大貫隆『新約聖書ギリシア語入門』(岩波書店、2004年)について。
新約聖書は古典ギリシア語の中でもコイネーと呼ばれるギリシア語で書かれている。コイネーとは共通語を意味し、プラトンやアリストテレスやイリアスのギリシア語とは異なり、文法的な違いが指摘される。古典ギリシア語を読めれば新約聖書ギリシア語は読むことができると言われているので、古典ギリシア語を習得する人も多いかもしれない。あるいはコイネーの方が簡単だと聞いたことから、聖書が読めれば良いのでこちらを勉強するという方もいるかもしれない。ところがその二者についての違いは、田中・松平の『ギリシア語入門』では、神田盾夫の『新約聖書ギリシア語入門』を学べと書いてあり、どういう区別があるのかなかなかつかみどころがない。大きな違いは人称代名詞の用い方や分詞の複雑さにあるのだと思うが、それこそ読んで違いに気が付いていくものなのであろう。
古典ギリシア語に興味を持つすべてのひとに薦めたい教科書がある。それが本書、大貫隆氏の『新約聖書ギリシア語入門』である。先に述べた大まかな違いというのはまさにこの本に書いてあったことの受け売りである。古典ギリシア語入門の構成には、時称の変化を中心に進めてμι 動詞で終わる構成の田中・松平のようなものもあれば、語形の変化を中心にμι 動詞を早めに持ってきて分詞と接続法を後に持ってくる水谷氏の『古典ギリシア語初歩』のような構成がある。評者は大学時代に田中・松平で学び、学び直しに水谷の教科書で学んでおり、学習者の置かれた環境と進度によって一長一短であることを感じる。本書の大貫氏の新約聖書ギリシア語入門は構成としてはμι 動詞で終わる田中・松平を踏襲していると言えよう。
大貫隆氏の著書『イエスという経験』は新約聖書を原文で読んでこそ見えてくる学問の世界の豊かさを伝えてくれるものであるのだが、本書に付されたコラムはその実践編と言える内容である。文法的なことを通して見えてくる原文の豊かさがちりばめられているのである。しかし、ギリシア語を学び直している過程で、田中・松平では説明が十分になされていても具体的な例文ではわからないことが出てきたり、水谷では練習問題に説明されていない文法事項が出てきたりすることがある。大貫氏の本書はそういった文法事項が積み木のように丁寧に説明されながら積み上げられており、それの説明が豊富な例文とともに補強されているのである。そしてこの種の本ではなかなか見られない、模範解答が付されているのである。コラムだけでなく本文もまた万遍なく新約聖書ギリシア語を学ぶ読み物として充実しているのである。そして本書の叙述は新約聖書ギリシア語に留まらず、古典ギリシア語との違いを明記してくれてもいるので、古典ギリシア語の学習者にとっても大きな助けとなるであろう。
長々と説明が続いたが、読者にはぜひ本書を手に取って確かめていただきたいページがある。それは30頁と83頁の名詞・形容詞の変化と動詞の変化を纏めたページである。本書の叙述には学習者が実際に辞書を使い始めて学ぶ際に躓きとなる事項の一つひとつを丁寧に取り上げて説明するという特徴があり、その最たるものが上記の二ページなのである。たとえアプリで語形変化が一瞬でわかる時代だとしても、自分で辞書を引きながらテクストを読もうとする読者にとってこれほど痒い所に手が届く本は中々ないのではないだろうか。これから学ぼうとする人にとっても、すでに新約聖書ギリシア語か古典ギリシア語を学んだ人にとっても手許にあると頼りになる一冊に思われる。