広い世界が見たくて ①WEBデザイナーへの道
北海道から上京して4年。
千葉県の市街地から車で30分。町外れにある工業地帯で、薄水色の作業着を着て静電防止のダサいサンダルを履き、朝から深夜まで働く日々。
もうこんな会社は嫌だ。こんな生活は嫌だ。
もっと明るい世界で生きたい。
挑戦を続けるのは広い世界が見たいから
SEを辞めてWEBデザイナーになり8年が過ぎた。
WEBグラフィックのデザイン会社でデザイナー兼講師をしたのち、フリーランスとして独立した。
その2年後、今所属するWEB制作会社からのオファーで再び会社員となる。
今は会社員と並行して、個人事業でもWEB制作を続けており、兼業状態だ。
私が仕事を変えたり、転機の時にいつも思うことがある。
この世界は広いということ。
北海道から上京して、日本って広いと知ったこと。
ブラック企業を辞めて転職したことで、ホワイト企業が本当にあると知ったこと。
会社員を辞めてフリーランスになったら、出会う人の数が数百倍になったこと。
会社員でも個人事業を続けて兼業できるということ。
在宅フルリモートで、娘がいても仕事ができるということ。
私の知ってる世界はほんのわずかだ。いつでも井の中の蛙、大海を知らず。
今の世界を飛び出したら、いつだって大きな世界があった。
その大きい世界が楽しくて、もっともっと広い世界が見たいと思う。
だから私は好奇心に逆らわず、新しい挑戦をして、新しい世界を楽しんでいる。
大した夢も描けぬまま就活に臨む
世界は広いと知ったのは、就活に失敗した大学4年の春。
北海道の室蘭市にある工業大学に通っていた。
町外れの山の上に大学があり、学生はほぼこの山の上だけで生活をしていた。
田舎町で遊びに行くところも限られていたし、そもそも山の上だけで生活に必要なものが揃うので、他に行く必要もなかった。
私の生きる世界はこの山の上だけだった。
就活で1社目として選んだ会社。選んだ理由は先輩方が勤めていたからだった。
その会社でしたいことも、夢も特に持ち合わせていなかった。そもそもどんな会社かもよく分かっていなかったと思う。
学校推薦をもらって面接に臨むも、噛み合わない面接官と私。
面接官も苦笑い。私もごまかしに精一杯。
それでも、他の先輩方が勤めているし、私が落ちるわけがない、と謎の自信だけはあった。
しかし、やはり結果は不採用。
大学の研究室で結果を聞いて、ショックでその場で泣いた。
自分の事を否定されたように感じたのだ。
受験もバイトも落ちた事がなく、はじめての挫折とも言える。
そんな私を見かねた教授が言った。
「君たちの住んでいるこの山の上だけが世界じゃないんだ。
世界は広い。
早くこの山の外の世界を見なさい」
初めは何のことか分からなかった。
というか、もちろん、ここ以外に土地があることは分かっている。
ここ以外の土地に行けば何か分かるのだろうか?
そしてこの疑問が、広い世界を探す私の原点になった。
その後、就活は諦めず、次の会社を探す。
何とか夢を思い出して、そういえば、私はテレビに関わる仕事がしたかったんだと気づく。
テレビ局の採用は終わっていたため、関連企業を探し、放送機器メーカーを見つけた。
千葉県佐倉市にあるその会社に面接に赴いた。羽田空港から電車を2時間乗り継ぎ遠すぎて不安になった。
社内を案内してもらい、私はテレビ関連の機材を見てテンションが上がっていた。恐らくそれだけで印象が良かったのだろう。面接も拍子抜けするほどあっさり終わった。
不採用になった会社とは全く異なる自信があった。
大学に戻ってすぐに内定が出た。
晴れて社会人としてデビューする。
社会人となり新しい世界を知る
放送用機器の開発者として入社し、SEとして勤務した。私は力がみなぎっていた。
新入社員の自己紹介文には
「男性に負けないように精一杯頑張ります」
と書いた。
女性だからとなめられたくない思いでいっぱいだった。
メーカーの開発部と製造部が同じ建物にあり、200名ほどが在籍していた。老若男女様々な人がいてとにかく学びが多かった。
当たり前だが大学とは違う。教授の言っていた広い世界というのはこういう事だったのか。
精密機械を取り扱っていたこともあり、薄水色の作業着を羽織り、静電気防止用のダサい黒いサンダルを履かなければならなかった。
服装は自由だったが、オシャレ感はまるでない。
私が昔思い描いていた、都会の綺麗なオフィスで働く素敵な女性像とはかけ離れていたが、目の前に与えられた環境が全てだったし、受け入れるしかなかった。
そこを選んだのは私だ。
上京して北海道とは少し異なる生活スタイルに戸惑いながらも、東京まで電車で1時間かけて遊びに行くことも増えた。
昔から憧れていた都会に来た。それだけでもかなりの進歩だ。
入社3ヶ月もすれば、新しくワクワクした世界も当たり前になる。
残業も多くてギリギリ土日を休む生活。疲れ切っている上司に同僚。
活気のない薄暗い作業場。
また私の世界は、この会社だけになっていた。
SE4年目で昇進の打診を断る
勤続4年を過ぎ、部長から昇進の打診を受けた。
