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no.3 就職はFM局
思わずレイジー・ネバーランドの事を書きすぎてしまった感があるので、戻して大学時代とOL時代の話しをしたいと思う。
とにかく遊びたくて・・・
ファニーに会いたくて進学は東京しか考えていなかった。
あんなに追っかけまみれで遊んでたぶっ飛び高校生活だったのに、かなり優秀な有名私立大に入ってしまった私。
地頭がいいのか?運がいいのか?
そぅ、試験は全問マークシート。
うん、やっぱり運が良かっただけなのかも。
でも運も実力のうち・・・そぅ思う事にしよう😂
ただ入学後は、学部で下から10本の指に入るレベル。
本来は1年で40単位ほど取るところを遊びほうけて休んでばかり。
7単位しか取れないお粗末な初年度だった。
心を入れ替え2年からは真面目にやろうと、学校というものに中学以来でまともに通う日々。
3年で就職活動を始める皆を尻目に、4年になってから初めてバイトを始めたやっぱりぶっ飛び道楽ドラ娘であった。
デビューは何かと遅く、まともやレールから外れていく私であった。
初バイトはTBSコンパニオン。
お給料はいいし色んなタレントさんにも会えるし、可愛い制服を着てチヤホヤされ、楽しくて仕方ないバイトデビューだった。
元来チヤホヤされるのが大好きだったのかもしれない・・・
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時間が経つのは早く、あと半年もすると卒業という時期になっても何も決まってない私。
『どっ、どーしょーー』楽天的でもさすがに焦って来ていた。
そんなところに母から『みさちゃん就職どうなってるの?』と電話が入った。
親というのはスゴいものである。
焦っていたそんな私の気持ちを察してか・・・その電話が私の進路を決める事となった。
『甲府にFM局が開局するから受けてみたら?』
本当は地元に帰りたくはなかったが、楽天的な私、『まぁいっかマスコミなら』と母の提案を受ける事にした。
入社試験はかなり変わっていた。
グリコのマーク(片足あげて両手を広げたランナー)は何人か?とか、桂三枝が選挙に出馬するとしてその応援演説を何文字以内でとか・・・
そんな独特な筆記試験と面接の末、晴れて合格㊗️
可愛かったからか?性格が良かったのか?べしゃりが良かったのか?
兎にも角にも30分の1の難関を無事突破したのだった。
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まぁ実はコネもあり。
今なら言えるが、親のコネ、顔が広かった母のツテで同点なら優先してあげられると言われていたのは事実である。
あのコネは使われたのか?いゃ、私が可愛くて性格も良かったからに違いない・・・
そぅ思う事にする還暦BBAである。
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念願のマスコミに就職し、最初は楽しかったものの、次第に楽しくなくなりヤル気ゼローーー。
理由は色々あるが、当時の日本は女性はまだあまり活躍出来なかった時代であった。
結婚するまでの腰掛け的な考えで責任ある仕事は任せない・・・
世間一般的に、今とは違う風潮がかなりあったように感じる。
結婚するまでの腰掛け・・・
私も、そぅ思われていたのかも。
未だに一度も結婚してないのに🤣
お気楽道楽ドラ娘もTBSコンパニオンがきっかけだったのか、何か自分の活躍できる場を探していた。
そぅ!私は本来は真面目だったのかも。
そんな模索していた私にまたも1本の電話が鳴った。
今度は東京の番組制作会社の仲良くしていた年下くんからだった。
電話というとスマホを思い浮かべるアナタ!
今でこそ携帯電話を持ってない人を探すのが難しいが、当時はそんなものはなく、やっと留守番機能が付いた固定電話が普及してた頃で、好きな洋楽をBGMに“ただいま留守にしています。ピーッと鳴ったら発信音の後にメッセージを”と自分の声で録音したのを思い出す。
『すっごい話しがあるから東京に来て!』
今なら分かる。
そぅ、ネットワークビジネス特有のお決まり単純明快おバカな勧誘だった。
でも当時は知る由もなくワクワクしながら東京に向かう事にした。
追っかけで全国飛び回っていた私からすると東京なんて近い!と、ぶっ飛んだ感覚ゆえ迷いもなく即答だった。
のちにネットワークビジネスでも飛び回る事になるとは夢にも思わず・・・
年下くんとは渋谷駅モヤイ像前で待ち合わせた。
見たことないスーツ姿で現れた年下くんに、一体なんなんだろうとさらに期待が膨らんだ。
東急プラザの脇の細い道を上がって歩いてる間も終始楽しそうな笑顔の年下くん。
暫く坂を上がると見えたのは、何とも言えない雰囲気の古びたマンションで、壁に沿って人の列が出来ていた。
それを整理する同年代の人たちの元気の良さと笑顔が、異質のようなやっぱりワクワクするような不思議な感覚だったのが忘れられない。
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説明会会場はマンションの一室で、狭いワンルームにはホワイトボードと並べられた椅子が置かれ、ぎゅうぎゅうの人だかり。
私は2列目あたりに座らされ、仕立てのいいスーツをビシッと着こなし足元はピカピカの高そうな靴を履いた男性が、満面の笑みでハキハキと『我々はひと花咲かせて納得人生を目指す花咲会』だと話し始めた。
今考えると笑える。いや考えなくても笑える!怪し過ぎ!!
でもその時の私は真剣に聞いていた。
会の主旨、会長が何故花咲会を作ったのかに続き、製品《わくわくパラダイス24》の説明。
そぅ、24時間風呂であった!
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こんな感じでお風呂に機械を取り付ける事で
24時間あったかく1ヶ月お風呂掃除不要
そして最後は皆が収入を取ってると言って、プレゼンターが後ろに立ってた女性に向かって『先月いくらでしたか?』と問いかけた。
私と同年代のように見えたその人が『はぃ、120万円でした』と答えた瞬間、お口ポカーン状態の私。
こんなセミナーが当時流行ってたのです。
アナタは知ってますか?知りませんか?
それによってアナタの年齢とネットワーク人生が大体分かっちゃいますww
ひと花咲かせて納得人生・・・
そんなチープな言葉が響いた私の頭の中では、それ以上に《120万円》で一杯になっていた。
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『ね、スゴかったでしょ!一緒にやろうよ!』
説明会終了と同時に年下くんが私に言って来た。
そして知らない人がクロージングに入って来た。いわゆるABCだ。
業界の人にはお決まりの今も続いてるセオリー。
そぅ、この当時から今もネットワークビジネス業界は変わっていないのだ。
これだけ時代は進化してるというのに。
Aさん役から見せられたボーナス明細に再び目がテン・・・
いゃ¥マークになる私。
頭の中ではあの瞬間から永遠にリピートしていた《120万》
これが私のネットワークビジネスのスタートのゴングとなった🛎️
純粋無垢だった私は、目の前に出された書類に迷いもなくサインしたのだった🖊️
当時有名だった東総信という信販会社で約36万円のローンを組み、花咲会の仲間入り。
【追っかけに一所懸命になるのは純粋な証拠】という母の名言通り、私は純粋で素直でちょっと優秀でw、でもそれだけでなくマヌケでおバカだったのだ。
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①プロローグ
②幼少期の私
④ネットワークビジネスで💰️月収100万ゲット!からの奈落の底
⑤ネットワークビジネスでド貧乏、そこからの再起
⑥水商売を卒業し焼肉屋をスタート
⑦2回目のネットワークビジネスで成功、そのキモとは?
⑧ネットワークビジネスの光と影
⑨これからの副業