
『江戸前エルフ』は「愛」であるという話
ごきげんよう、東京理科大学百合愛好会のナマズンと申します。
今日私が書きたいのは『江戸前エルフ』についてです。
単行本10巻までの内容を含みますので、アニメ勢は留意してください。
アニメ勢へ
コミックDAYSで全部読めるので、アニメ勢も是非原作を読みましょう。エルフが新たにもう一人でてきます。
『江戸前エルフ』は「愛」
まずこのサークルは百合愛好会ですので、この作品を百合ジャッジする必要があります。結論としては『江戸前エルフ』はかなり微妙なところであると思います。小糸からがエルダに照れるシーンはいくつかありますが、エルダが小糸に何か思うようなシーンは全くありません。
7話でコートを着たエルダが小糸に壁ドンした時や、19話の大掃除後の胴上げの反応をみると恋愛対象というよりも、いすずちゃんのように推しに近いのでは?と思います。確かに29話にてエルダに至近距離で髪を触られたときにしばらく赤面が治まらないというシーンは百合を感じますが、そこくらいしか見当たりません。

私個人としては、ズバリ『江戸前エルフ』は「愛」であると思います。百合も愛だろうが!と言われてしまいそうですが、恋愛の先にある愛ではないのです。どちらかと言えば家族愛に近いですね。胸がキュンとするようなものではなく、じんわりと愛おしさを感じるようなものであると思います。
特に11話は大いなる愛を感じました。しっかりものの小柚子が珍しく小糸に甘えるところを離れた所で見るエルダ。この目に計り知れない慈愛のようなものを感じます。普段は溶けていて小糸に頼りっきりのエルダがこのような顔をする瞬間、良いですよね。


イケエルダと短命種
エルダがイケメンエルダになるのは大抵寿命がらみのときです。日常の中で、ふと長命種と短命種の違いを実感するのがこの作品の凄く良いところだと思います。私たちが飼い犬や飼い猫と一緒にいられる時間が限られるように、エルフと1人の人間が一緒にいられる時間も限られています。
7話にて小糸の成長を微笑ましく思いながら、変わらずにいてほしいとも思ってしまうエルダが小さな声で独り言をいうシーン。切なくて、イイ!

もちろん小糸は1話の時点でエルダの気持ちを理解していて、9話で竹取物語と不死山の話をしたときに切なそうなエルダの手を取っています。また16話でいすずちゃんと話した時に、悲しい思いをさせないために仲良くしないというのは間違っていると言っています。小糸の「愛」を感じますね。
しかし小糸がエルダからなにか言われたことはなく、過去や寿命について二人が直接話したことはほとんどありません。
ただ9話にて神域に小糸を連れ込んだときのエルダの言葉。ここでは珍しく小糸がエルダの言葉から直接深意を酌みとっていて、みなさんも強く印象に残りましたよね!
神域に入る直前の小糸の考えていることは、神域についてなのでしょうか?
そっか 私はこの先には行けないんだ
エルダとは 最後まで歩けないんだ
きっとエルダと小糸が考えていたことは同じだったのでしょうね。こういうのに私は弱いです。読み返していてうるっときました。

45話にてパンニャに丸耳神社を畳むと伝えられたときのエルダは、憂いがなく受け入れたような顔をしています。後輩の前だからでしょうか?それとも小糸と共に過ごしたエルダも成長しているのでしょうか?
かつての巫女との思い出を語り、自分らには何も救えないけれど決して忘れないことをパンニャに言い聞かせているシーン。エルダは小夜子を若くして亡くした自分と、つとめの姉を想い無力感を感じているパンニャを重ねているのでしょう。
『江戸前エルフ』では戦時中のことも、「小波と作った水団に具材がなかった」というところで僅かに触れられています。
小波とはよく一緒に水団をつくった
具材なんてなかったけど美味しかったな
この1文からも「愛」を感じますね。切ないです。
東京にいたエルダは特に多くの人に信仰され、無力感を味わったはずです。そんなエルダだからこそ、パンニャを説得できたのではないでしょうか?

あと、ここのエルダの言葉は1話のシマデンと小糸の会話とリンクしてますね!
あたしくらいの歳んなると家族もツレもどんどんいなくなっちまうのに
エルダはあたしがガキの頃から変わらず高耳神社に居てくれる
やっぱし変わらないものがあるってのは 安心するよ
「おどる ひかり」
『江戸前エルフ』のエンディングテーマである「おどる ひかり」
当然この曲の歌詞は本編とよく繋がっています。
2番の歌詞に次のようなものがあります。
たまにするその顔 遠くに行ってしまいそうでさ
好きじゃなかった
でもこの手のひびわれは君の為にできたものだから
会いたくなった
前半部が9話の小糸の言葉ですね。ボーカルもここだけ変わっています。多分この部分は小糸の気持ちでしょう。すると小糸の手がひび割れた、ということになります。料理は小柚子がやっていますし、掃除洗濯洗い物ですかね?本編では天井掃除や軒先のはき掃除くらいしか描かれていないので何とも言えません。
最後のサビは次のようになっています。
君は最後に笑って 手を握ってくれた
荒れた手に気付いた なのに君にもう会えない
隅田川に降る夕日 ビルの間の五月
世界はまだ続いてく
だからさ 変わらないで待っているよ
手のひび割れが小糸のものだったら、最後に手を握ったのは小糸ということになります。そうすると1番のサビは小夜子とエルダの話であると捉えることができます。そうでなければ小糸のパートが2番にくる理由がありません。
ここから世代が変わろうと、エルダは変わらずに高耳神社にいてくれるということが読み取れるかもしれません。少なくとも私はそう感じました。

聖地巡礼
この前初詣ついでに月島へ聖地巡礼に行ってきました。
・佃小橋

ちょいちょい出てきますね。近くの公園から子供たちの声が聞こえます。反対側には船着き場のようなものが見えます。
・住吉神社

立地から高耳神社のモデルではないかと噂されている神社です。1/5に行ったのですがまだ結構混んでました。近くで売っていた甘酒が美味しかったです。少し歩けば佃大橋もあります。
・月島三丁目児童遊園


小糸が「憧れの白い人」ことエルダと会った場所ですね。たまにコマちゃんともおしゃべりしているようです。隅田川に臨むこの公園から見える夜景はとても綺麗でした!


公園の反対側はエルダと小糸が東京を見回ることを約束した場所です。小糸たちは住吉神社と反対方向に歩いて行っていますね。ここだけ少し違和感です。

次に行くときは「おどる ひかり」のジャケ写の越中島橋に行きたいですね。月島からちょっと離れてて行けませんでした:(
かなり書き散らしてきましたが、私が伝えたかったことは「愛」です。
なんてことない生活の端々で生まれた温もりを忘れないようにしましょう。
では、ごきげんよう。