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初めまして(^▽^)/ としきちの自己紹介です!
皆さん、初めまして!
としきちと申します。
52歳管理職サラリーマンをしています。
これを執筆している現在、SNS起業を目指して
動き始めたところです。(2024.9.19)
SNS起業を目指したキッカケは、
TikiTokを何気なくぼーっと見ていて
今のメンターの方の言葉から伝わる人柄
と起業すれば、理想の自由が手に入るという
ことに感銘を受けたからです。
このSNS起業をやり始めようと決意する前の私は、後程お話しするサラ金に勤めていた頃から独立心が旺盛で、
当初は、司法書士資格を取得して起業したくて、教材を買って勉強。
もちろん、ブラック企業でしたのでろくに勉強時間も確保できず、やっては諦め、またやり始めてを諦めを繰り返していた。
その後は、ブログ・動画詐欺にあったり、LP広告のアフィリエイト、物販など様々な副業に自己投資(200万円)しては、
継続ができなかったり,思うような収入にならなかったりを繰り返しました。
ですので、SNS起業の世界に飛び込む事には知識や経験はありませんでしたが、なんの抵抗も感じませんでした。
ただ、一点だけ自分の中である覚悟を決めた。
それは、年齢的に人生で最後の挑戦にしようという事です。
52歳からの挑戦になりますので、もう起業の為の行動は最後にしようと。
もう、家族からも又病気が始まったのかと思われるくらいに色々な事に手を出しているので、応援はしてくれませんが呆れられている状態です。
初商品は上記から!(気になる方はどうぞ)
それでは、早速、過去の私の人生を簡単に
振り返りお伝えします。
まずは、私という人間のおおまかな情報を以下に記載。
死の体験
(小学4年生の頃・担任の男性教諭が、肝臓がん)
(中学3年生の頃・空手道場に通っていた
親友がバイク事故)
(高校2年生でやはり友達が突然死)
(初婚の元妻が40歳で亡くなる)
死というものを身近で見てきて、人は簡単に人生を終えるということを知った。
仕事
サラ金→日掛け金融→本人訴訟業務→不動産業(2社)→労働保険営業1→労働保険営業2→無職→事務職(2024.10.1現在)
バイト
豆腐屋→製缶業→凸版印刷→ポーカー屋(飲食業)→パソコン梱包業→接客業(飲食業)等
自己投資
ブログ・動画→アフィリエイト→物販
騙されたものもあるし、収益化に成功したものもあったが、継続ができなかった。
家族
妻・社会人(長男・次女)・大学院(三男)・大学3年(四男)
スポーツ
空手(フルコンタクト空手~高校年)
サッカー(小学5年から中学3年まで)
陸上競技(中学)
趣味
ゲーム(三国志・ドラクエ・FF・ネットゲーム等)
ロードバイク(48歳から)
ゴルフ(20代で賭けゴルフ)
麻雀(大学生時代・ゲーム)
ギャンブル(競馬・パチンコ・スロット)
野球・サッカー・ボクシング・総合格闘技観戦戦(ボクシングは鬼塚勝也や辰吉時代、格闘技は極真空手からK-1時代)
特技
水泳
機械体操
健康
肝臓(20代~35歳位までかなりの深酒で数値が通常人の3倍悪かった)
ヘルニア(腰・首)
SNS起業
初心者
実績
初商品12部即日完売
両親のこと
私は、神奈川県出身の2人兄弟の長男です。
ごくごく一般的な家庭で育ち、何事にも一生懸命な父母の姿が記憶に残っています。
父の性格は「バカ」がつくほど生真面目で曲がった事が大嫌いであり、空手や剣道が好きで質実剛健ないわゆる融通が利かない市役所勤めの公務員。
ちなみに、祖父や親戚も警察官や教員、税関等公務員が多い家系です。
母は、父とは真逆な天真爛漫でとても明るい性格をしていて、何事も大雑把で悪く言うとズボラな所があり、どこか抜けていて人間性に溢れた情に脆いという性格。
私は、このように性格が正反対な父母に育てられました。
何回も転職や副業を繰り返していたことから、性格は母親似かもしれません。
通常、新しいことに挑戦する時、人間はストレスからマインドブロックが掛かりますが、私には一切そういったことはありませんでした。
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幼少期の自分は協調性がなかった!
