古宮#02. 昌徳宮〜李氏朝鮮と近代の歴史が交わる宮殿〜
以前、李氏朝鮮王室が祖先祭祀場として使った宗廟(종묘)について書きました。
それと同じ日に、昌徳宮(창덕궁)へも行ってきました。
残念ながら、時間の関係上、自然が美しい後苑には行けませんでしたが、今回はそのときの様子についてお伝えしたいと思います。
昌徳宮(창덕궁)
<昌徳宮の正門「敦化門」>
昌徳宮(창덕궁)は、朝鮮王朝の古宮の中でも自然と調和した最も韓国的な宮殿だといわれています。特に宮殿の裏庭にあたる後苑は、自然の地形をそのまま生かした美しい造りとなっており、多くの王から愛されました。
昌徳宮は1997年にユネスコ世界文化遺産に登録されています。
朝鮮王朝第3代国王の太宗は、1405年に第2王宮として昌徳宮を建立しました。その結果、首都の漢陽(現在のソウル)の西側には景福宮が、東側には昌徳宮が位置し、均衡のとれた都市空間が完成しました。
壬辰倭乱(文禄の役)により漢陽の宮殿がすべて焼失してしまいますが、景福宮はすぐに建て直されませんでした。その間270年余り、昌徳宮は朝鮮王朝第1宮殿としての役割を果たし、また、最後の国王である純宗時代まで使われた宮殿でもありました。
…(略)…中国をはじめとする東洋の宮殿は南北の中心軸に沿って配置されるのが一般的で、景福宮もそれに従って建設されました。しかし山裾に位置する昌徳宮はそのような人工的な配置法には従わず、周りの自然地形と調和・変化しながら、最も韓国的な宮殿となりました。
…(略)…(昌徳宮の)後苑は、韓国の伝統的な造園の特性と美しさを最も見事に表現した例として評価されています。
(現地の案内より。加筆しています)
◆仁政殿(인정전):仁政門
まずは昌徳宮の正殿である仁政殿(인정전)に向かいます。
こちらの仁政門の先に仁政殿があります。
◆仁政殿(인정전):石畳
仁政門から仁政殿までは、花崗岩で作られた石畳が広がっています。ここで王の即位式、外国使節との接見、公式の朝会、各種御祝いなどの公的行事が執り行われました。
石畳の左右には位階が書かれた「品階石」が並びます。王がいる仁政殿に近いほど位は高くなります。臣下たちは東に文官、西に武官と分かれ、各自の位に応じた列に並びました。
◆仁政殿(인정전):内部装飾
仁政殿の特徴は、何といっても内部の装飾です。
1908年に内部を修理する際、カーテンとシャンデリアを取り入れて西洋風のインテリアにしたそうです。
仁政殿を彩る黄色は、皇室を象徴する色だそうです。
19世紀末に大韓帝国が宣布されると、李氏朝鮮王が大韓帝国皇帝に就きました。つまり、その歴史的背景がもととなった装飾になっているのです。
昌徳宮の説明にあった「最後の国王である純宗の時代まで使われた宮殿」という歴史を確かに感じます。
韓国の宮殿でこのような造りを見たのは初めてだったので、とても新鮮でした。和洋折衷ならぬ、韓洋折衷の装飾です。
◆宣政殿(선정전)
こちらは王の公式執務室である宣政殿(선정전)です。公式執務室というわりには、それほど広くない印象を受けます。
左に見える宣政門の先に、王が政務を行なっていた「便殿」があります。ここで王は家臣と国政について議論したり、学問を研究したりしました。
また、便殿は王と王妃の位碑を祀る「魂殿」としても使用されたそうで、その際は便殿の機能を隣の熙政堂に移しました。
ちなみに、便殿の一番の特徴といわれるのがこの青い瓦屋根です。韓国に現存する宮殿の中で唯一、青い瓦を持つ建物だそうです。これだけを見ると分かりづらいですが、他の建物と比べると確かに青いです。
◆熙政堂(희정당)
こちらは熙政堂(희정당)の玄関です。
現在の熙政堂は、1917年の火災から復旧する際に景福宮の康寧殿を移転して再建されました。よって、それまでの姿とは完全に異なり、玄関には車を乗り入れるスペースが設けられています。
熙政堂はもともと王の生活空間でした。しかし、宣政殿が手狭でしばしば国葬のための魂殿として使われたため、熙政堂が便殿の役割を果たすことになりました。
◆大造殿(대조전)
そんな熙政堂と「複道閣」という渡り廊下で結ばれているのが、大造殿(대조전)です。
大造殿の入り口には宣平門があります。
大造殿は、王妃の正殿として使われました。
王室生活最後の様子が比較的よく残っているといわれています。
また、大造殿は1926年に最後の王純宗が崩御した場所でもあります。
こちらが大造殿の中の様子で、洋風のデザインとなってます。
仁政殿同様、近代の歴史を感じる建物です。
◆◆◆
昌徳宮は他の古宮とは異なり、李氏朝鮮時代の記憶と近代史が交わる空間で、非常に興味深かったです。
主人がいなくなった現在も、建物は残り、人々を惹きつけ、自然はそのまま美しいーー。
そんな印象を受ける宮殿です。
どこか寂しい気もしましたが、過ぎ去った歴史を感じるということ自体がそういうものなのかもしれません。