体験を心に刻む:印象派 モネ
あべのハルカス美術館で開催されていた『印象派 モネからアメリカへ』を観に行ってきました。(開催日2024.10/12-2025.1/5)
正直に言えば、美術館で芸術を鑑賞して「やっぱり美術館で観るのは最高だ!」と思えるほどの感性は持ち合わせていません。しかし、今回は行くきっかけがあったので、「食わず嫌いをせず、自分を興味のない世界に放り込んでみよう」という気持ちで足を運びました。
ただ行くだけではもったいないと思い、YouTubeで山田五郎さんや美術解説系チャンネルの動画を観て事前に少し勉強してみました。この勉強がとても面白くて、印象派の歴史や画家たちの思い、さらにはモネの人生と絵画に込めた想いなどを知ることができました。特に、「絵画は哲学だ」と語る解説には深く共感しました。
写真機がじわじわと画家たちの存在を脅かし、その結果、印象派が誕生した経緯。これを現代のAIの進化や社会への浸透に重ねると、とても興味深く感じました。写真が普及する前、絵画は権力者や富裕層の肖像画を描くためのものでした。しかし、写真が普及しても絵画は廃れず、今でも画家の仕事は存在しています。その理由は、絵画が単なる技術ではなく、画家の「何か」を投影したものだからなのでしょう。
写真が「ありのまま」を映し出すのに対して、絵画は作者のフィルターを通した表現。だからこそ、印刷物やデジタル画像とは異なる「何か」を感じさせるのかもしれません。今回の美術展で私が感じたのは、まさにその「何か」。それをうまく言葉にできないのですが、「確かに印刷されたものとは違う」と実感しました。
言語化と心の動き
私たちは何かを理解しようとするとき、言語化しようとします。言語化することで体験をストーリーとして記憶に残し、新しい経験との比較や更新ができるからです。しかし、言語化に集中することで、心の動きを見落としてしまうことがあります。
美術展で感じた「理解できないけど良いと思いたい」という感情は、まさにその例でした。普段、私たちは「好き」「嫌い」「必要」「不要」といった判断を繰り返していますが、美術館ではそういった判断を超えた体験ができました。それは、自分が普段排除している「よくわからないもの」や「不快なもの」にも、自分にとって必要な意味があるという潜在意識からのメッセージだったのかもしれません。
潜在意識からの問いかけ
現在の私は、一人の生活を満喫し、仕事にも満足しているように感じています。しかし、今回の美術展に足を運んだ潜在意識からのメッセージは、「本当は満足していないんじゃない?」という問いかけのように思えました。
ここまで読んでくださった方には、なんのこっちゃ分からない話に思えるかもしれません。それでも、こういった「何が良いのかわからないけれど心が揺れる」体験こそが、芸術鑑賞や新しい世界への扉なのではないでしょうか。
体験を心に刻む
今回のような芸術鑑賞や新しい体験をもとに、これからも「体験を心に刻む」というテーマで記事を書いていきたいと思います。気がつけばシリーズばかり増えていきますが、これもまた私らしい一貫性のない歩みなのかもしれません。