no.5 ネットワークビジネスでド貧乏、そこからの再起
ア◯ムを始め数社からの借金は300万円ほどになり、お金がどうにもこうにも回らなくなって辞めた私。
一旗あげるつもりだったのに・・・
母に申し訳ない気持ちで一杯だった。何故なら、大学時代、父が癌で亡くなった後も変わらず十分な仕送りをしてもらい、母のアドバイスがきっかけで憧れのマスコミ業界に就職出来て、母も天国の父もやっと安心しただろうに、今度はネットワークビジネスにハマり勝手に退職して挙げ句のはて借金まみれ。
2日に一度東京に通う事も無くなり分かってたと思うが、母は聞いて来るわけでも説教するわけでもなく、そんな優しさが心に沁みる一方、申し訳なさが募った。
そんな中で『同じ会社に来ない?』やはり借金を作って、先に花咲会を辞めていた仲間が連絡をくれた。
有難かった。
それは営業の仕事で浅草橋にある小さな商社だった。まともな会社に再就職が決まった私。
しかし、それだけでは借金は返済出来ない!おまけに家が決まってない!まだ頭を悩ませていたところ、また別の仲間が上野のキャバクラで働いて借金返してイイ感じらしい・・・
そんな噂を耳にし、居ても立ってもいられずその彼女に電話をした。
聞くと、そのお店は何店舗も経営してる業界では有名な大きなグループで、寮も完備している事が分かった。
これしかない!そぅ思った私はすぐに面接に行った。
ホステスなんて好きでもない男に色気売って時に身体を許す汚い仕事・・・そぅ思っていたが、Yちゃんは決してそんな事をするタイプではなかった事で、私の夜職への悪いイメージは薄れていたのだった。
無事に面接を終え、週2のアルバイトでも入寮が認められ部屋へ案内された。そこは普通のマンションの1室でプライバシーも守られ、敷礼なし、はっきり覚えていないが光熱費込み5万円ほどがお給料から天引きだったと記憶している。
本当に有難かった!ここからもう一度やり直そう!
あと3ヶ月ほどで29歳という遅い夜職デビューとなった。
そぅ私は何かというと常に遅いのだった。
あの8万円ブレザー同期2人のおかげで新しいスタートを切り、商社の営業を月〜金頑張りながら週2〜3回のバイト生活が始まったのは、29歳になる前の1月終わり。
布団を買う余裕すらなかった私は、絨毯が敷かれた床にそのまま寝る事にしたのだが、暖房を付けていても寒くて夜中に目が覚め、狭い3点ユニットの浴槽にお湯を張り冷えた身体を温め再び眠りにつく毎日。洗濯機もなく洗濯はコインランドリー。そんな生活だった。
初給料でまず買ったのは布団セット!そして洗濯機、テレビ、テーブルと少しずつ買い足して生活を立て直して行った。
1年余り経った頃、ナント!商社は倒産😱
まともな会社勤務のOLであくまで借金返済完了までプラスα夜職というつもりが、またもやレールから外れてしまった私。
考えるのは借金返済の事。とりあえず週2のアルバイトから週6出勤のレギュラーにしてもらった。この時30歳。やはり遅い夜職専業の私の誕生となった。
指名も増え売上げも順調に上がって行き、キャバクラではなく今度は老舗高級クラブからスカウトが来た。
私はここから夜職でのし上がって行く事になる。
とてもいい条件を提示していただき、仲良しのコに声をかけ5人で同じ上野のクラブに移った。
ネットワークビジネスでメンバーさんが頑張る事で自分の収入が減る経験をしていた私は、頑張った分だけお給料がもらえる夜職に楽しさとやり甲斐を感じていた。
チヤホヤされるのも気分良かったw
追っかけで身に付いた階段をおりる思考パターンで《どうやったらいいお給料がもらえるか→毎日同伴しよう→その為にどうするか》と考え、実践しとにかく毎日同伴した。
銀座はなんとなく敷居が高く思えた私は、4年勤めた上野から歌舞伎町のクラブへ。
ここでも《どうせ同じ事をやるならいいお給料が欲しい→毎日同伴しよう→その為にどうする》を実践。
そぅ、知らない間に私はPDCAを回していたのだ。
毎日の同伴の為に徹底したのはまずお礼連絡の早さ!
そしてどんなにレスが無かろうと週1でメールを送り続けた。
マメを通り越して、しつこいホステスだった😂
いつお客様に呼ばれてもいいように、常に支度を早く済ませておく事も意識した。
同伴の約束が取れていない日も、早めにヘアメを済ませて1人喫茶店でコーヒーを飲みながら営業。
あとは媚びないスタイルを貫いた。
媚びないどころか時にお客様に説教までしたスタイルが新鮮で功を奏したのか?13年間不動のNo.1として歌舞伎町有名クラブの看板娘・・・娘?で居られたのだった。
触れて来なかったが、上野のクラブでお客様として出会った男性に一度水あげしてもらい、結婚を前提に一緒に住んで家の事だけをやるようになったのだが、その人が実はヤクザである事が発覚したり、歌舞伎町ホステス時代にはホストに月200万使った事があるおバカさん🤣
この辺はまたの機会に詳しく書きたいと思う。ダメンズ好きで不幸な人生を歩だ事があるアナタがこれを読んでくれているとしたら、ざっくばらんなトークで盛り上がったりもしてみたいものだ。
そんなホステス時代に終止符を打ち焼肉屋を立ち上げる事にした。
①プロローグ
②幼少期の私
③就職は📻️FM局
④ネットワークビジネスで💰️月収100万ゲット!からの奈落の底
⑥水商売を卒業し焼肉屋をスタート
⑦2回目のネットワークビジネスで成功、そのキモとは?
⑧ネットワークビジネスの光と影
⑨これからの副業