済州島旅行#03.すてきな道立美術館で出逢った画家チャン・リソク
それまでの済州島のイメージといえば海と山、そして独自の伝統文化でしたが、今回の旅ではこれらにプラスして芸術が加わりました。
やって来たのは済州道立美術館。
漢拏山の中腹に位置し、自然と芸術作品を同時に満喫できるおすすめの観光スポットで、済州島にゆかりのある画家たちの作品に出逢えます。
道立美術館の張利錫(チャン・リソク)記念館では3月から11月3日まで「老画家の独白」が開催されています。
1951年に朝鮮戦争から避難するため済州島にやって来たチャン・リソク。当時は同じような境遇の画家たちが他にもいました。激動の時代に翻弄されながら、命からがら辿り着いた済州の地。
同じく11月3日まで行われている企画展「École de Jeju」では、そんな過酷な状況下でも必死に表現し続けた画家たちの作品が展示されています。
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老画家の独白
◆張利錫(チャン・リソク)
張利錫(チャン・リソク:1916~2019)は韓国を代表する西洋画家で、1916年に平壌で生まれました。1937年~1939年までは日本の多摩川帝国美術学校に在籍し、帰国後の1940年から日本が終戦する1945年までは、平壌の三中井百貨店で美術部長を務めます。
その後、1950年6月に朝鮮戦争(韓国では「6.25戦争」)が勃発。
同年7月には北朝鮮にある金剛山ホテルの壁画作業に動員され、これをきっかけに家族とは離れ離れになります。平壌を離れた後は、北進する韓国軍の元山海軍基地司令部に入隊。1951年に起きた第3次ソウルの戦い(韓国では「1.4後退」)のときには独りで釜山を経由して済州島に渡り、その後4年間滞在することになります。
チャン・リソクにとっては第二の故郷である済州島。
済州の自然や人々の生活を描いたチャンは、2005年に自身の作品110点を済州島に寄贈します。今回の特別展では、1950年~1990年までの作品が時代別に展示されていました。
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◆海外あるある
さて、作品を観る前にどうしても気になってしまったのが、この「チャンリンク」の表示。
韓国あるある、いや、海外あるあるでしょうか。
日本語の表記間違いは多々あれど、「ン」と「ソ」のミスはトップ1ではないかと思っています。あと、よく見掛けるのは「ス」が「ヌ」になっているパターン。間抜けに見えちゃうやつです。「い」と「リ」の間違いもよく見ます。「ア」と「マ」もね。微妙な角度の違いから「ナ」が「メ」になっているのもあったなあ。
カタカナって結構ややこしい文字なのかもしれません。
そんな見慣れた間違いですが、ここは済州島にとっても画家ご本人にとっても大切な記念展。韓国人の旦那くんが流石にこれはいかんと、スタッフの方に伝えていました。「ン」ではなく「ソ」ですよと、メモに書いて説明していましたが、直してくれるでしょうか。
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◆コレクション
ここからは抜粋したチャン・リソクの作品を――。
どことなくゴーギャンを連想させるタッチと色使いで済州の人々を描いたチャン・リソクですが、海女さんを多く描いたことでも知られています。
ただ、個人的には海女さんよりも馬の絵に惹かれました。
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École de Jeju
多くの画家たちが第一次世界大戦の戦火を逃れてパリに集まり、そこで新たな芸術が発展したように、1950年代以降の済州島も似たような経路を辿ります。
その歴史を学べるのが「École de Jeju」特別展で、チャン・リソクと同じく北朝鮮出身で済州島に避難していた画家の李仲燮(イ・ジュンソプ)、洪鍾明(ホン・ジョンミョン)、崔英林(チェ・ヨンリム)から、戦後の済州芸術の発展に寄与した画家たちの作品まで、年代別に鑑賞できます。
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◆コレクション
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道立美術館では、企画展「済州の画家です:コ・ヨンマンが歩んできた道」も開催されていましたが、これについては次回に続きます。