疎外 前回まではまあネタみたいなもんだったんですが(少なくとも私が消化できる範囲内では)、ここからはちょっと根深いなあと思うところに入るわけです。 何十時間という長さでドライブするうち、いろんなところが見えてくる。音楽をかけて、いろんなクイズをして時間を過ごしていくという一見わくわくに満ちたドライブで自分が苛立ちを覚えるなんて思ってもなかった。音楽とクイズ。今回はここに焦点を当てながら話を進めていく。 ****** 日本で英語を勉強していれば、「洋楽を聴くといい
「東大生なのに学校の先生になるなんてもったいない」 「そんなに英語がしゃべれるのに日本で働くなんてもったいない」 進路に悩む大学4年生の私が、幾度となくかけられてきた言葉。 うるせえよ。私の人生に口を出すな。 苛々してそう思うことも少なくはない。 でも。でも。私だってそう思うときがある。 *** 恵まれた人生を送ってきた。決して裕福とは言えないけれど経済的に安定した家庭で、教育に惜しみなくお金をかけてもらえ、いつだって家に帰ればほっとする空気があって、時に十分すぎると
運転免許証事件 ハリファックスという街で起きた衝撃の事件について。 旅行も後半の夜、せっかく街らしい街に来たからとみんなでバーへ。 入るなりIDを確認される。 基本的に年齢確認なのだが、けっこう厳しい。数ヶ月前に初めて友達と大学近くのバーに行ったとき、学生証では絶対に入れてくれなくて、「政府が発行したもの」の一点張り。泣く泣く運転免許証を家に取りに帰った。 それ以降は免許証は持ち歩き、学生証とセットで見せるようにしている。というのも日本の免許証は英語が1ミリもな
留学生活の折り返しである2ヶ月前から、色々あって大学のレジデンスに引っ越した。3階建てに15人の交換留学生が住む小さくて大きいおうち。 その家の同居人を中心とした10人で、学期の中休みを使い、7日間のドライブ旅行をすることになった。行き先はニュー・ブランズウィック州、ノバスコシア州、そしてアメリカのメイン州を経由してモントリオールに帰還する。2つの国立公園でのハイキング、いくつかの街の散策が目玉である。 アルバムに写真をひとつまたひとつと貼り付けるように、無数の思い
Indigenous Anthropology の教授は授業の80分間ずっと「語る」。モノローグを延々と垂れ流す。最初は好きだったけれど、人の話を聞かずに自分の言いたいことに全部引きつけていくのに気づいてからはげんなり気味。 でもたまにいいことを言う(ひどい)。はっとさせられる。 「私たちは母語を生まれたときから使うが、母語は自分よりもずっと歳を取った存在である。わたしたちは言語を通して外界を認識しているが、その言語というものは悠久の時をかけて他の人たちによって形作られて
1年前、あなたは言った。「ハレとケの往復を繰り返す日常の中で、ハレにおいて束の間の楽しみを味わっては、ケに戻っては空虚な日常を実感してつらくなる。このまま一生を終えるのが怖い。」 このことばを私は軽んじていた。 ある人と住んだ。完全リモートで働く社会人のこの人の家で、週の半分近く寝泊まりする生活も、はや2ヶ月になった。 大きくて仄暗い寝室で、机に向かってファイルを埋め、電話に対応するあの人。ベッドに腰掛けながらシラバスを読んで課題を確認する私。留学生の身分で優先度を決め
書きたいのか書きたくないのかすらわからない、そんな夜更け。noteにもぞもぞやってきて、ともだちの文章を読んでしなびていたのが少しなおったような、もやしの気分。 Instagramで新しい趣味を募集してたくさん送られてきた案のどれにも手をつける気になれないような、そんな気分。 実は民族誌の手直しをため込んでいるし、教職の勉強もそろそろ始めた方がいい。フランス語の勉強を再開することもきっとすてきだろうし、たぶん英語もやったほうがいい。 でもなんだか何をするにも心の中
自分の人格形成を振り返ってみよう。 急にどうしたという感じだが、大学に来るとやっと自分が「周りと一緒」ではないことに気付いた。自分が特別だとかそんなのではなくて、画一的な環境にいた蛙さんこと私が大海原のきらめきを見たということ。え? ともかく、色んな人がいるということである。 自分を相対化して見つめてみるとデカい存在に思い当たる。それが弓道。 私は中高6年間弓道部にいた。以下に活動内容を軽く紹介する。完全に忘備録というかノスタルジックの産物なので適当に流してほしい。 突然
ずっと覚えている人がいる。その人を語ることは、私の心の原風景を探ることかもしれない。そう思ってこのnoteを書いてみることにするが、言葉にしてしまうことが少し怖いような気もしている。 その人はマスクをしていた。年がら年中マスクをしていた。今ではふつうになってしまったから、そのぶんこの言葉に余計味わいが出てしまうかもしれない。ともかく、私が中学1年生だったあの頃、そんな人は稀だった。 はじめて会った春、その人は高校2年生だった。今では別なことが多いが、私が入った当時、弓
"To travel is to live." -Hans Christian Andersen 大学生になって、素敵なご縁があり、長い休暇には必ず旅行に行くというライフスタイルがはじまった。遠くは九州北部、北陸、山陰。関東もあちこち。故郷の高知も、はじめて旅行という目線で歩いた。 同行者は旅行を「非日常」と位置付ける。同じような毎日のぐるぐるからの解放としての旅行。10時間近く電車に揺られたり、時間を忘れて温泉に浸かったり、知らない街を気ままに散歩したり。このた