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No.26 纏い 2024年 10月
「ひとはいつ教え込まれたのか (満たされてはいけない 立ち止まってはならない)言い聞かせてひとり歩いた。 それでも空は告げにくる。 ひとは満ち足りてしまうことが怖いだけではないかと。」 (「空をまとう」文月悠光) 中原中也賞受賞の詩集『適切な世界の適切ならざる私』からの引用。
我々、人間は独りで生まれ、独りで死を迎えるわけですが、その間、親・兄弟・友人を始めたくさんの人と関わり、たくさんの人から恩恵を受け、たくさんの人と利害を持ちつつ、社会的動物として生きていくわけです。 そして意識するしないに関わらず、幾層ものひだを心に纏い、様々な鎧を身に纏っていきます。
それは好き嫌いだったり、マインドだったり、行動特性だったり、知識や知恵だったり、立場や役割や肩書であったり、スキルや財産だったりします。 我々をとりまく宇宙や大自然には、意志や意図はなく、様々な偶然や偶発性も含めたパラメーターで現象が起きているという意味で「適切な世界」と言えると思いますが、我々ひとは、そこにうごめく「適切ならざる存在」と見ても面白いと思います。 即ち、「もっと適切な生き方」や「もっと適切な在り方」があってしかるべきだと一生思い続ける存在、今纏っていることやものが果たして真実なのかと迷い続ける存在であるわけです。 多元的宇宙やパラレルワールドの存在が物理学のフロンティアの拡大により、SFではなくなりつつある中、人生100年時代の現実化に伴い、「人間」という小宇宙においてのパラレル化が進むことは、必然であろうと考えます。 近年「アンラーニング」即ち「学びほぐし」が喧伝されていますが、「生きほぐし」を目指すことが「ライフシフト」の入り口であり、私の唱えたいことであります。 固定的で硬直的な知識や価値観を意識的に捨て去り、もう一つの、或いはもう二つの、三つの自分がありえる、仮想パラレルでも良いから、積年の「纏」を脱いでまず一歩を踏み出し、異なる価値を発揮できる生き方を模索することこそ、「適切ならざる私」からの「適切な世界」への回帰だと考えます。
ライフシフト大学はそのような多元的価値観を応援し、パラレルキャリアやパラレルライフの実現にトライする場です。 企業向けにも9月から「異業種共創ライフシフトキャリアラボ」というクールな研修プログラムを新たに立ち上げました。 6社の企業のミドル/シニアの社員の皆さんが集まり、越境体験を重ね、創発的な気づきと行動変容を目指す場です。 人生は壮大なラボですから、たくさんのパラメーターと出会い、自からを涵養し、閾値を超えていくことこそが「ライフシフト」であり、「生きる」ことそのものであると考えます。
※写真は昨年9月に撮影した富良野の青沼です。