私について少々
ちょっと長いけど、
「自分が何者なのか」
「何のために生きるのか」
こんなことを思った経験のある人は決して少なくないはず。私もその一人。
白神山地のふもとの町、山間の集落で私の人生は始まった。祖父母、両親、叔父と叔母の大家族。長男の第一子として男子誕生を期待されながら生まれたのが私だった。
準備されたのは、名前も布団もおくるみも男の子向けだったとか。
「すみませんね。女で」
ごりごりの昭和人の感覚だ。
「長女は婿をとって跡取りになるもんだ」
と戦争を体験した爺さんから何度も何度も言われ続け、自分の生き方は自分で決めたいと思うようになり、中学の頃には将来絶対ここから出てってやると心に誓っていた。
高校三年、進学を考えていたのに真面目に勉強せず、気が付いた時周りは着々と進路を決めているのに、私は取り返しがつかない状況になっていた。
さあどうしよう⁈ 就職⁈ それとも⁈
そこで自分自身をみつめ記憶を引き出した時、幼い頃人形の髪を切って遊んだことが美容師への道を選択することに繋がった。
当時の美容専門学校は一年で課程を修了し、現場で一年のインターン期間を経てから国家試験を受けることになっていて、兼ねてから地元を出たかった私は、東京の学校を選びそのまま向こうに就職するつもりでいた。
しかし、私の寂しがりな一面が卒業と共にたった一年で帰郷することを選んだ。
就職先が秋田市だったので、藤里の実家とは距離が保たれ、恋しくなったら出かけていける私にとって良い具合の距離感だった。
その頃から祖父にとやかく言われることは無くなった。半ばあきらめていたのだろう。
就職は全国に支店を持つ会社だった。
当時の業界では大きい組織で、教育に力を入れ指導者育成も充実していたので、その後の頑張りと選択次第では今とは別の道を進んでいたかもしれない。これは結婚して夫の転勤に伴い転居し、専業主婦だった頃よく感じていたことで、当時は少々後悔が強かった。主婦業が苦手だったのか、それともキャリアを求めていたのか。
やがて秋田に戻り夫の故郷である天王町に転居した。子どもたちが小学校へ入学し、やはり何か仕事をしたいと思った時、美容師としてもっとキャリアを重ねていれば・・と再度後悔を感じた。 なんだか後悔ばかりだ。
それでも仕事をしたいと、男鹿市のとある美容室で三年間リハビリをさせてもらい、小さいながら自分の店を構えられた。二十代前半の頃とは技術的な変化もあるが、基本的な部分を学べていたことに感謝だ。
本業だった美容師としては、この通り少々後悔もありながら現在に繋がっていることで、良しとしよう。
さて、子どもが小学校へ入学すると自ずとPTAに入会することになる。
「子どもが低学年のうちにやっといた方が後で楽だよ」
先輩ママからの助言で、長女が一年生の時早速平役員を務めた。バレー大会だけと聞いていた体育部。ママさんバレーのチームに所属していた私には持って来いの役だ。
これを年の近い長男の時も率先してやってしまったことが今に繋がることになる。
役員を引き受けてくれる人の候補に挙がるようになり、毎年のようにどこかで役員となっていた。当初の目論見と大きく違っていて自分でも笑えるが、仕事が自営であることで時間の調整が可能。何より、私自身決して嫌いな方ではなく、むしろ好きかもしれない人間だったのだ。
中学の時の学級委員や高校での部活の部長、長なる立場を務めた経験を持っていたことをすっかり忘れていた。当時はまだ、女性は結婚したら専業主婦、家事と育児が当たり前という感覚が多く、自分の本来の性格をどこかに閉まっていたのかもしれない。
これもまた昭和の感覚のなせる業か。
こうして自分自身を見つめつつ、不思議な縁を感じPTA活動に励んだ頃から、
「どうせやるなら楽しく・・」
とポリシーを持ち周囲にもそう伝えてきた。そして、その後の地域活動にも繋がった。
とかく人が避ける役目だが、学歴にコンプレックスを抱える私にとっては、その活動から波及する様々なことから大きな学びを得ることが、自分の糧になった。
学識者の講演会や研修に講座、それは時に子どものためだったり、地域のためだったり、テーマは多様だがそれらの全てが自分自身を成長させてくれていることに喜びを感じた。勉強は嫌いだと思っていたはずが、学びの機会を求めるまでになるとは。
女性として生まれ五十七年、仕事、結婚、出産、育児と経験したことに加え大人になって学んだ全てが今に繋がっている。
過去にあった数々の選択も、全てが繋がっている。
歳を重ね故郷を愛おしく思う気持ちは、時折足を運び白神の自然に包まれた時強く感じる。過去には、早くそこから出たいと思っていたはずの山間の風景が恋しい。
そんな思いを持ちながら、自分の経験や学びを活かせる立場になっている今、夫と子どもたちのルーツである「かたがみ」を日々考えいかにして守るべきかと悩む。
なんだか不思議で面白い。
結局自分は何者なのか。何のために生きているのかと考えても、答えは出ない。
大切なのは、何者であるかよりどう生きるか。自分自身がどう生きたいか、ずっと考えもがきながら生きていくことなのかもしれない。
なんて思いながら自分を振り返っている。
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