自分の幼稚園時代の写真を見てみるといつも顔が歪んで映っていました。
要するに嫌々写真に映っていたという事。
あなたは、幼稚園を脱走未遂する子なんか想像できますか?
私はそんな子どもだったのです。
今でも私の記憶に残っていることが、脱走を試みて幼稚園の門まで辿り着いて、門をよじ登っているところを先生に捕まえられるということです。
とにかく、決まりきったルールが大嫌いで皆と一緒に歌ったり踊ったり、弁当を食べたり遊んだりとかが、苦手ないわゆる協調性がない子どもでした。
この幼少期の記憶や行動が後に大人になって顕著に現れることになります。
これが、後に仕事に活かせることになるとは。どう活かせたかって、それは人と違う視点を持って本質がすぐにわかるようになったことです。
周りからは、情緒不安定な落ち着きがない子と言われていたようです。
今なら発達障害の疑いがある子だったかもしれません。
ビジネスの視点からは、協調性がないというのは逆にプラスになるかもしれません。気を遣う付き合いなどなく、自分のやるべき事に集中できるからです。
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狂ったように自然と遊んだ小学生時代
川や田んぼ、森、下水溝、住宅工事現場など子どもが好奇心に満ち溢れる遊び場が当時は豊富にありました。
同年代の方は、私の言っている事がよく判ると思います。
ほぼ毎日泥んこになって疲れ果てるまで外で遊んでいました。
母からは、汚い足や泥んこになった服のせいで,毎日鬼のように怒られていて、時には、怒りから逃れようと外に出て逃げていましたが、追走されるほどキレられていた。
この頃、「ファミコン」が出始めて貧乏だった私の家は買うことができなかったため、友達の家へ行きやらせてもらっていた記憶があります。
また、「ジャッキーチェン」や「キン肉マン」が流行っていたことから、学校に行くと友達と真似をして体がアザだらけになりましたが、とても楽しかったです。
そんな元気な小学生時代だったのですが、2回の引越しによって仲の良い友達とも強制的に別れる事になり、次第にうつな性格になっていきました。
遊びもビジネスも夢中になるくらいに熱中できれば、成功しますよね。
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人生唯一の青春を感じた時代
中学生になるとちょうど世の中では、「キャプテン翼」が流行っていたこともあり、周りはサッカーをやっている者ばかりでした。
私もサッカーは、休みの日や遊ぶ時は必ずやっていました。
不思議と皆は、主人公ではなく「スライディングタックルだぁ~」と言って日向小次郎(主人公のライバルで気性が荒いキャラ)を真似て反則をしたがる者が多かった気がします。
空手道場(フルコンタクト系)に週3日夜通っていたことから、不良(非行少年)は私には絡んできませんでした。
また、2歳年下の弟も後から聞いた話では、私がいることによって不良は手を出してこなく、守られていたようです。
ちょうど、空手では極真空手がテレビで放映されたりして、小さな巨人の緑健児や松井章圭などが活躍していて憧れていた。
当時は、暴走族があちこちにいて不良(非行少年)は当たり前。
部活は、陸上競技部(短距離)に所属して特にハードル、高跳びが得意でした。
初恋相手が、同じ陸上競技部の女子2名のうちのハスキー声の小柄な女性。
天真爛漫で声が独特だったため、とても魅力を感じていましたが勇気がなく最後まで告白はできなかったです。
実は、美術部の女性から私はなぜか好かれていまして、当時は複雑な気持ちでした。
当然、私は別な女性を好きなので私を好いてくれている女性の気持ちは判っていたのですが「好きな人が別にいます」とも言えず、
応えることができなかったのです。
女性からしたら、最悪な奴ですよね。
運動は、とても好きでしたが小学校時代から引越しを2回経験しており、幼少期からの友達もいなく、
周りに心を素直に開くことができなくなっていてだんだんと友達もいなくなっていき、さらに暗い性格になっていきました。
今思えば、素直になれば大したことではなかったなって後悔してます。
ビジネスも素直さが大事です。自己流や思い込み、素直さがないと失敗すると成功者は語っているはずです。
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うつが悪化し、暗く怯えた自分!
