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【三国志】俺たちの生存戦略 「何進」

後漢王朝は、皇族(とその分身たる宦官)、外戚、士大夫の三つ巴の争いにより、崩壊が加速。
その争いの中心にいたのが大将軍・何進です。

三国志専門TikToker、張叡さんの作品からの抄訳です。

(一)何進、世に出る

何進は屠夫の家庭に生まれている。
彼が少年だった頃、母親が亡くなり、父親が後妻を迎える。
後妻には連れ子がいた。名前は苗と言う。
その子が何進の弟になった。
しばらくすると、父親と後妻の間には、二人の娘が生まれた。

数年後、父親が亡くなる。
何進は屠夫の仕事をして一家を養った。
父の後妻と、血のつながらない弟、そして同じ父を持つ二人の妹の生計を、何進は一人で支えた。

ある日、役人が家にやって来た。
そして上の妹を強制的に連れ去った。
上の妹は後宮に入れられた。

数年後、何進たちは首都の洛陽に移住させられた。
上の妹が貴人になったからだ。
何進は郎中に任命され、皇帝の側近となる。

(二)宦官の企み

字も読めない妹が、なぜ後宮に入れたのかは謎だった。
その答えは宦官たちにあった。
漢の時代では、宦官、外戚、士大夫という三つの勢力が互いに争っていた。
外戚と言うのは宋皇后の一族だ。
宋家は、後漢建国の元勲である宋昌の子孫で、章帝の時代には貴人を輩出するなど、その基盤は非常に強い。

宦官たちにとって、実権を握る外戚との争いは、あまりにもやっかいだった。
そこで宦官たちがとった戦略。
それは庶民から選んだ女性を、妃に育てあげることだ。
妹が彼らの目に留まる。
宦官の支援のもと、妹は順調に出世し、貴人となった。

宦官の考えはこうだ。
まず妹を皇后に据える。
兄の何進は、皇帝の義兄になるから、外戚として高い地位を与える。
そして彼らを傀儡として操る。
何進たちは屠夫の家に生まれた庶民で、何の基盤も持たない。
宦官のほかに頼れるものはないから、宦官に歯向かうことはない。

すべては計画通りに進んでいた。
宦官たちの差配により、妹は皇帝の寵愛を受ける。
そうして妹は皇子を産む。
皇帝にとって最初の皇子だ。
宦官たちはこれを理由に、皇后を廃し、妹を新たな皇后の座に据えた。
そして、下の妹は宦官の筆頭たる張譲の養子と結婚させ、宦官たちとの結びつきを強めた。

何進は虎賁中郎将、潁川太守、侍中と次々に役職を得ていく。
そして河南尹、すなわち首都の長となる。
宦官が宮中を掌握し、何進には宮中の所在地たる首都を掌握させ、妹には皇后として皇帝を掌握させた。
こうして宦官は天下を手中に納めた。

(三)士大夫の反撃

河南尹となった何進は、地元の潁川の名士たちと知り合う。
後漢時代の潁川には多くの有力一族がおり、名士が多い。
後漢建国の功臣である雲台二十八将のうち、七人までもが潁川の出身だった。
名士たちの筆頭は、荀、鐘、陳、韓の四家だ。
彼らは汝南の袁家、河内の司馬家、南陽の何顒家と関係が深い。
何進は士大夫たちを部下に迎え入れ、彼らを保護する。

数年後に王という姓の妃が皇子を産んだ。
皇帝の母親である董太后は、この小皇子を可愛がる。
そもそも董家は庶民出身の何家を蔑んでいた。
董家の働きかけで、皇帝はますます小皇子を愛し、皇太子への愛は薄れていく。

士大夫たちが何進に忠告した。
「以前、宋皇后の一家がたどった末路を思い出して下さい。
全員殺され、姻戚関係があった曹操も免官されました。
あなたが生き残るには、小皇子の母である王夫人を殺すしかありません。
董家が彼女を引き立てるのを阻止するのです」
こうして、王夫人は毒殺された。

董太后は驚き、小皇子を董家に連れて行き、かくまった。
董家が皇后を立てる望みは絶たれたが、皇帝は依然として小皇子を可愛がっている。
この小皇子を太子に立て、将来の皇帝にすれば、董家が何家の上に立てる。

士大夫たちは何進に言った。
「もし事が起こったら、宦官たちはあなたたちを見捨てるでしょう。
誰も頼りにしてはなりません。
ご自身が強くなることが唯一の解決策です。
軍功を立てて、大将軍になり、賢才を広く招き入れるのです」

西暦一八四年、何進は太平道の馬元義の反乱を鎮圧した功績で、大将軍に昇進。
そして、袁紹や王允をはじめとする天下の名士を招き入れる。
同時に、袁紹の叔父で司徒の袁隗と盟友関係を結び、士大夫たちとの絆を深める。
士大夫たちの支持を受けて、皇太子を皇帝にするつもりだった。
一方で、董太后は宦官と手を組み、小皇子を皇帝にする策を練っていた。

