北欧家具の知られざる歴史について
人気の北欧家具ですが、私たちが日常で触れていながら、その歴史について知る機会の少ない北欧家具について書いていきたいと思います。
そもそも何が北欧デザイン家具として定義づけられるのか?
リノベーションとも非常に相性の良い北欧デザインを知って、ぜひインテリア選びにお役立てください。
北欧と呼ばれる国々について
まずは本題に入る前に北欧と呼ばれる国々をおさらいしましょう。
一般的に北欧という場合、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンのスカンジナビア3ヶ国とフィンランド、またはこれにアイスランドを含めた5ヶ国を指すことがほとんどみたいです。
北欧というと極寒の地というイメージがありますが、実際にはノルウェー沖を流れるメキシコ暖流のため、他の同緯度の国と比べると寒さはおだやからしいですね。
それでも高緯度に位置しているため、季節によって太陽光の届き具合がかなり違います。
スウェーデンの冬は日の出が朝9時頃で、日中も完全に日が真上に昇ることはなく、ずっと夕方のような日差しが続きます。
治安はヨーロッパ諸国と比べるとかなり良い方で、衛生面も問題なく旅行先としても大変人気ですね。
国民性はおだやかで、少し人見知りなところがあり、日本人の性質とも似通っているそうです。
日照時間が短く、家で過ごす時間が長い北欧の人々にとって、機能的な家具や飽きのこないインテリアは、楽しく室内の時間を過ごすために欠かせないものみたいです。
今や世界的に普及した北欧デザインは、こうした北欧民たちのライフスタイルから生み出されました。
8世紀末ごろからヴァイキングによって他国との交易が始まる
北欧家具の歴史は8世紀末から11世紀半ばにまで遡ります。
その時代のスカンジナビアにはヴァイキングの存在がありました。
アニメ「ヴィンランド・サガ」はまさにこの頃のお話です。
略奪を繰り返す海の荒くれ者のイメージの強いヴァイキングですが、実際には入植や交易といった商業活動を目的としており、故郷に帰れば農民や漁民であったことが現在ではわかっているそうです。
他国から宝飾品を中心に様々なものを自国に持ち帰ったヴァイキングでしたが、その中には家具などの調度品も含まれていたことでしょう。
元々優れた造船技術と木工技術を持つヴァイキングが、入植地で学んだ家具の製造方法を自国に持ち帰り、広めていったのでしょうか。
時代は進み、14世紀にイタリアで始まったルネサンスがヨーロッパを北上し、17世紀に入ると北欧でも建築を中心にルネサンス様式が流行しました。
その後、デンマークの王族や貴族の間で流行した家具のスタイルはフランス・イギリスから持ち込まれたバロック様式、ロココ様式、ジョージアン様式へと変遷します。
腕の良い家具職人は、これらのスタイルを真似て家具を製作し、王族や貴族に納めていました。
この時代にはまだ北欧オリジナルのデザイン家具というものはなく、家具デザイナーという職業もありませんでした。
一方で、デンマークのコペンハーゲンに家具職人組合が16世紀中頃から存在していたことからわかるように、家具づくり自体は国内で盛んに行われていました。
20世紀初頭から勃興したモダニズム運動
20世紀に入り、ドイツの総合芸術学校バウハウスを中心としたモダニズム運動がヨーロッパを席巻していました。
校長である建築家のミース・ファン・デル・ローエは「より少ないことはより豊かなこと(Less is More)」
という標語を用い、バウハウスは工業的な大量生産を前提とした合理主義・機能主義を掲げています。
無駄な装飾を排除し、金属の鋼管を曲げてフレームにするなど、それまで家具の生産には使われてこなかった素材や技術を応用して新たな価値観を提唱しました。
このモダニズム運動は当然隣国のデンマークにも波及しました。
そしてデンマークではそれらが独自の進化を遂げていきます。