高校では帰宅部で、自転車で1時間の距離を通学。
学校の勉強では、3年間トップであったが友達もほとんどいなく、さらに暗くなっていきました。
唯一の運動である空手道場も少年部の指導をするまでなっていたが、高校2年生の半ばで辞めました。
当時は、新興宗教ブームであり町を歩けば「ちょっといいですか?」と手をかざしてくる真光やオウム真理教、統一教会、エホバの証人、阿含宗と様々ありましたが、阿含宗に父が入信。
振り返ると、オウム真理教でなくてよかったのですが、
週末になると東京の本部へ法話を聞きに家族で行きお布施をさせられたり、健康食品、本などを買わされていつも財布がスッカラカンの状態。
私も仏舎利(釈迦の遺骨を入れてあるもの)に読経をあげる行を千日行う千座行をしていまして、密教占星術を習い、
本があれば簡単な占いはできるまでになっていましたが、これがさらに性格を陰鬱にしていきました。
そんな私を好いてくれる女性がまた現れましたが、
その子にはやはり応えることができないくらい毎日うつな気分でラブレターももらっていながら、返事もしなかった状態でした。
宗教というのは、SNSの世界で言えば一種のカリスマ性があるインフルエンサーです。洗脳はもうファン化(教育)と同じだなぁと思いますね。そうすると、お金を迷いなく払う構図となる訳です。
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うつから自暴自棄になった自分!
何の目的もなく、ただ大学生になった自分が今では、とてももったいなく思えます。
当然、他者との交流も積極的になれず友達もほとんどいなく、
テストの時にだけ泊まったりする友人はいましたが、暗い大学生活でした。
通学は電車でしたが、電車内の人の目が非常に気になりだして、対人恐怖症を自覚しだしました。
それは、電車内にいる人達全員から見られているのではないかと錯覚するという症状で人がとても怖くなる病気でした。
そんな時どうすれば、克服することができるのだろうかと父の本棚を見ていたら、その中に「精神強化療法」や対人恐怖症等の書籍が多数あったことにより、
父も同じ症状に悩んでいたことが後になって父と話して判明。
次第に対人恐怖症から講義にいけなくなり、大学には唯一図書館だけには行くことができ、
心理学や哲学書を読み漁り、解決策を私なりに探していました。
そんな状況でもバイトだけはしており、製缶工場やPC出荷工場などでかなり稼いでいましたが、
ほとんど誰にも相談もできずに半分自暴自棄になり、
稼いだお金もギャンブル(パチンコ・パチスロ)に全て浪費。
就職活動もできず、気力もなく卒業後の進路も決まりませんでした。
当然両親は、どうしてかも理解もできず、「とにかく働きなさい」とだけ毎日言い続けるしかなかった状態。
自暴自棄とは、現実から目を逸らすということです。要するに逃げている状態です。結局私は、精神を強化する方法など見つかりませんでした。現実に向き合って行動していれば、人生が変わったかもしれません。
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波乱万丈な社畜人生の小さな反骨心!
大学卒業後、1年間ブラブラしているときに妻と知り合い妊娠を契機にサラ金(消費者金融業)へ就職。
漫画の「ナニワ金融道」や「ミナミの帝王」そのままの世界で、毎日朝6時から夜10時までの激務で、
土日も取立ての超ブラック企業、3年間勤務継続できる者は稀であり、ほとんどの者が辞めていった。
同僚の者は皆、ゴロツキとまではいかないまでもきつい取立てや他業者やヤクザ、右翼との衝突にもへこたれない度胸を持ち、
派手なスーツを身にまとい、髪型をバッチリきめて仕事をしていました。
サラ金時代のおもしろ話はくさるほどありますので、また機会あるときにしましょうか。
なんやかんやで、勤続7年目ぐらいになって店長に抜擢され、
新規顧客獲得増加のために複数店舗無人契約機を出店したことによって業績が上がり本部にも認められるようになり、
複数店舗の兼任店長をやったり、全国の他店舗の支店監査をやるようになったりと多忙を極めるようになりました。
私の性格的な性質から、筋が通らないことが大っ嫌いだったのでその影響もあって、
本部の無茶な業務に関する方針転換に盾を突き他店舗の支店長からの「やめないほうがいい、もったいない」と退職を止める動きもありましたが、退職する道を選びました。
私が退職してから3年後この会社は倒産し、この世から消えました。
初めて入った会社の特殊性と過酷さから、相当な根性と忍耐は身に付けたと思っています。体験に勝るものはないと言われるように、知らない世界に飛び込んで知識ではなく、実体験で得るものの大切さを学びました。
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本人で裁判をする事を補助する仕事
