no.8 ネットワークビジネスの光と影
お店をやりながら人生2度目のネットワークビジネスを始めて1年ちょっと。
◯◯社からのボーナスは22万円ほどになっていた。
お店のオープンからまる3年を半年後に控えた時、私はお店を閉める一大決心をした。
お店経営からネットワークビジネス専業へと転身して行くのであった。
リピーターのお客様も増え手応えを感じながらも、相変わらず給料は取れず。
その上、半年後には消費税免除期間を終え8%(当時)納税しなければならないけど、お金に変えられるものはもう何もない。
お店を閉めて◯◯社からのボーナスを増やす事に集中しよう!最後の残り半年を最高の形で終えて《焼肉酒家漠々》の看板を下ろそう!そう決断した私が居たのだった。
残り半年のテーマは《お客様に感動を与えるお店》自分たちを《パワフルチャレンジャーズ》に決めた。
毎日の朝礼ではこれを皆で言葉にして営業スタート。
同じスタッフなのに1人1人が別人のようにイキイキと輝いていた。
結果、半年の間、最高売上げを毎月更新し達成感に包まれ3年弱の営業に終止符を打つ事が出来た。
《言葉が世界を創る》
何度も聞いて来て知ってるつもり分かってるつもりだったが、この半年間は本当に実感・体感する日々であった。
そこからは思ってもみなかったネットワークビジネス専業生活。
◯◯社から入金になる20数万が無かったら、お店にしがみつくしかなく母に泣きついて借金の無心をしていたかもしれない。
あの時、お店をやりながらまずは5万円から16万を目指してみよう!そぅ思ってやっておいて本当に良かった。
選択肢を増やす事、特にこれからの時代は本業をしながら複数の収入の柱を作っておく事が重要かもしれない。
私のボーナスは30万、40万、50万と増えて行き、会社が発行している冊子に出させていただいたりもした。
その原動力は世界一の会社!最高の製品!最高のプラン!
そぅ信じこんでいた事であった。
しかし一方で、専業になった事でアップと言われるリーダーと一緒に居る時間が増えると同時にガッカリする事も増えて行ったのだった。
そう私はここでも業界の裏側をまざまざと感じる事となって行く。
アップからすると本来私は仲間でありお客様でもあるはず。
アップから、お給料をいただいてるわけでも雇用関係があるわけでもない。
それなのに理不尽な事を言われる機会が多くなり募って行く違和感。
『誰に口きいてるの!100年早いわょ!』
ある日、ほんの些細な事で罵倒される私が居た。後にも先にもそんな経験は人生でこの1回きり。
一生忘れない。私の頭の中は???ハテナマークで一杯だった。
さらには、1週間後にぐっと堪え仕方なしにお詫びの電話を入れると、謝って来るのが遅いとまたもや理不尽な事を言われた。やはりこの世界はおかしい・・・
それでも、少しずつ収入が増えて行ったり、パリ・オーストラリア・シンガポール・ハワイ・香港・アメリカ等など、色んな所に招待旅行で連れてってもらったり、嬉しい事や楽しい事が沢山あったのも事実である。
ファニーの追っかけをしていたあの青春時代の自分を重ねながら、あちこち楽しく飛び回る日々。
『距離と得られるものは比例する』などと根拠のないワケの分からない事を言ってたのは、今となっては笑うしかない。
コロナ禍のある時、事件が起きた。
ナント!
仲良くしていた他系列の女性リーダーが辞めさせられたのだ。
他のネットワークビジネスをやり、◯◯社の人を誘ったのが原因だった。そしてそれは、彼女のメンバーさんをも巻き込む大事件となった。
大事だ、仲間だと言ってたメンバーさんを彼女のアップが自分の収入の為に辞めさせたと聞いた時はショックだった。
そぅ、この業界の人は自分の収入の為に誰かを踏みつける事は平気なのかもしれない。
これがきっかけとなり、一歩ひいて俯瞰的に見られるようになった私が居た。
まぁまぁ育ちがいい素直ちゃんの私は、それまではタイトル維持の為に買い込みしている人を見ると『貴方の努力が足りないから』だったのが『プランに原因があるのではないか』『ある程度買い込みを前提としてプランが作られたのではないか』と、会社の見方も変わって行った。
それまで本質が見えなかったのはどうして?洗脳されていたって事?私が?洗脳??
何だか不思議な感覚だったのを覚えている。
そぅ私は洗脳されて、 どっぷりハマっていたのだった。
追っかけの時のように・・・
やっぱりどこまで行っても素直でまぁまぁ育ちがいいのである。
そんな私が感じた、これからの副業について最後に触れたいと思う。
②幼少期の私
③就職は📻️FM局
④ネットワークビジネスで💰️月収100万ゲット!からの奈落の底
⑤ネットワークビジネスでド貧乏、そこからの再起
⑥水商売を卒業し焼肉屋をスタート
⑦2回目のネットワークビジネスで成功、そのキモとは?
⑨これからの副業