僕とリックのドイツ生活(その10) 急がないこと・あわてないこと
僕は子供の頃、小学校の教員に「のろま!」とよく罵られていました。
子供の頃、僕はどちらかというと何か物事をする時に自分なりに納得しないとうまく行動できなくて、それで周りの人たちより行動のテンポが遅かったように記憶しています。つまり、いつもぼんやりしていた夢みがちな子供だったというわけです。
今はどうでしょう?自分自身としては、情報処理能力は他の人と比べるとけっこう高く、仕事を済ませるテンポはどちらかというと速いほうじゃないかなと根拠なく信じていますが、実際のところは良く分かりません。
日本に住んでいた頃は、物事を急いで済まさなければいけなかったり、周りの人々に急かされることが多くありました。当時と比べると、今の僕はかなりのんびり行動するようになっていると自分自身で思います。
以前とくらべてのんびり屋さんになった理由ははっきりしていて、何をするにしても僕が一人で急いでもほとんど無駄なことが多い、ということに気づいたからです。
僕の身の回りでは、物事が進んでいくテンポは日本と比べるとかなりゆっくりです。言葉を変えると、何をするにもかなり時間がかかる。
例を挙げましょう。
ドイツに来て住まいの家具を某大手家具店のウェブサイトで注文し、配送予定日を決めようとしたところ、なぜか最短の配送で3週間後というメッセージが現れました。僕は、きっと何かの間違いだろう・3週間もかかるはずがないと考えていましたが、これは間違いではなく本当で、正式に家具を注文後、自宅に注文品が配送されたのは3週間後。しかも配送された一部の組み立て式家具の部品が揃っていなくて、不足の部品の配送依頼をしてから実際に部品が届いたのはそこから更に2週間後でした。
以前の住まいのインターネット開通契約を締結したのが1月。そして住まいで実際にインターネットが使えるようになったのが5月半ば。契約から開通まで実に5ヶ月ほどかかりました。
他にもいろいろと例がありますが(ビルドインキッチンの納期が12週間かかったり、引っ越し業者さんが3時間以上遅れてやってきたり)、ドイツでは何をするにも時間がかかります。一人でできることであれば、自分が急げば早く物事を済ますことができるけれど、誰かにお願いするなどの他者が関係することとなると、これは自分一人がいくら急いだりあわてたりしても、自分が関わっていないところで物事に時間がかかることが多く、自分で急いでも意味がなく無駄に終わることが多いです。
急いでも無駄なことは、急がない。
そう考えるようになると、日々の生活が少し気楽になってきます。例えば電車やバスが遅れても、これは自分でどうすることもできませんから「まぁしかたないね」と考えてそれ以上は特に考えない・いらいらしない。
日本のニュースで、電車が運休したり遅れたりすると駅員さんをどなりつけている人をたまに見ますが、そんなことしても電車やバスが動くわけもなし。怒鳴ったり怒ったりするだけエネルギーの無駄だよね、と思いながらニュース見てます。
どうしても乗らなきゃいけない電車とかバスに乗り遅れそうになるとか、そんな特別な場合を除いて、走るとか急ぎ足で歩くとか、急いで移動するということも全くしなくなりました。どんな用事があっても、のんびり歩いて移動しています。
特にドイツで暮らし始めて間もない頃、自分では特に急いでいるつもりはないのに「そんなに急ぐなよ」と周りの人々に言われることが何度かあって、何をするのにも自然と急いでしまうのは、日本に住んでいた頃に自然と身についてしまった僕の所作の一つなんだなと気づかされました。
そんなことに気づいてからは、わざとのんびり行動するくらいがちょうど良いような気がして、あわてずに自分のペースでのんびり生活しています。ゆっくり行動しても、特に周辺の人々からとやかく言われることがないということも、僕にとっては良い効果としてはたらいているようです。
ちょっと困るのは、ドイツから日本に移動して滞在している期間中。東京などの大都市の主要駅・商業施設のような、絶えず大勢の人々が忙しなく行動している場所に行くと、僕はかなり戸惑いを感じてしまいます。
そういうときは、可能ならばまずは一旦、立ち止まる。
僕の中の時計はスローペースで時を刻んでいて、誰のペースとも違う。それが僕を僕たらしめていることだから、周囲のテンポに無理に自分を合わせることはせずに、のんびりと行動するようにしています。
反省してみると、自分一人で急いでも無駄だという気づきもありましたが、急いで・あるいは何かに急かされて行動することがなくなったと同時に、他者のことをあまり気にしなくなったように思います。
自分は自分自身のペースで行動する・あるいは生活していく。
周辺の人々の視線や精神的圧力を気にせず自分のペースで物事を進めること・他者を気にせず自分らしくのびのび生きることが、急がないこと・あわてないことの核心なんじゃないかな、と僕は考えています。