだが、寄居の太子塔が調べた限りでは最も立派だった。
存在すら知らなかったものに偶然出会えるのは散歩の醍醐味だ。
■歓迎アーチで、玉淀河原が観光地であることが伺える。
寄居駅は30分に1本ほどだが、運よく10分ほどで電車が出発した。途中で川越特急にに乗り換える。座席指定券が必要になるTJライナーの車両で運行されているので、クロスシートになっている。クロスシートだと旅行って感じがするからテンションが上がる。まあ、だいぶ歩いた後の帰り電車なので、さほど上がらなかったのですが・・・。