私は病気じゃない。

 私は病気じゃない。

 あまりにもSNSで発狂しすぎたのか、一時期双極性障害の知り合い複数名に「だいぶ双極性障害っぽいよ」などと言われていた時期がある。
 一番仲のいい、私の行動や性格、悩みを大体把握している友達が双極性障害と診断されているがその子にも「躁鬱の気はかなりある」「躁鬱だと思う」と言われた記憶があった。

 それでも私は元気だし、自傷行為も過量服薬もやめられないし自殺について考えることもやめられないけれど、外に出られるようになったし、元気だ。ここ数日だって、連続で人と会ってまともに会話することができたし、「私ってただ情緒が不安定なだけのメンヘラではないか」という疑念が頭を支配している。

 それに、私の周りにいる双極性障害の人はもっと症状が激しい。再三言うが、私は元気だ。私ごときが病人面するのは失礼ではないか。きっとそうだ。医者も「傾向がある」と言っただけでそうだとは言っていないし、きっと違う。私はただの情緒不安定なメンヘラ。躁鬱にしては短期間での乱高下が激しすぎるし、そんなわけはない。

 けれど、そうした病気であることを否定する思考とは反対に「やっぱり私は病的なのではないか」という思考も沸き上がってくる時がある。

 たとえば、急に「今の私ならなんでもやれる」だとかそういう気持ちになってあちこちいろんな分野に興味を示して手を出そうとしたり、無性にイライラしてツイッターやテレビで流れてくる全ての情報に反感を覚えて加害をしたくなったり、明らかに参入したら面倒になる話題に自ら首を突っ込んだり。
 これはストラテラの効果が発現しただけかもしれないが、今まであんなに億劫だった部屋の片付けを実行したり。他にもいろいろ思い当たる節はあるが割愛する。

 周りの人から見た印象としては、躁状態に近いように見える、らしい。鬱で本当に動けなくて精神科を何回もサボったような日もあるし、じゃあ私はやっぱり双極性障害なのか? 実際、友人に双極性障害を疑われたと伝えた時に精神科でもらった薬はよく効いている(自覚はないが、かなり大人しくなったらしい)。

 それでもやはり、私は病気ではない、ような気がする。私は他人の意見に影響されやすいため、親から言われてきた「あなたが精神疾患なわけはない」「すごく元気そう、私が精神疾患だった時は人と喋ることなんてできなかった」などといった言葉もこの思考の根底に存在するのかもしれない。

 そうした、なかなか面倒な思考を眠剤ハイで理性を失った状態によりTwitterの相互にすべてぶちまけた。互いに眠剤で理性が吹き飛んでいる状態だったが、とても親身に相手をしてくれたと思う。
 細かい内容のやりとりは割愛するが、そこで得られた結論は「病名にこだわるべきではない」だった。
 その通りだ。私が双極性障害でも精神疾患でもなんでもなくたって、‪自分が今困っている症状を緩和できる薬や治療法があればそれでいい。病名がついたところで何も変わらない。困りごとを解決して、健康的な生活を送れるようになる。それが本質で、もっとも大事なことだ。
 被害妄想や苛立ち、浪費、不可能な計画の実行etcに困っているならそれに合わせた薬を、希死念慮や自責感が激しかったり鬱で動けないのならばそれに合わせた薬を。症状が落ち着く薬があればそれでいい。

 そういうことで、私がここ最近抱えていた悩みはなんとなく解決したように思う。この文章自体も軽く眠剤ハイで、気分が安定した状態で書いているために、翌日の私が何を言っているかは想像がつかないが。

 私は病気じゃないかもしれないし病気かもしれない。とにかく困っていることは確かだ。だから、病気か否かなんてどうでもいい。

 少なくとも今はそう感じている。

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