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No.17 波 2024年1月

「春の海 ひねもすのたりのたりかな」 与謝蕪村

 誰もが知る蕪村の代表句。本当は春の句ですが、私は冬の海をじっと眺めていてこの句が心に思い浮かんだのです。 正月休みに久しぶりに育った街 鎌倉を訪ね、稲村ケ崎から七里ガ浜をのんびり歩き、茫洋とした海と、寄せては返す波を眺めつつ、来し方行く末に思いを馳せ、たゆたう時間。 真なるものからの問いかけに耳をすます そんな心境です

 昨秋にふと訪れた京都で西本願寺を訪ね、その堂に掲げられた扁額に書かれていた「見真」の二文字が爾来ずっと頭のどこかにあります。 親鸞の諡号(しごう~送り名)は「見真大師」ですから、まさに親鸞が終生求めた姿なのだと思います。 西本願寺のライブラリーでその時一冊の本を求めました。

 その本の中で、筋萎縮症に侵されていたモリ―・シュワルツ教授(米・ブランダイス大学)と教え子との最後の授業のシーンに出てくる朗読詩の箇所が心に響いたので、紹介します。

 「この間面白い小ばなしを聞いてね」とモリ―は言いだし、そのまま暫く目を閉じている。僕は待ちかまえる。 「いいかい。実は、小さな波の話で、その波は海の中でぷかぷか上がったり下がったり、楽しい時を過ごしていた。 気持ちのいい風、清々しい空気・・ところがやがて、他の波たちが目の前で次々に岸に砕けるのに気がついた。 『わあ、大変だ。 僕もああなるのか』

 そこへもうひとつの波がやってきた。 最初の波が暗い顔をしているのを見て、『何がそんなに悲しいんだ?』と尋ねる。 最初の波は答えた。 『わかっちゃいないね。 僕達波はみんな砕けちゃうんだぜ! みんな何にもなくなる! ああ、恐ろしい』

 すると二番目の波がこう言った。 『ばか、わかっちゃいないのはおまえだよ。 おまえは波なんかじゃない。 海の一部分なんだよ』」

 どうです? 私は、「生きる」という刹那と、誰にも訪れる「死」への向き合い方について、頭に雷が静かに落ちたように感じました。 冬の海をひねもす眺めていると、「ライフシフト」とは、「人生」への新境地に頭も心も体も転じることなのだと実感します。

 ※写真は、稲村ケ崎より臨む七里ガ浜と江の島(筆者撮影)

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