「すいかの名産地」とミンストレル・ショー
古い話で恐縮ですが、昔、「ドリフ大爆笑」のテーマソングが、もともとは太平洋戦争時に作られたご近所さん相互監視奨励ソング「隣組」だったことを知って、その落差に驚いたことがあります。
実は、「すいかの名産地」の原曲にも、意外な歴史的背景があります。
「すいかの名産地」の来歴おさらい
本題に入る前に、まず、これまでに分かっている「すいかの名産地」の来歴を簡単にまとめます。
<アメリカ>
1909年 演劇用歌曲「Down Where the Watermelons Grow」発表(①)
1949年 ①のアレンジ版が教会レクリエーション歌集に掲載(②)
<日本>
1960年頃 ②に3番が加わったバージョンから訳出された「すいかの名産地」が、青少年・登山愛好家に親しまれるようになる
「Down Where the Watermelons Grow」は、もともと一般大衆向けの演劇で使用されていた楽曲ですが、約40年間歌い継がれるうちにメロディーが変わり、かつ、教会で歌っても問題ないように歌詞に手が加えられました。それを日本語化したものが「すいかの名産地」という流れです。
詳しくは過去の記事からリンクをたどってみてください。
ミンストレル・ショー
1909年に発表された「Down Where the Watermelons Grow」について、オリジナル&カバー楽曲のオンラインデータベースsecondhandsongs.comで、次のように説明しています。
意味を要約すると:
「Down Where the Watermelons Grow」は、ミンストレル・ショーの地方公演で歌われて、全米に広がっていったことが、ここから分かります。
20世紀初頭、既にミンストレル・ショーは衰退期に入っていて、ある本によれば、ブロードウェイの中心地で伝統的なミンストレル・ショーの公演が行われたのは、1909年が最後でした(American Musical Theater: A Chronicle, Oxford University Press, 2011)。しかし、地方公演はその後も続き、少なくとも1920年代までは行われていました。
ミンストレル・ショーといえば、顔を黒塗りした白人が滑稽なお芝居をする、人種差別的な見世物として知られています。その上、スイカは差別の象徴的アイテムなのだとか。
ということはつまり、「Down Where the Watermelons Grow」は、人種差別的な見世物で、差別の象徴アイテムを歌った歌ということになります。
日本の「すいかの名産地」から見ると、原曲のさらに原曲の時代のことで、いわば前前前世の話ではありますが、かなりハードな歴史を背負っていると言えるのではないでしょうか。
アメリカの複雑な歴史を背負った若年者向け楽曲
「Down Where the Watermelons Grow」/「すいかの名産地」のような事例は、アメリカではそれほど特殊ではなく、ミンストレル・ショーで使用された楽曲は、マイルドにアレンジされて、キッズ向けソングとして現代に生き残っているものが幾つかあるそうです。そんなアメリカの複雑な歴史を背負った青少年向け楽曲が、なんと日本にもあったのですね。
今になって思えば、「すいかの名産地」というタイトル&コーラスと田園風メロディーはバッチリ合っているけれど、そこになぜ若者の結婚が絡んでくるのか、微妙に引っかかる歌でした。でも、たぶん、ミンストレル・ショーの枠内にはぴったり収まる組み合わせだったのでしょう。
音源
1929年のミンストレル・ショーで、実際に「Down Where the Watermelons Grow」が使用された音源がYouTubeで聴けます。
※差別的内容を含むためご注意ください。
歌詞は、1番はこれまでに出てきているHomer & Jethro版(1957)、Phil Reeve-Ernest Moody版(1927)などと同じでした。2番は残念ながらリスニング力不足でほとんど聞き取れませんでしたが、上記の2つとは違うようです。なんか、1番目の妻がどうのこうの、2番目が~、3番目が~、4番目が死んで5番目と結婚した~などと言ってるような? 結婚の話には違いありませんが、不謹慎系なのでしょうか? だとすると、今の感覚では聞くに耐えないような、許しがたい内容なのかもしれません。