見出し画像

カサンドラが自らの力で幸せをつかむまで〜ASD夫との10950日 #27

「これは家?」

私は、結婚するときに親が持たせてくれた数十万をもとにある事業を始め、何年かかかったが少しづつ黒字が出るようになっていた。
家庭内では「無知で頭が悪い」と扱われる私だったが、自らの手で収入を得たことは、自己肯定感を徐々に回復するのに大きな力となっていた。

新天地でも事業は順調に進んでいった。
したくて始めた仕事ではないし、向いているとも思えなかったが、性には合っていたのかもしれない。
支えてくれた地域の人たちには、今でも本当に感謝している。

夫は私の仕事を「贅沢したいやりくり下手な主婦の小遣い稼ぎ」と貶めていた。
そして、家事の至らない部分を咎めては「ちゃんとできないなら、要らねぇ。とっとと辞めちまえ」と‥

時には「女として価値がない、出ていけ!」と‥

妻に言う言葉とは到底思えない言葉を私に向かって吐いていたが、
あなたの収入では子どもを進学させられないのだと思いながら黙々と働く私を、今度は意図的に無視するようになっていった。

完全ワンオペでの子育てと事業とのの両立は、多忙であった。
30代・40代は、何をしていたのかほとんど覚えていない。
よく生き抜いたし、壮絶な毎日であったと思う。

ある日のこと。
夫は家が欲しくなったらしい。
家?福島に?
大阪と福岡が実家なのに?

学生時代に夢を語り合った友達と再会し、約束を果たしたいのだという。
彼は建築家の卵となり、事業を起こし始めたようだった。

男の夢なんて、知らない。
私は今子育ての真っ最中で、24時間365日、休みなく働いている。
現実的な話なの?と話すものの、夫は「お構いなし」なのだ。
子育てと仕事に忙しい私をいいことに、楽しそうに友達と設計の計画を立て始めた。

何百万、設計料を払ったのだろう。
私は、その額を知らない。
彼の友達が打ち合わせに来た時に、何度も「こんなにもらったから‥」と話していたことを小耳に挟んでいる。
夫はとても格好をつける人なので、気前よく払ったに違いない。

その2人が建てた家は、まるで別荘のような作りであった。
とてもシャープで、一見住宅とは思えないほどかっこいい。
しかし、人が暮らすことには不便で全く向いていない。

全面窓ガラスの壁は夏は温室のように暑く、冬はひどい結露に悩まされた。雨戸もなく、安全面でも大変な問題があった。

家事動線は完全無視されており、洗濯物を干す場所はなかったし、風呂はすりガラスで道路に面していた。
「海外のように見せることがかっこいいカーテンを閉めない家」なのだと自慢げに話していて、あちこちから家の中が覗けるような作りである。

「生活」を知らない彼にとっては、ブロックを組み立てるのと一緒であったのだ。

夫は、自身の部屋だけは完璧だった。
冷暖房・防音完備、加えて見晴らしもいい。
別に自身の「書斎」も作ったので、部屋を二つ彼は自分用に用意した。

子どもたちの部屋は冷暖房設備はなく、クローゼットもない。
4畳半の仕切りで仕切られただけの空間。
「居心地がいい部屋にすると家族の交流がなくなるから、あえて狭く小さくした」のだという。

そして‥
私には、部屋はおろか小さなスペースすら与えられなかった。
クローゼットはもちろん、鏡もない。
「主婦は、台所とリビングが居場所だろう?」
彼は、勝ち誇ったように話すのだった。

100歩譲って、悪意はない、彼の性質のせいだと思うようにしていたが、
実際には、経済力を持ち始めた私への当てつけだったのだろうと思う。

そして、始まるのはローンである。
彼は後先考えて行動しないので、他に見たことがないような手の込んだ注文住宅は、おそらくこの地域の平均的な新築住宅の2倍近くになっていた。

銀行口座からは、ひと月二十数万円以上のローン返済があった。
家族4人の生活があるという想像力は、持てないのである。
「こんなのありえない。」「生活が回らない」と相談すると、彼は瞬間的に守りに入り私を攻撃してくる。
「やりくりが下手な女だな。」と非難された。

私の収入のほとんどは、ここからほぼローン返済に充てられた。

自慢の住宅ができたので、彼は友達が出張に来ると強引に自宅に泊まらせていた。(もちろん、その準備やお世話をするのは私である。)

子ども部屋を狭めてまで設けた広いテラスで、同僚を呼んで毎年のようにふんぞり帰ってバーベキューをしていた。
庭に少しだけ芝生があったのだが、ここで子どもが遊ぶと大声で叱っていた。

「庭で遊ぶな!芝が痛むだろう!」
一体何のための家だろう。

この、夫の「共感力のなさ」を象徴するような家で暮らすことは、さらに私の憎悪となり膨らんでいく。

友達が見れば、見たことのない別荘のようなアトリウムのようなスタイリッシュな家だ。
「こんな家に住めて、あなたは幸せね。」

その言葉は、私の心をさらに抉っていく。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?