アメリカに来てから気付いた「だから日本の子ども達が楽しいをモチベでスポーツをすれば伸びる」の視点
こんにちは。
カリフォルニア州ベイエリア在住の元熱血ママyasugoです。
私が一家でカリフォルニアに移住して3年目。
そんなに長い時間ではありませんが、娘は2年制大学で2年間バスケ部に所属後に引退して、UCバークレーに編入。息子はミドルスクールからハイスクールに進学して初心者からバスケを始めました。
この間で感じた日本との違いは沢山ありますが、それとは別に脳科学や心理学を学んでから、私自身の視点が180度変わりました。
視点が変わって、思考も変わったからこそ見えた日本の良さや強みがあります。
当たり前だとしてきたことが、レベルの高い日常の繰り返しだったり、今もその環境で日々スポーツに励んでいる子ども達やその保護者の皆さんにとっての毎日の積み重ねが
「当たり前じゃない=自信の源」
に変わってくれたら嬉しいなと思いながら発信をしています。
私はnoteやブログの中で、日本で子育てをしていた頃に超熱血ママだったことが、娘の自己肯定感を低くしてしまっていたと綴っています。
娘のプレーにおける積極性のなさを憂いて、ずっとポジティブ思考を押し付けてきました。もちろん、いつの時代も娘に良かれと思ってやってきたことですが、結果としては逆効果となってしまいました。
私の思うペースで行動をしないことをダメだとみなしてしまって、娘の良い部分が見えない状態だったのです。
脳科学を学んだことで、目に見える事実は膨大な情報量の中から自分が抽出したことしか見えていないと知ってから、私が見ている現実を疑うようになったことが最初の自身が変わるきっかけでした。
そこから私の思考が変わっていけたのですが、口うるさいことや、あれしろこれしろと言うこと自体はアメリカでもよく見る光景なのです。
むしろ、私の超熱血ママ時代をもってしても敵わない強烈なママ達の多いこと…笑。私のやってきたことを話したり見せたりしたところで、
「それの何がいけないのかしら?」となるかも。
アジア系のママ達を数人知っていますが、中国、韓国、インドは日本人よりも子どもに求める学力の高さに厳しいと感じますし、スポーツや生活態度においてもフィリピンママはマイルールに子どもを従わせる強さを感じます。
アメリカ人コメディアンのジョー・コイはフィリピン人ママの話をよくネタにするのですが、看護師になれという母親にコメディアンになりたいと告白した時には「あんたを面白いと思ったことはないのに、何をバカなこと言ってるの!」とバッサリ斬られたそう。
私はこれに大爆笑してしまったのですが、実際にアメリカの病院にはフィリピン人の男性看護師が多いので、フィリピンママの看護師推しは鉄板みたいです。これと言ってなりたい仕事もないし、親孝行にもなるからと看護師になった人も多いそう。
ラテン系ママも愛情もたっぷりだけど、ゲームやスマホを取り上げたり、外出禁止にしたりとなかなか厳しい印象です。
アメリカ人ママも人種を問わず、子どものことに口を出すことは当たり前のスタンスなので、熱血ママだらけと言っても過言ではないのですが、日本との決定的な違いがありました。
それは学校の自由度です。
髪型、髪色、服装の自由から始まり、多くの子がピアスも赤ちゃんの頃からしていますし、ハイスクールまで朝ごはんやおやつの時間があります。(保育園の乳児みたいなスケジュール…)
チップスのようなお菓子も持っていけます。
学校でパジャマDayというイベントもあるのですが、そうじゃなくてもパジャマで登校している子も見かけます。
上履きもないのですが、体育館履きもありません。ちなみにサンダル登校も可。
授業中のスマホ利用はNGですが、ミドルスクールでも持ち込みはOKでした。
ちょっと逸れますが、数学で計算機の使用OKです。(もちろんテストも)
16歳から自分で運転して通学もできます。(夜などの規制なく運転ができるのは18歳から)
日本のような厳しい校則は存在せず、本当に自由だなと思います。
あってもガム禁止ぐらいなので、ガムはダメな意味…と思いましたが、机の裏とかにくっ付けると掃除が大変だからかなと思いました。
子ども達は学校で掃除の時間がないので、掃除するのは大人です。
部活でもコート整備を選手がやらないのですが、これは生徒の活動時間に制限があることが理由かもしれません。ハイスクールでは18時間/週と決まっていて、ここに試合時間も含まれます。
最初は試合30分前に現地集合なのも驚きましたが、活動時間の制限が理由だとすれば納得です。
日本の部活だと強豪校では18時間/週の活動時間には収まらないでしょう。娘はコロナ禍前だと遠征や合宿を含めて年間360日近く部活がありましたが、息子はシーズン中でも基本的に日曜日はオフです。
こんなに自由度が違う環境で、ちゃんとやることを自分に課しているキッズアスリートや学生アスリートが日本には沢山います。
学校でも、チームでも「こうあるべき」の基準がとても高くて、制限された中で子ども達は学校生活を送っているのです。
欧米の文化では、子どもが思春期になっても叱った後でもハグをしたり「愛しているよ」を毎日のように伝えますが、日本人には文化的に子どもとの距離感的にもそれが許されません。
日本では子どもが思春期になると、親とハグをすることも稀になってきます。
それこそ、試合で勝った時や試験に合格した時などの大喜びシーンに限定されます。
だから、子どもの楽しいを全力で見守り応援する親の姿勢が「子どもの可能性を無限大♾️にする」最短で最強のサポートとなり得るのだと確信しています。
あれをしろ=あれができてない
こうしなさい=あなたのやり方じゃダメ
子どもへの愛情表現が限られてしまう日本語で、子どもを否定する言葉を子どもに掛けるのではなくて、子どもの可能性を信じる親であることで愛情を伝えてみませんか?
そのためには、まず「子どものできていること」がしっかりと見えるようになることが最初の1歩です。
大丈夫です。典型的な超熱血ママだった私でも変われました。
今の当たり前と思う思考パターンを一旦横に置いて、この子の親である自分だけにできることを考えてみようかな…というキッカケになったら幸いです。
私の変化の過程はこちらで綴っています↓