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奈良マラソンへの道 ⑥

本日のトレーニング
走行距離:16km    時間:107分
平均ペース:6:41/km

今朝は4時半頃に目が覚めました。気温は23度と涼しく、最近はクーラーなしでも気持ちよく眠れる日が続いています。そのおかげか、今日は走るのがいつもより楽に感じられました。前回と同じ距離を走りましたが、タイムは少し短縮でき、体の調子が良かったようです。

ここ数回のランでは、「走るのはやっぱりしんどいな」と感じることが多く、少しテンションが下がり気味でした。しかし、今日のランニングで改めて思ったんですが「走ることは確かにしんどいが、その一方でとても気持ち良い瞬間もある」。そんな事を感じながら走っていて、先日YouTubeで古舘伊知郎さんと、京都にある実験寺院の松波龍源さんが対談している動画の中で話されていた「悟り」についての内容が、頭の中で繰り返し思い出されました。

松波さんの説明によると、悟りとは「悟った」と思った瞬間、それは悟りではなくなる、というパラドックスのようなものがあるそうです。この話を聞いているうちに、走っている最中の「しんどさ」と「気持ち良さ」も似たような関係にあるのではないかと感じ始めました。たとえば、日々のトレーニングで走っていて「気持ちいいな」と思った日があっても、その意識が逆にしんどさを引き戻して上手く走れない様なしんどいトレーニングになったり。逆に、「しんどいな」と思いながら走る日が続いたかと思うと、ふと気持ち良く走れる日が続くこともあります。結局、走ることはその両方の感覚が入り混じるものだという気づきに至りました。

また、松波さんが話されていた「無限と有限」についての説明も非常に興味深かったです。無限という概念は存在するが、それを具体的に表現しようとすると有限になってしまう。この考えは、物理の「二重スリット実験」も交えて解説されていました。二重スリット実験では、観測しているかどうかで結果が変わる現象が示されており、これはまるで無限と有限が入れ替わるようなものです。走ることもまた、しんどさと気持ち良さが絶えず交互に訪れるという意味で、この無限と有限の話に通じるものがあると感じました。

さらに、対談の中で印象に残ったのが「リンゴは無くならない」という話です。リンゴを食べてしまえば形としては消えてしまいますが、その現象は『リンゴを食べたと言う情報』として残るし、リンゴを食べた私の体に取り込まれ、そして排出され別の生物や微生物の一部になって行き、、、それらを繰り返し繰り返し続けて別の形でこの世の中に存在し続ける。
そう考えると私たちの体もまた、過去の何かが変化して今の私たちを形作っているわけで、これも一種の無限のサイクルだと考える事ができる。
私たちの命は有限ですが、そうした無限のサイクルの中で一瞬だけ人の形をして存在し、その後は無限に存在する多くの一部として形を変えながら存在し続けることもできるのかもしれません。

フルマラソンの42.195kmという距離も、挑戦する前はどれほど長いのか、どれほど大変なのか想像できませんでしたが、実際に走ってみると「私にとっては約5時間かかり、3日間は筋肉痛に悩まされるものだ」と実感できました。走る前は未知だったものが、経験を通じて実際のものとして捉えられる。
このような様々な体験を通して私たちは、無限という掴みどころのない抽象的な概念を体感的に理解することに繋がるのかもしれません。

結局、何が言いたいのか自分でも少しまとまりませんが(笑)、12月の奈良マラソンで4時間30分を切ることを目標に、これからもトレーニングを続けていこうと思います。その過程で、また新しい気づきがあるでしょうし、走り続ける中で自分自身の限界と向き合いながら、さらに深い理解を得ていければと思います。

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