当時、サラ金の高金利(年利39.931%)が世間で大問題であり、様々な弁護士から利息制限法(年利18%)を盾に和解をするよう通知が多数くるような状況になっていました。
その代表的な存在が、都知事選に何回も出馬している宇都宮氏。
サラ金業者は、弁護士が介入すれば高金利で利息を受け取れなくなり、利益が減ることになり、業績悪化につながります。
また、払いすぎている利息は借りたお金の元金に充当され、元金に充当することができなくなってもなお払いすぎている分があれば返還ということになります。
いわゆる、過払い金返還です。
私は、これに目をつけサラ金業者の逆の立場である弁護士業に転職ではなく、債務を抱えている者は、
一般的に弁護士費用も用意できないことが多いことから、本人訴訟を手助けする仕事を始めようと思いました。
まだ、過払い金返還訴訟が流行る前の初期段階の時代であったのですが、本人訴訟を本人が自力でする方法の情報提供業でありました。
着眼点はよかったのですが、インターネットを活用することや専門家との連携等を考えなかった為、
全国的に弁護士が多数参入する市場になったことから、この仕事からも撤退を決意しました。
なんのノウハウもない所から、ビジネスの発想を持って行動したのはこれが初めてでした。30代半ばの事でしたが、戦略や戦術を積み上げないと継続したビジネスにならないと体験しました。ビジネスは仕組化が重要であると今は理解できます。
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日掛けという金融業
サラ金より超高金利業者が日掛け金融です。利息は、100%を超える業者が普通であり、
サラ金の利息は当時50%以下であったことからするとそのすごさがわかりますよね。
「トイチ」(年利365%)や「トサン」(年利1,095%)といって、10日で1割や3割の利息を支払う方式で実際は毎日の売り上げを毎日集金するという形態。
客層は、夜の商売であるスナック、バー、風俗、雀荘等が大部分を占めていました。
日掛け金融業に行こうと思ったのが、最初に就職したサラ金の店長が独立して日掛け金融業を自営でやっていたこともあり、
興味があったのとノウハウを知りたかったからです。
入った日掛け金融業者からは、サラ金経験者であったことから、将来の幹部候補として迎え入れられましたが、
過払訴訟の台頭を知っていましたので、ノウハウだけを取得し1年間弱在籍しましたが、早々に退職しました。
ここでの経験も通常な人なら体験もしないことだらけで機会あれば、お話したいと思います。
この頃から、少しづつノウハウというものに興味を持ち始めました。つまりビジネスとして仕組化できるかどうかを体験を以って知るということです。
ただ、自分が本当にやりたい事なのかを突き詰めていなかった為、失敗したのだと理解しました。
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不動産業の体験!
世間でつぶしが利くと一般的に言われる業種に不動産業があると思います。
宅建試験に合格したことから、不動産業を体験してみようと数社入りました。
仕事は金融業から比べるとまともで楽でしたが、運が悪かったのかどこにいっても人間性が糞な者(決して不動産業勤務の方を否定しているわけではありません)しか出会わなかったため、不動産業はもう二度と行かないと決心しました。
資格をもっていようと、実際の社会では通用しないことを理解しました。ただ、ビジネスを展開できる土台を持っているというだけでは所詮は、独立起業しなければただの労働者であると。
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労働保険の営業パート1!
労働保険はあなたは知っていますよね。
労災保険と雇用保険のことです。
この保険は政府が管掌している保険なのですが、なんと通常なら労働者しか入れないのですが、
ある条件をクリアすると経営者や役員も加入できるのです。
知っていましたか?しかもこの労働保険の営業を募集していたのです。
もちろん、アポをとって経営者や役員に会いに行くのですが、一日多くて3件ぐらいの営業かつ即決(即日契約・即日決定)が多いことが入ってわかりました。
経営者や役員は、だらだらと結論を延ばしません。いいと思ったら、即決断する性質であることも勉強になりました。
一年分の会費を契約時にもらうのですが、現金ですぐ用意し社判も押印してくれます。
こんな上から目線の営業があるのかと疑いましたが、法律でしっかりと規定されたりっぱなスキマ産業でした。
700名以上の社長や役員と話す機会を得て、難しい話より単純な話のほうが共感を得られ営業では成績があがりやすいことと、経営者の即決の傾向は学べた。
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労働保険の営業パート2!
