立候補制限選挙と首相殺害事件
日本の選挙は制限選挙制である。立候補が制限されている。
それは『月刊自治研』2019年3月号の片木淳「市民が主役の政治を取り戻すために―日本の選挙制度の抜本的改革」で詳しく指摘されている。
概して言えば、供託金、過剰代表、事前運動禁止、兼業禁止、被選挙年齢高止めという立候補制限だ。
供託金は、一定の得票数に満たなかった立候補者が金銭を徴収されるという制度だ。特に日本の供託金は世界最高級に高額である。供託金は選挙を非政治的宣伝の場にしないために導入されたことになっているが、日本のように以上に高くしても富裕層が非政治的宣伝をしており、導入目的に対する効果が乏しい。
過剰代表は、議席占有率が得票率をはるかに超えてしまうという問題だ。これはいくら投票率が上がったとしても、小選挙区制やゲリマンダーのような制度支配によって生み出されているものだ。
事前運動禁止は、選挙が始まる前にに有名人である候補が有利になる制度だ。
兼業禁止は、労働キャリアを途絶させてしまうので当選者は政界から抜け出せなくなる。すると、立候補者の生活基盤や自己認識は一般人ではなく政界人になってしまう。
被選挙年齢高止めは、岸田首相を襲撃した木村隆二が主張していたことで有名だ。成人としての義務と能力を有する若者から代表権を奪ってはいけない。
他にも、ポスター掲示板は大量の人員を抱えた候補は多くの場所にポスターを貼れるが中小候補は少ない場所しか貼れない。このことが、当選するには良い政策ではなく大量の人員を動員することが必要という現象を生み出してしまっている。
このように、日本の選挙は立候補が制限されている。
これによって様々な弊害が出ている。
まずは、議員の人材不足である。選挙の投票率は低いが、これは彼らの政治方針を代表する立候補者がいないからだ。民主主義なのに、庶民の典型であるスーパークレイジー君や二野宮茂雄のような候補すらほとんどいない。
次に首相暗殺だ。立候補制限の廃止を裁判で訴えた木村隆二は、その後岸田首相殺害未遂事件を起こした。そして安倍元首相が義士山上徹也に銃殺された。殺害未遂と元首相殺害が起きているので、首相殺害は怒ってしまうだろう。安倍は一見立候補制限選挙とは無関係に思えるが、殺害理由は立候補制限選挙に起因する。
というのもこれは別の重要な弊害、すなわち選挙の腐敗によるものだからだ。安倍が統一教会に接近したのは選挙運動を担う人手が欲しかったからである。そして、政策ではなく大量の人員で選挙運動をしないと当選しないような選挙制度は、立候補制限選挙でしかない。最近では東京都知事選で、蓮舫の一派が事前運動や演説妨害を行ったらしいが、これは自分で運動人員を確保できなかった蓮舫が神宮外苑再開発反対を条件に共産党に選挙支援を頼んだかららしい。安倍にせよ蓮舫にせよ、政策ではなく大量の人員による運動で当選が決まるので、不適切な団体と癒着してしまうというのは立候補制限選挙の弊害である。
もちろん、世襲議員の横行も問題だ。世襲議員は生まれながらの金持ちなので一般人と生活感覚が乖離しており、彼らが議会の多数派になるのは民主主義に反する。
そして、地方では定員割れが常態化している。立候補者が少なすぎて無投票した議員や首長が多く、民主主義が機能不全に陥っている。せめて地方選ぐらいは立候補制限を緩和すべきだ。
このように、日本の選挙は立候補制限選挙なので何かを根本的に変更する必要がある。それは地方と首都の一票の格差なんかよりもよほど重大で急ぐべきことだ。地方では無投票当選が続出して選挙が崩壊しているからだ。
最近の東京都知事選では、零細候補だけポスターを掲示板の枠外に貼るように指定されたので剝落しやすくなって不平等になったという事件が起こり、小林弘やアキノリ将軍未満が東京都を提訴したようだ。その他、河合ゆうすけは集団訴訟をする予定で、NHK党がポスター掲示板をジャックしたのはポスター掲示板を問題していたかららしい。ポスター掲示板は政治方針や政策ではなく大量の人員による運動で当選が決まるという問題を助長しているのでこの問題を社会に広く訴えかけるのはいいことだ。
ポスター掲示板に対して外山恒一が代表する九州ファシスト党は、よく見ると「最初から全候補者のポスターを貼った状態で掲示板を設置する」「現在の選挙公報のようなものを、各公共施設に必ず積み、また投票所にも置き、選管のサイトにも掲載する」といった実現可能な根本的解決策を提示している。これも参考になりそうだ。
その他「供託金制度に代わって立候補同意署名制度を導入する」等といったことが書かれており、竹中平蔵の供託金3000万円案なんかよりよほどためになることが書いてある。
さて、立候補者が当選するには大量の人員でポスターを貼って演説会にサクラを入れて……等といったことをやる必要があり、そのために裏金等が必要になっている。しかし、それは音楽を売るには握手会をやってアイドル事務所の支援を受けて高額支援客には性的な特典を与えて……等といったことをやる必要があり、そのために恋愛禁止や30代以上引退制度が必要になっているのに等しい。音楽を売るのにアイドル商法をするのは方法の一つではあるが、音楽の良さではなくアイドル商法が必要になるように音楽制度を制定するのは間違いだ。同様に、選挙で当選するのにカネと動員ゲームをするのは方法の一つではあるが、政治方針や政策ではなくカネと動員ゲームが必要になるように立候補を制限するのは間違いだ。政治を変えたいと思っているなら、「選挙に行こう」という精神論キャンペーンをするのではなく、立候補制限選挙を止めて今とは違う候補が当選するように制度を変えるべきだ。
少数派はこういうことがよくわかっているから、アキノリ将軍未満は当選を目標にしない政治運動に徹したし、れいわ新撰組は東北でのサウンドデモに徹したのだろう。
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