同期で役職に付くものはまだわずかだった頃。
もちろん責任の増える仕事にとても興味があったし、まず給料が増えるし、できることなら昇進したいと思っていた。
しかし、部長から言われた条件は、
「今よりも残業時間を増やすこと」
そう。いわゆるブラック企業だ。
所属していた開発部では、30名ほどの社員の中、女子は数名。
残業時間は毎日2時間程度で、水曜日はノー残業デー。
これでも私は優遇されている方で、他の男性社員は毎日4時間は当たり前、6時間以上も大勢いた。
会社での評価も、毎日残業して休日出勤して、とにかく長い時間働いた者が評価をされ昇進していた。
しかし彼らは日中居眠りをしていて、ミスも多々。
なぜそんな彼らが昇進するのか、全くもって理解できずにいた。
そして、その頃、私は小室淑恵さんの「ワークライフバランス」にとても共感しており、定時内でどれだけ成果を出せるか、を重視していた。
そう考えると、この打診は部長の寵愛によるものが大きいと思われる。
しかし、私には「残業しろ」の条件は全く受け入れられなかった。
そしてこの会社を長く続けても、何も評価されないと思い始めた。
労基の指導と会社の通達
その半年後、数年に一度の行事のように、労基の監査が入る。どんだけブラック。
入社して何度目か分からない。
監査の度に労働時間の報告の仕組みが変わる。
入社当時にあったタイムカードがなくなり、残業時間は自己申告制に変わっていた。
初めての監査の時に残業未払いで200万円もらった人がいたのが衝撃すぎた。
残業時間の申告は自己申告ではあったものの、
残業時間が月30時間以内になるように書け
と言われていた。
もちろんこんな申請はあってないようなものでとりあえず書くだけ。
実際はもっと長く残業しているにも関わらず。
また、休日出勤についても振替休日がほぼもらえず。
多くの社員が暗黙の了解で休日出勤の申請をせずに土日も働いていた。
そんな時に入った監査。
今回は、パソコンの起動時間を提出するようにとの指導だ。
さすがにパソコンの起動時間は誤魔化せない。
特に休日出勤に関して、会社から社員への通達は
「個人的な理由で来たと言え」
はぁ?なんだって??
私なんかよりも、本当に会社のためにというか、無理をさせられて働いている社員にその仕打ちは無いんじゃないの?
あまりにも人の扱いがひど過ぎる!
と非常に怒り、残念過ぎてならなかった。
しかも誰も反論しない。苦笑い。
ねぇ、本当にそれでみんないいの?
ねぇ、私たちそんな扱いされてていいの?
怒りとガッカリと虚しさと様々な思いが重なって、もうこれ以上この会社に自分の身を捧げることはできないと思った。
この会社のこの世界が当たり前になっていた自分に悲しくなった。
そして退職・転職することを決めた。
SE以外の職種を考える
SEを続けようとは思えなかった。
こんな劣悪環境は嫌だったし、なにより、開発にあまり興味が持てなくなっていた。
携わっていた製品は、開発開始から販売まで1年ほどかかるものだった。
1年も同じ製品を開発することにも飽きていたし、販売後もクライアントの喜びの声を聞くことは少なく、バグ修正ばかりを担当していた。
これらは全く楽しくなかった。
唯一楽しいと思っていたことは、製品で携わっていたタッチパネルの画面設計、それと配色のガイドライン作成だ。
「色」の持つ力や効果には昔から興味があったし、独学でカラーコーディネーターの資格取得もした。
何か「色」を使う仕事をしたいと考えた。
それにプラスして、将来的に自宅での仕事が可能な職業を望み始めていた。
その頃は新婚だったし、出産後に自宅で仕事ができたらいいな~と目論んでいたのだ。
始めに思い浮かんだのは「ネイリスト」。
趣味で自身のジェルネイルをしていこともあり身近な職種で、沢山の色を使ってアートして、キレイにして感謝される。
独立もできるし、自宅でも仕事ができるし、とても魅力を感じていた。
心配事としては、絵が描けないけど大丈夫か?女子だけの世界、大丈夫か…?と。
ちょうどその時、ある占い師に相談したら
「あなたは気管支が弱いからネイルはやめなさい」
と言われたので、素直な私は即却下した(笑)
その後に知ったのが「WEBデザイナー」という職業。
確か、「ケイコとマナブ」の雑誌を買って知ったと思う。
それまではそんな世界知らなかったし、興味もなかった。
でも、よくよく考えたら、今までSEとしてパソコンを使って仕事をしてきたし、10歳からパソコンと友達だ。
パソコンでもくもくと作業することも好きだし、いつまでも夢中でブログを書いたり、動画編集したりできる。
それに画面設計のような使い勝手を考えることも楽しめそうだと感じた。
間違いなくネイリストよりも私にあっているだろうと思った。
それに、将来的に自宅での仕事もできるという話も書いてあったこと、ネイリストよりも儲かり、長い年数現役で仕事ができるだろう、という気がした。
そして、会社勤務を続けながら、WEBデザイナー育成講座に通うことにした。
(つづく)