ルチアのMikotobaダイアリー💖
洗礼名とリンクする出来事
カトリックの洗礼を受けるにあたり、洗礼名を決めることになった。
洗礼名は自分で決めることができる。
真っ先に思い浮かんだのは敬愛するマザーテレサの名前をいただくことだった。恐れ多いような感覚と嬉しさを味わいながらも悩んでいた。
そんな時、オンラインのイベントで仲間とハート/脳洞察をすることになり、そこでみんなに洗礼名についてハートに聞いてもらった。
イタリアに住む仲間から『ルチア』と浮かんだ。教えてもらった。歌にもなっているサンタ・ルチアの『ルチア』イタリア語で光を意味する。
とっても気に入り、『ルチア』について調べてみることにした。
そこには、「拷問で目をくり抜かれて殉教した」と書かれていた。
一瞬、躊躇した。
『ルチア』を洗礼名にすることによって目が見えなくなるような気がして・・・
だけど、仲間の洞察、光という意味に導かれていた。
そこから『ルチアテレサ』という名前をいただくことにした。
洗礼を受けてから1年半位経ったある日、読書会で本を読むのに文字がよく見えない。朝日が差し込んでいるせいかと初めは思ってやり過ごしていたが、曇っていても見えない。
もしかすると・・・
母が加齢黄斑変性で視野が欠けて目が悪いことから気になって、チェックシートをパソコンで検索してチェックしてみた。
不安は的中した
視野が欠けて部分的に線が歪んで見える。
数日後、眼科を受診すると高血圧から眼底出血を両目とも起こしていた。
高血圧網膜症・網膜中心静脈分枝閉塞症
血圧は、240/120という聞いたこともないような数字だった。
いつ血管が切れて死んでもおかしくない状況だった。
いわゆる、生活習慣病だが自分を大事にしていなかった結果そのようになっていた。
『ルチア』という名前をいただいた、こんなにも早くに視力が大幅に下がり視力検査の表の一番上さえ見えなくなった。
最初のうちは、高血圧というのも重なりショックを受けて落ち込んでいた。
見えないことで不便なこと、困ることは多々ある。
だけど、それ以上に見えなくなったことで分かったこと、気づいたことも沢山ある。
聖ルチアが私に教えてくれたこと、それは・・・
目に見えていることだけが真実ではないこと。
目には見えないものの中に本当に大切なものがあることを学んだ。
物質的に豊かになった現代。沢山の物が溢れ、必要なものはすぐに手に入る。
その分、感謝の気持ちは薄れ、当たり前になってしまっていた自分がいた。
物だけじゃない。健康がどれだけ尊いものか?うつを経験して痛いほど味わったはずだったけれど、まだまだ、分かってはいなかったようだ。
豊かになり、1日が目まぐるしい速さで駆け抜けていく毎日。
1日1日を大事に丁寧に過ごすことに気づくように、目に入ってくる情報に惑わされないように、心の眼で見ることの必要性を実際に見えなくなることで知った。そんな風に受け取っている。
だから、
今では、『ルチアテレサ』という名前が更に愛おしく感じている。
ルチア
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