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現実逃避という罵倒語

「現実逃避」はものすごく馬鹿げた使い方をされている言葉だ。

 もちろん使い方は個人個人で微妙に異なるけれど、やっぱり変だと僕は思う。現実逃避は概ね「娯楽(特にゲームやアニメやマンガなど)に耽溺すること」といった意味合いで使用されるパターンが多い。

 でも正直、この用法には違和感しかない。
 現実逃避というのは、本来「現実から逃げる行為」――もっと言えば「解決すべき問題から目をそらす行為、振る舞い」を指すはずだ。何かに熱中する行為を意味するわけではないだろう。


やりがい搾取は現実逃避

 例えばブラック企業でよくあるやりがい搾取だ。まさに「現実逃避」としか呼びようのない行為だ。ところが、そう指摘されることはまずない。

 当たり前だけれど、ブラック企業における問題は「労働環境の劣悪さ」だ。
 これに対して「やりがい」とか「生きがい」とかを持ち出したところで、なんの意味もない。だって労働者がどんな「生きがい」や「やりがい」を見つけようと、「労働環境が劣悪だ」という現実は変わらないのだから。
 問題は何一つ解決していないのだ。

 仕事にどれほど素晴らしい「生きがい」や「やりがい」があったところで、それらは賃金の安さや労働時間の長さ、パワハラやセクハラといった諸問題を解決してくれない。

 まったく関係ないことを持ち出して、それを実行すればあたかも問題が解決するかのように振る舞う――改善すべき課題から逃げているだけで、「現実逃避」としか言いようがない行為だ。ところが、僕の意に反して現実逃避と指摘されることはまずない。おかしな話だ。

本当の問題から目をそらすためのごまかし

 容姿が不細工な人間に対して、勉強なりスポーツなり仕事なりで見返せ、などというパターンもある。これもやっぱり典型的な「現実逃避」だ。

 オリンピックで金メダルをとろうと、歴史的発見を成し遂げようと、資産家になって大金を得ようと、それによって自分の容姿が変わったりはしない。
 問題は「見た目の不細工さ」であって、世界的な名声や富があるかどうかは関係ない。それらを得たところで、外見は美しくならないのだ。

 ゆえに、この言葉は本当の問題から目をそらすためのごまかしに過ぎない――もっとも、金と人脈を駆使して、腕利きの医者に整形手術をしてもらうという手もある。それで根本的な解決になったかはだいぶ疑わしいと僕は思うけれども。

自分にとって都合のいい未来を妄想しているだけ

 これはだいぶ古い話だけれど……昔、テレビの特集でこんなものを見た。一世を風靡したもののすぐに人気がなくなった俳優(申しわけないけれど名前は忘れてしまった)の半生についての番組だ。

 その俳優は過去を述懐し、「自分はプライドに邪魔され、やりたい仕事しかやらなかった。だから落ちぶれたのだ」と述べていた。

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