この世で出逢ったことのないあの子との再会#02~あらぁ、かわいい赤ちゃんが付いて回ってる~
前回記事の続きです。
1.実は行きにくい群山
いつか行きたいと思っていた群山(군산)へ、いよいよ出発です。
折角なので、待ちに待った旅の意気込みでも書きたいところではありますが、なにせ糞食らえな人生の真っただ中です。残念ながら、特段ここで綴るような想いは持ち合わせていませんでした。
それは道中も同じで、特筆すべきことはなかったように思います。
へジンオンニとはとても仲が良かったのですが、基本的にはどうでもよいことしか話さない仲でした。同僚ではありましたが仕事の話はしませんし、道中でも旅のきっかけとなった私の祖母やオンニの母親のことを話すことはありませんでした。むしろ、敢えてそうしたと言った方が良いのかもしれません。
しんどいばかりの人生を、今さら愚痴ったところでどうするの。
私が人生を嘆く度、オンニはそう答えました。
楽しくないのが、もっと楽しくなくなるだけよ。
オンニにそう言われると、本当に不思議なことに、嘆いている自分がばかばかしく映るのです。そして、お決まりのごとく、全くその通りだと思っては馬鹿話に戻るのです。多分、共感なんてものは必要なかったのでしょう。どんな慰めの言葉よりも、私にとっては効果的でした。
つまりここで何を言いたいのかというと、日頃からくだらない会話によって成り立っているこの関係は、たとえ運命が作り出した崇高な旅に行く場合でも、変わらないということです。
道中の会話なんてほとんど記憶にありませんし、それでも覚えていることといったら、「ソウルから群山までは何でこんなに不便なんだ」と愚痴っていたことくらいでしょう。
そう、群山までの行き方が少々ややこしかったのです。
その日、オンニとはソウル駅で待ち合わせをし、高速鉄道のKTXに乗車しました。そして天安牙山駅(천안아산역)で降りると、今度は牙山駅(아산역)まで歩き、セマウル号に乗り換えて群山まで行きました。
結局、4時間以上も掛かりました。
ソウルから釜山まではKTXで約2時間半で到着することを考えると、群山を遠いと感じてしまうのは仕方のないことなのです。
そして、韓国に何年もいて群山に行かなかった一番の理由は、まさにこの交通の不便さにあったーーと、言いたいところですが、それは全く以て都合の良い言い訳でしかなく、無論それも理由のひとつではありましたが、結局は、ただ単に行こうという気が起きなかったというのが正直なところです。
2.まずは現地の名店で腹ごしらえ
群山駅に着いたのは、13時過ぎだったと思います。
まずはホテルに行ってチェックインをし、部屋に荷物を置いてから昼食を食べに市街地へと向かいました。
私たちはカンジャンケジャン(간장게장)のお店に行くことにしました。カンジャンケジャンとは、生の渡り蟹を甘じょっぱい醤油ベースのタレに漬けた料理です。私は韓国料理の中でカンジャンケジャンが一番好きでした。祖母の故郷は食文化もイケてるらしいと、独りで勝手に誇らしく思ったものです。
オンニはというと生の蟹が得意ではなかったため、その分は私が美味しく頂きました。どうせなら2人が好きな料理にすればいいのにと思われるかもしれませんが、群山ではかなりの有店です。オンニはオンニで、一度は味わってみたかったそうです。
私たちは食事をしながら、その後どこに行くかを決めました。
綿密な計画を立てて行動するタイプではない2人です。ある程度の情報は調べますが、実際にどこへ行くかはその時の気分で決めるような緩い旅行でした。
ここまでの話で、群山がそれほど大きな街ではないということは、すでにお察しのことと思います。実際その通りで、この日はとりあえず市内を歩いて回り、本格的な観光は翌日にすることにしました。
3.思い通りにいかないのが旅の醍醐味
しかし会計を済ませて外に出た瞬間、そんな考えは一気に吹き飛びます。
お伝えし忘れていましたが、群山に行ったのは7月の下旬でした。その年は例年以上の暑さで、涼しい屋内で美味しいご飯を食べていたときはあまり気にしていませんでしたが、強烈な日差しに当たった途端、歩くという無謀な考えは完全に消え去ってしまったのです。
さて、どうしたものか。
できれば涼しいカフェでコーヒーでも飲みたいところではありましたが、「それじゃあソウルにいるのと変わんないじゃん」と、2人してケラケラと笑ったものです。ただそれが今したいことなのですから、仕方ありません。
しかし、到着したばかりの土地で、カフェがどこにあるかなんて分かりません。分かったところで、やはり歩かなければならないのが落ちでしょう。カンジャンケジャンのお店を背にしてうじうじしていると、オンニが言いました。
”우리 사주라도 보러 갈까?”
「四柱(사주)でも見てもらう?」
ここでひとつ付け加えておくと、その頃はオンニもまた「迷える仔羊」だったのです。
私たちは何度か一緒に四柱(사주)と呼ばれる占いに行ったことがありました。人生に迷った末に占いに行くなんて、まさに迷える仔羊としては模範となるべき行動です。
四柱とは日本でいうところの四柱推命です。生年月日と生まれた時間からその人の基本的な性質や性格、人生の流れ、その年の運勢などを占います。
オンニは道を挟んで斜め前にある平屋を指さして、「あそこで見てもらえるよ」と言いました。何の変哲もない、韓国でよく見掛ける昔ながらの平屋です。入り口だろう戸の横には、「卍」が描かれていました。
「うん、そうね。暑いし、悪くないかな」
4.こんにちは、赤ちゃん
戸を開けて中に入ると、奥の方からおばちゃん(アジュンマ)が1人出て来ました。オンニが今見てもらうことはできるのか尋ねたところ、問題ないということだったので、私たちは靴を脱いで部屋に上がりました。
それほど大きな家ではなかったように記憶しています。玄関からすぐの所に部屋があり、その隣には引き戸を挟んでもう一部屋あるだけでした。
アジュンマ曰く、占うときは隣の部屋に行き、祀っている仏様たちの力を借りるとのこと。
ふむふむ、なるほどね。
相手に聞かれたくなければ1人ずつ入るといいと言われましたが、私の場合は途中で「どういう意味?」とオンニに説明してもらう必要があります。聞かれたくないどころか、聞いてもらわなければ困るのです。
ということで、私たちは部屋を移ることになったのですが、ちょうど隣の部屋に足を踏み入れたところ、アジュンマが目を細めながらこう言い始めました。
”아이구야~ 귀여운 애기가 따라다녀.”
「あらぁ、かわいい赤ちゃんが付いて回ってる」
え?
アジュンマは続けます。
”아이구~ 귀여워. 계속 따라다녀.”
「まぁ~かわいい。ずっと付いて回ってる」
え???
赤ちゃんなんてどこにもいません。でも、アジュンマは確かにいると言うのです。しかも、私を見ながら・・・いいえ、正確にいうと、私の少し後ろの方、更には足元に目をやりながら、そこにいると言うのです。
話し掛けても、アジュンマとは目線が合いません。私の方を向いているのに、目が合わないのです。そして、私が動く度にアジュンマの目線も動き、やはりこう言うのです。
”봐 봐. 언니가 움직일 때마다 걔가 따라가.”
「ほら見て。あなたが動く度に、その子も付いて行ってる」
はい、そうです。
私には、かわいい赤ちゃんが憑いているそうです。
ああ、なんてこった、パンナコッタ。
(つづく)