singular "they" と themself 【日曜英語史クイズ8】
クイズ
「単数の they」に関する記述を次に挙げました。ただし誤っているものが一つあるのですが、それはどれでしょうか?
年末特別編です。新年は短いもので始めますのでご容赦を。
性別不明の名詞や不定代名詞を受ける「単数の they」は16世紀にはすでに使用されている
18世紀にロバート・ラウスは they ではなく he で受けるのが適当であると著書 "A Short introduction to English grammar" で断じた
16世紀に3人称複数の再帰代名詞はそれまでの themself に代わって themselves が標準形になった
単数の they が American Dialect Society の2010年代 Word of the Decade に選ばれた
X での回答
多くの方から回答、リポストいただきました。ありがとうございました!
クイズの答え
正答は2【18世紀にロバート・ラウスは they ではなく he で受けるのが適当と、断じてはいない】でした。
今回の話題は「単数の they」です。
性別不明の名詞や不定代名詞を受ける単数の they は、例えば次のような使い方をします。
Everyone thinks they are right.
「皆、自分が正しいと考えている」
つまり「1. 単数の they は16世紀にはすでに使用されている」は事実です。
しかし18世紀になると「文法警察」が登場し、they の取り締まりが始まります。
ただし、同時代の規範文法家ロバート・ラウスは加担していません。少なくとも著書 "A Short introduction to English grammar" で直接言及はしていません。つまり「2. 18世紀にロバート・ラウスは単数の they は不適当で he が適当であると断じ」てはいません。
ラウスが槍玉に挙げたのは they ではなく、再帰代名詞 themselves でした。
ここで少し再帰代名詞の歴史に立ち寄りましょう。
再帰代名詞の古い形は、古英語期の「人称代名詞の目的格(対格)+ self」です。この頃の self は same を意味する形容詞でした。例えば them self という形でした。
それが中英語期に self は名詞であると再解釈され、複数形語尾を加えた selves が使われ出しました。再帰代名詞は「数」を持ったのです。
つまり「3. 16世紀に themself に代わって themselves が標準形になった」は事実です。語間のスペースの有無については、すいません、目をつぶってください。
また同じ頃に再帰代名詞は1、2人称は所有格(my-, our-, your-)、3人称は目的格(him-, her-, them-)という形に収斂し、現在の語形に固まりました。(橋本功『英語史入門』(2005) 7.6.1.3.)
この語形をロバート・ラウスは問題視したのです。詳細は省きますが、hisself, theirselves が正しい、という主旨の主張をします。しかし、英語の語法について甚大な影響を及ぼしたラウスの本著作ですが、固まった語形を揺るがすまでには至りませんでした。もっとも非標準英語としてなら hisself, theirselves は使われています。
なお私が確認したのは 1791年版です。もしかしたら別の版では異なる記述もあるかもしれません。特に単数の they について記述されているものがあれば、教えていただくとありがたいです。
R. Lowth "A Short introduction to English grammar " (1791年版) p.43 のリンクはこちら。
では「単数の they」に戻りましょう。
数百年来使用されている単数の they が、2010年代に新たな語用を獲得しました。Merriam-Webster's Word of the Year 2019 に選ばれ、さらに「4. American Dialect Society の2010年代 Word of the Decade に選ばれた」、という事実がその証左になるでしょう。(American Dialect Society の記事へのリンクはこちら)
「近年、they が自己の性自認が男女どちらでもない個人のために使われており、この語用が確立したことは疑いない」からと、Merriam-Webster は選考理由を記事で述べています。
対比して整理してみましょう。旧「単数の they」は前出の名詞を受けます。それに対して新「単数の they 」は個人を指します。また旧「単数の they」は「性別不明」です。一方、新「単数のthey」は言わば「性別無効」です。
そして興味深いことに、「性別無効の they」 と連動する再帰代名詞は themselves ではなく themself を使用するという現象が生じているというのです。
おっと、念の為に但し書きをさせてください。themself はあくまで非標準的、themselves が標準的な語形です。学習する際、あるいは使用する際はお気をつけください。
しかしながら、この記事は最終盤に向かって themself での着地を目指します。
「性別無効の they」を使うのは、例えば次のような場面です。
この描写は、「性別無効の they」には当事者が存在することを伝えています。
「性別不明の they」には、実体が存在しません(あるいは存在が感じられません)。それに対して「性別無効の they」には実体が存在します(あるいは存在が感じられます)。実体、つまり当事者が意思を持って選択し、他者に使用を促すものだからです。
上の例の、they の使用を望むジェイの友人の立場に立ってみましょう。they を使用するということはジェイの個性を認め、ジェイの個性への配慮や敬意を表す発話行為になります。そういう場面で再帰代名詞を使用するならば、私たちは themselves ではなく themself を選択するでしょう。簡単に言えば、ジェイという個人の存在を指すには単数形(正しくは、単数を想起する語形か)を使うでしょう。
もっとも、この単数形 themself の使用ということで言えば、何も21世紀に始まるものではありません。先ほど確認したように、1540年頃を境にthemselves が標準形の地位を獲得しました。そしてその陰で themself は「性別不明 の they」同様に単数名詞を受けるものとして、これまで数百年来使用されてきました(初例は15世紀、16世紀中頃から19世紀中頃の間は稀、とOEDは示しています)。とは言えそれは、先行する名詞が単数だから(everyone, the patient など)という形式的一致のための使用でした。
一方、「性別無効の they」と連動する現代の themself は、実在する個人を指す形、あえて言えば「個人形」としての使用と言えるのではないでしょうか。
16世紀以前 themself の-self は形容詞でした。その後-self が名詞と再解釈され、themselves ができて標準形に定まりました。その陰で themself は単数形として細々と使用されてきました。今 themself が新たに「個人形」として使用されつつあります。新たな人間性と関係性のために、言語の既存システムを組み替えて語用を生み出そうとする創造力が、themself に脈打つ様子を私は感じています。
なお OED は「個人形」themself の初例を2011年として、次の用例を示しています。
参考:堀田隆一『英語の「なぜ?」に答える 初めての英語史』(2016) 6.5