北欧家具の黎明期ーコーア・クリント
コーア・クリントは「デンマーク家具デザインの父」と呼ばれ、後の黄金時代の礎を築いた方です。
北欧家具の生みの親のような人物です。
彼はモダニズム運動の中にあって、過去の伝統と決別するのではなく、むしろそれと真摯に向き合い、調査・分析・研究を行うことでデザインし直す「リ・デザイン」という方法論を確立しました。
「古典は我々よりもモダンである」
という彼の言葉は、先人の残したものに対する尊敬の念の表れています。
クリントは人体と家具の相関関係、および収納家具のモジュールなどについても研究しています。
1:1.414の白銀比から導き出された数字をインチ規格で人体各部の寸法に割り付け、家具デザインに応用していきました。
また一般的な家庭にあるシャツやコート、下着や靴下などのリネン類から食器やその所有数にいたるまでを徹底的に調査し、それら生活用品が効率的に収納できるよう、家具の引き出し寸法や配置を決めています。
すごい探究心ですね。
家具デザインの流行最先端はアメリカへ
第二次世界大戦後、工業デザインの中心はベルリンのバウハウスからアメリカへと移りました。
自国内を戦地としなかった戦勝国のアメリカは、産業の復帰が他国よりも早く、
さらに軍事産業から生まれたFRP(ガラス繊維強化樹脂)やプライウッド(成型積層合板)を用いて、バウハウスの流れを汲みながら生産量を一気に増やせる、シンプルな形状で、デザイン性の高い家具を生み出しました。
後にミッドセンチュリーとひとまとめに呼ばれるほど定着したこのデザインは、戦地から帰還して家を持つ兵士たちを筆頭に、アメリカ国内で爆発的に普及しました。
チャールズ&レイ・イームズ夫妻やジョージ・ネルソンを代表とするアメリカンミッドセンチュリーのデザイナーたちは、
家具だけにとどまらず、建築、映画制作、写真、グラフィックなど、モダンデザインのパイオニアとして一時代を築きました。
北欧家具の中心であるデンマーク人デザイナーたちは、この大きな潮流の中で、
独自の文化や価値観を基盤としたスカンジナビアンデザインを発信し続けます。
戦争によって疲弊した自国の産業振興策の強力な後押しもありながら徐々に注目を集めることとなります。
デンマーク家具の黄金時代
1950年にアメリカの雑誌「interiors」でデンマーク家具の特集記事が掲載されます。
誌上ではピーコックチェアやシェルチェア・チーフティンチェアが紹介されます。
これをきっかけにモダンで温かみのある北欧デザインがアメリカに広く知られるようになります。
54年から57年にかけてアメリカとカナダの24の美術館を巡回した展示会は6万5千人以上を動員し、北米市場におけるデンマーク家具の人気を定着させたようです。
当時ニューヨークの5番街で銀細工ブランド、ジョージ・ジェンセンの輸入代理店を営んでいたデンマーク移民のフレデリック・ルニングは、スカンジナビアのハンドクラフト製品を販売しました。
1951年、彼は北欧出身のデザイナーを対象にした「ルニングプライズ(ルニング賞)」を創設し、受賞者は賞金で国外へ勉強に行くシステムになっていました。
第一回目の受賞者はハンス J.ウェグナー。
すでにコペンハーゲンの家具職人組合が催す展示会で注目を浴びていたデンマーク人デザイナーです。
現在は家具デザイナーとして最も成功した人物のひとりです。
ウェグナーもコーア・クリントの「リ・デザイン」ー過去の歴史・様式を見直し、それを時代の需要に合うように再構成するーという方法論を受け継いでいました。
古い概念を壊し、斬新な物をデザインするモダニズムが主流となっていた時代において、
ウェグナーの生み出す家具は大胆な形状と高い機能性を持ちながら、人間らしい温かみのある作品に仕上がっていました。
そのクラフトマンシップを象徴する家具として「チャイニーズチェア」が挙げられます。