袁紹の叔父である袁隗が、何進に耳打ちした。
「全ては漢王朝のためです。
国を救えるのは士大夫だけです。
宦官に国を渡すわけにはいきません。
これしか道はないのです」

そうして、ある夜、皇帝が亡くなった。
何進と袁隗は、皇帝の亡骸のそばに立ち、詔書を発表。
皇帝が皇太子に位を譲ったと宣言される。
ただちに董家の邸宅を包囲する命令が出される。
董家の外戚である、驃騎将軍の董重は自殺。
董太后も病死ということにされた。
宦官たちは恐れてすぐに降伏。
全てがうまく運んだ。

(四)何進の最期

董家は滅び、何進と士大夫たちが勝利した。
士大夫たちは宦官を全員処刑するよう主張。
しかし、何進は気が進まない。
何家の今があるのは宦官のおかげだったからだ。

袁紹が言う。
「慈悲深い大将軍が、宦官を皆殺しにするのは忍びないということなら、止むを得ません。
しかし、董家の者たちが残っています。
彼らは宦官と結託して報復を図るに違いありません。
西涼の将軍・董卓を呼び、睨みを効かせましょう」

何進は疑問に思った。
「なぜ董卓なんだ?董卓は信頼できるのか」

袁紹は言った。
「董卓には兵を三千人だけ連れて来させるのです。
われらには北軍五校、西原八校の軍隊がいます。
しかも、董卓は私の叔父、袁隗が取り立てた者ですから、裏切ることはありません。
董家は西凉の豪族・段頎とつながっています。
が、西凉軍の主力をわれわれの手元に置けば、彼らが段家を頼ることはあきらめるでしょう。
こうして何進は袁紹の献策を受け入れた。

しばらくして太后、つまり上の妹が何進を宮殿に呼ぶ。
袁紹と袁術は警戒し、軍隊を出して何進を護衛しようとした。
「妹が俺を害するわけがない。
何を警戒しているんだ?」
何進は笑い飛ばした。

何進が宮殿に入ると、中にいる宦官たちが一斉に刀を抜いて向かってきた。
「なぜだ?お前たちを許したのに、なぜこんなことをするんだ?」
宦官たちは言った。
「破れかぶれだ。今日はお前を殺して一緒に死ぬ」
そして何進を斬り殺した。

(五)政局の真相

何進は死ぬと冥界に入った。
すぐに弟の何苗も冥界にやってくる。
数日後には上の妹と継母もやってきた。
「なぜ俺たち何家は皆殺しにあったんだ?
誰が俺たちを害した?」

困惑していると、冥界の番人が教えてくれた。
「何進、お前は本当に単純だな。
お前を始末したのはお前の継母と弟妹たちだ。
真相を教えてやろう」

宦官たちは、継母と上の妹、異母弟の何苗をそそのかした。
「何進は同じ腹から出ていないから一心同体ではない。
遅かれ早かれ、誰かと手を組んで、お前たちを始末するだろう。
だから先に手を打つのだ。
そして何苗が何進にとって代わればいい。
そうすれば何家は安泰だ」

上の妹がこれに同意。
勅旨を出して何進を宮殿に誘い込み、宦官たちに殺させたのだった。

一方、士大夫も何進の味方ではなかった。
袁隗、袁紹、袁術、王允らは、何進を使って董家と宦官を排除してから、何進を始末するつもりだった。
何進は彼らの操り人形に過ぎなかったのだ。

何進が馬元義の乱を鎮圧したのも、士大夫と黄巾軍が実は裏で繋がっており、士大夫たちが何進を大将軍の座に押し上げるために、戦功を立てさせたに過ぎない。

袁紹は、何進の名のもとに各地で宦官の家族を捕らえていった。
だから何進は宦官たちに恨まれていた。
袁紹は董卓軍を呼び、何進に宦官を追い詰めさせた。
こうして宦官と何進が刺し違えるように仕向けたのだ。

士大夫たちはまた、何苗に早くから手を回していた。
何進が死ぬと、仇討ちといって何苗に宦官を殺させた。
仇討ちがすむと、士大夫たちはすぐに何苗を始末し、何家は滅んだ。
何家の人々は士大夫たちに転がされていたのだ。

何進は冥界の番人に聞いた。
「俺は正義づらした士大夫たちに騙されていたというのか?」
番人は言った。
「まあな。でも、報いというものはあるものさ。
誰も逃れられない。
董卓が裏切ったから、士大夫たちの暮らし向きも今は良くない」

何進は番人に尋ねた。
「それじゃあ、董卓が最後の勝者になったのか?」
番人は微笑んで答えた。
「勝者になるのは董卓ではない。
袁紹、袁術でもない。曹操も違う。
まあ、屠夫のお前が、この争いに偶然にも参加できたこと自体が、貴重な経験だったと思うことだな」

出典:抖音「星彩她爹讲三国」"士族生存法則"(作者:張叡氏)

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