この職場で4名の猛者達に出会いました。全国営業成績が1~4位までが東京に集結していたのです。
この恵まれた環境で私は契約社員として入ったのですが、9か月に及ぶ非常に厳しい試用期間(ノルマ有)を無事クリアして、
なんと10年ぶりの1人として社員として採用されました。
ただし、社員となった半年後には退職しました。何故かというとこの4名が東京と大阪で独立して事業を開始したからです。
私ともう1人の営業で当初の会社を退職して東京を拠点にこの猛者達と共に一緒に起業した恰好となりました。
結局、2年間でかなりの営業成績を上げたのですが営業をする権利を借りていた事業所とお金の問題になり、東京は解散となりました。
猛者の1名は、元の会社に戻っていきました。大阪はそのまま継続してやっていたようです。
私と一緒にやっていた者は、社会保険労務士試験に合格して独立しました。
私は、結構ショックだったことからすぐには立ち直れなく、なんと無職となってしまいました。
合計2,000名以上の経営者と話す機会を得たのは、人生で貴重な体験となりましたが、いずれ会社を経営したいとぼんやりと人生設計を描いていたところに、思わぬ不運に見舞われて精神的に病んでしまったのは、人生何があるかわからないと学んだ。
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運よく事務職へ37歳で入職!
失意のどん底で、なにもする気がなくなり、住宅ローンの返済も滞り、収入も貯金も尽き果て民事再生となりました。
運よく今の職場に知り合いからの紹介で拾ってもらいました。
ほとんど営業職でやってきていたので、事務職は不慣れでしたが、10年で管理職まで昇り詰めました。
というのも、20年前の考え方しか持っていない者ばかりで変化を特に嫌う性質の人間だらけでしたので、
私から見ても非効率で合理的、柔軟に対応できていないことだらけでした。
なので、そこをちょこっと改革するだけで目立つわけですね。
社畜奴隷ばかりで自ら行動出来る者は皆無でした。
おそらく、公務員系は皆このような者ばかりと予想されます。(決して、全員がといっている訳ではありません)
事務職というのは、日々コツコツとする仕事なので、何か充足感や満足感が得られるというものではないです。
おそらく、仕事はミスなくできてあたり前であり、モチベーション維持が難しい職種だと感じました。
偉そうな事を並べて述べていますが、所詮は労働者であるとの想いやこの先やりがいを以ってできる仕事を考えた時、SNS起業に挑戦することを決めました。
ただ、目標を起業やお金を得るだけでは継続的に努力はできないと思いました。これは、だれもが最初は現状から脱出だけを考えるからです。
先の事は、そのうち見つかるでは又同じ繰り返しをする事になる。つまり、大きな壁が来た時に継続を辞めてしまう。
そこで、最終目標を決めた。
私は、人生で体験こそ一番だと経験してきたので、世界中を見て回り体験したことを世の中に伝えようと。
もちろん、収入を得た途中過程でもそれはできるが、ビジネスの仕組化ができない限り時間と労力には縛られると考えたからです。
結論として、ビジネスを仕組化して時間・労力・人間関係から自由になり、世界中で得た些細な体験でも役に立ちそうな情報を世の中に発信する事を最終目標とした。
最後にあと一つ、私の弟は精神分裂症・・・今でいう統合失調症です。又、別れて40歳で亡くなった元妻は、アル中で重度のうつ病でした。二人に共通しているのが、ものすごく優しいのです。なんでこの話をするかというと、人より優しいとこの世の中は生きづらいんです。そんな人をサポート出来る程になりたいという想いも私の目標としました。
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おわりに
情報過多の時代にいかに具現性がある情報を得て実践するかが、重要です。
学んだ知識をアウトプットし、資産として積み上げていけばビジネスモデル(収益の自動化)となりきっと成功するでしょう。
「諦めずに学び続け、信じて継続する!」
これに尽きると思います。
私の過去を少し記載しましたが、普通、住宅ローンを抱えて子供4人もいて、
転職を7回もするなんて考えられないと思います。
でも、こうして生きています。
常に「その時、その時」を精一杯生きて、
マインドも「人生なんとかなる!」
「自分より誰か(家族)の為に真剣になる」というものを持っていれば、
乗り切れるのです。
ネットビジネスの世界に飛び込んでみてください。
きっと人生が変わるはずです。
最後まで読んで頂いた皆さんにもっとたくさんのことを伝えたい気持ちでいっぱいです。
そこで今回たくさんの情報を発信していこうと思い 公式LINEを立ち上げました。
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