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「ルックバック 」を観て、自分を振り返る

11月8日にAmazonプライムで配信した「ルックバック」を鑑賞した。

映画公開した時からずっと気になっており、ラジオで芸人などが良かったと触れて更に気になっていた。
ただ、残念ながら結局タイミング合わず、映画を観ることが出来なかった。

DVDやら配信やらで観れるようになるまでとその場凌ぎのようにKindleで原作マンガを購入して読んでみた。

ご存知でない方のために簡単なあらすじを。

自分の才能に絶対の自信を持つ藤野と、引きこもりの京本。田舎町に住む2人の少女を引き合わせ、結びつけたのは漫画を描くことへのひたむきな思いだった。月日は流れても、背中を支えてくれたのはいつだって――。唯一無二の筆致で放つ青春長編読切。

Amazon 本の概要より

この漫画には、
自信、慢心、挫折、直向きさ、諦念、承認・賞賛、合力、達成、分岐、死別、絶望、後悔、感謝、再起  
といった言葉や感情が溢れている。

アニメはそこに音楽と躍動が加わり、私の心を揺さぶった。


何故ここまで感情移入するのか振り返った。


そう、私は"挫折を知る前の藤野"だったからだ。


物語では、学年新聞の4コマ漫画でみんなからチヤホヤされる小学校4年生の藤野。そんな中、京本という不登校の子に4コマ漫画の一枠を譲ることになる。


そのことに藤野はこう言う。

ちゃんとした絵を描くのってシロウトにも難しいんですよ?
学校にもこれない軟弱者に漫画が描けますかねぇ?

「ルックバック 」5p

マウンティングを取る藤野。

そんな藤野の自信は次の学年新聞で見事に砕かれる。
京本の絵はあまりに写実的、藤野の絵は京本と並ぶとフツーになってしまう。相対評価が顕になる。


藤野は田んぼ道を歩きながら、絵で褒められた思い出が蘇る。しかし、クラスの「藤野の絵ってフツーだなぁ!」で掻き消されてしまう。藤野は走り出してこう叫ぶ。

4年生で私より絵ウマい奴がいるなんてっ絶っっ対に許せない!

「ルックバック 」10p


幸か不幸か私の小中学校の頃には、"京本"という脅威、宿敵は現れなかった。
だからずっと「自分は絵が上手い!」ととんだ勘違いをして、過ごした。

高校2年生の夏、芸大・美大を目指していた私は美術の予備校で"京本の大群"と出会う。
井の中の蛙であることを自覚すると共に、藤野のように「高校2年生で私より絵ウマい奴がいるなんてっ絶っっ対に許せない!」という不屈の精神は持ち合わせておらず、夏の終わりには「芸大・美大」という言葉さえ発さなくなっていた。京本に負けて、諦めたのだ。


その後、美術と関係ない大学に進学し、下手の横好きで絵は描いていた。
私が学生時代で輝いた瞬間があったするならそれは学祭、文化祭の時期だ。これくらいの季節だ。


仕事でも以前の個人営業の頃には、お客様や紹介してもらった方に似顔絵をプレゼントしたりしていた。
時には結婚式のウェルカムボードを描いたこともあった。

最近は法人営業でビジネスライクなスタンスのため、絵を描く頻度はグッと減った。気分転換に描くことはあるが、何か無性に描きたいものがあるわけではない。

最近描いた推しのオードリー

若林 正恭
春日 俊彰




ルックバックの話に戻ります。
この漫画の最後のセリフ、アニメではわざわざ吹き出しとして映像に出る

「じゃあ藤野ちゃんはなんで描いているの?」

という言葉。

じゃあ俺はなんで描いているの?と自問した。


無性に描きたいものがあるわけではない中で、絵を描くのは"人を喜ばせたい、喜んでもらいたい"からであることに気づいた。


先日職場の後輩の似顔絵を簡単ではあるが久々に描いた。画力は衰えているが、それでも渡したらとても喜んでくれた。


私からすると大した苦労ではないけど、それでもそれはその人にとっては貴重なことなのだ。喜んでもらえるならいくらでも描こうと思える。


また自身の気分転換に絵を描くことは没頭に繋がる。最近ネガティブな思考になりやすい。


ふと若林さんの名言?を思い出す
"ネガティブを潰すのはポジティブではない。没頭だ"


そうなると、喜んでもらうために描いてもいるが、それだけじゃない。


わかったよ、京本。

私はネガティブを潰すために絵を描いているよ



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