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カサンドラが自らの力で幸せをつかむまで〜ASD夫との10950日 #29

「この人との老後はない」


夫を見ないようにする、感じないようにする。
震災以降はこの傾向がますます顕著になり、家庭内別居は進んでいった。
それでも、子どもの行事には子どもの心を傷つけないようできるだけ連れて行くようにした。
形だけでも、「父親が自分たちに関心がない」と思わせないためである。

実際には、夫は子どもたちには関心がない。
正確に言うと、子どもたちにも、である。

自分の範囲半径3メートルほどが心地よく確保させていればいい。
それ以外のことは自分に関係ないし関わりたくもない、そのような心理状況なのである。
家族が病気でも、気にしない。
周囲の環境に配慮できないので、子どものいる場所でタバコを吸って通行人に怒鳴られるトラブルもしばしばあった。

原因が病理的なものにしろ何にしろ、「冷たい人」なのである。

ある日彼のお姉さんから、義母が病気になったと連絡があった。
彼のことを、目に入れても痛くないほどに可愛がってきた義母である。
きっと会いたいと思っているだろう。

連絡を受けて私や子どもたちはなんとかお見舞いに行く計画を立てようと彼に働きかけたが、彼は一向に動こうとしない。
1週間、2週間。時が過ぎる。
痺れを切らした私は、「私がお見舞いに行く。」と飛行機を取ったが、それでも「あ、そう。」とキョトンとしている。

上の子が「流石にお母さんが先に行くのはおかしいだろう。」という。
すると、彼は言う。
「‥何というか、こう‥全く興味が湧かないんだ。」
下の子が言う。
「興味があるないの話ではないでしょう?」

こうなると彼は、自分が責められないように守りに入るだけである。

威張り散らして、私を見下すくせに「何もできないボク。」
しかし、この頃の私は感覚が麻痺してしまっていて、「本来彼がやるべきことも、彼がしないことは私がやる」ということが当たり前の精神状態になっていたため、

家族の予定を調整し宿の調達をし、お姉さんと話し合いをしてお見舞いの日程を立てた。

出発当日。彼はとても楽しそうである。
駅の売店で好きなものを好きなだけ買い、
「家族で出かけるのいつぶりだろうね♪」
と上機嫌である。

道中皆の足を止めながらタバコをふかし、全員がその度に足を止める。
喫煙所を探し吸いだめしてくるので、15分帰ってこないなどザラである。
帰ってきたところで、急ぐことも「待たせて悪い」様子という様子もない。

それでもそれが普通の感覚で育った子どもたちは平気なようだったが、電車を目の前で何本もやり過ごさなくてはいけない感覚に、私は終始イライラが止まらなかった。

現地に着くと、お姉さんが迎えにきてくれていた。
「ん。ご苦労。」と姉に尊大な態度をとる。
バカなんじゃないかと思いながら病室に通されると、だいぶ良くなっていたお母さんの姿があった。

私と子どもたちが話しかける。うなずく義母。
当の夫は、一歩下がってもじもじしている。
「ほら。話しかけなよ。」
急にパソコンを触り始める。
「飯どこに行く?」と話を逸らす。

何しにきたと思いながら、「きっと話しかけてほしいと思うよ」と言っても、もじもじするだけでどうしていいかわからない体ありありである。

結局彼は母親には話しかけないまま病室を出て、兄家族と楽しそうに歓談していた。
得意の上から目線で「ちゃんと勉強しろよ」などと姪っ子たちに話しかけている。
「困ったことがあったら相談しろ。」などと言いながら、連絡先交換をして楽しそうである。

私はその場を和やかに済まそうと過ごしていたが、内心はやるせない気持ちであった。
今回のこの帰省も、全て私の手配によるものである。

数ヶ月ぶりに見た夫の顔は、歳をとってはいたが表情は幼児のようであった。
実際そうなのであろう。心が育っていないのである。

この人との老後はない。
この頃から私は、自分のお金を貯め始める。


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