この「チャイニーズチェア」は中国・明時代の椅子である、圏椅(クァン・イ)にインスパイアされて生み出されました。
そしてその後もウェグナーは、より強く、量産できる椅子を求めて改良に改良を重ねていきます。
1950年に発表された「Yチェア」は後に世界で最も売れた椅子となり、同時に世界で最も有名な椅子となりました。
「ザ・チェア」は1960年に民主党のケネディ氏と共和党のニクソン氏の、大統領選初のテレビ討論で使用され、一躍有名になりました。
このようにハンス J.ウェグナーは椅子の神様とも呼ばれています。
北欧家具の4大巨匠たち
ハンス J.ウェグナー、ボーエ・モーエンセン、フィン・ユール、アルネ・ヤコブセン。
彼らは先人のクラフトマンシップを引き継ぎながら、時にアメリカンミッドセンチュリーと融合し、新たな潮流を生み出しました。
北欧家具の4大巨匠として名が挙がるこのデンマーク人デザイナー達です。
デンマーク家具の衰退期
北欧家具は1940年代から60年代に黄金期を迎え、そして70年代以降、長い衰退期に入っていきます。
衰退期の要因はいくつかあり、
・元々小規模であった工房にオーダーが殺到したことでこれまで家具デザイナーと建築家が協力して新作を開発する余裕がなくなってしまったこと。
・工場での大量生産への移行により腕の良い後継者が育たなくなってしまったこと。
このような原因がありました。
そして60年代後半から流行したヒッピーに代表されるポップカルチャーの台頭、ポストモダンのムーブメントが衰退に拍車をかけます。
IKEAのようなカジュアルでコストパフォーマンスを追求した家具が若い世代に受け入れられ始めたことも強く影響しました。
かつて隆盛を誇った家具メーカーはこの時に次々と廃業や倒産・買収に追い込まれていきました。
デニッシュモダンの再評価と北欧家具のさらなる進化
1990年代中頃、ポストモダンやハイテクといった前衛的なものに食傷気味となった人々の目は、再びオーガニックでミニマルな北欧デザインの魅力に気づき始めます。
それまで倉庫に山のように積まれていたヴィンテージ品がひとつまたひとつと売れていき、やがて価格が高騰して手に入らなくなっていきました。
この再評価の流れは2000年代に入ってさらに加速し、インターネットやメディア・雑誌を通じて、世界的に北欧インテリアというジャンルの定着を決定的なものにします。
その後、IKEAのようなローコスト家具と黄金期に作られた高価な家具の二極化になりつつある状況になったようです。
復刻生産という新たなブーム
2000年以降のもうひとつのトレンドが黄金期家具の復刻生産です。
復刻生産に対する考え方はメーカーにより様々で、工作機械を用いて効率的に生産するメーカーもあれば、できるだけ黄金期と同様の加工方法にこだわって復刻を行うメーカーもあります。
受け継がれるクラフトマンシップ
デンマークを中核とする北欧家具の歴史は、現代においても世界の優秀なクラフトマンたちによって脈々と受け継がれています。
素材やフォルムへの探究心と人々の暮らしに対する深い愛情、そして執念とも呼べる「リ・デザイン」の精神が今日の北欧家具を世界中に広めました。
彼らのクラフトマンシップは実に半世紀の時を超え、私たちに豊かな暮らしを提案し続けてくれていますね。
まとめ
私たちが普段何気なく使っている物にもこのようなルーツがあるのでしょうね。
知ってしまうとその魅力に気づいたような気持ちになって、もっと知りたくなりますよね。
無垢材とも相性の良い北欧家具は、どんなインテリアにも馴染みます。
知れば知るほどに魅力が深まるヴィンテージ家具ですが、世界中で熱狂的なコレクターも多く、私もいつかは手に入れたいと思います。
家具についてのご要望等、心よりお待ちしております。
それでは。
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