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人生最後の輝きは
おじいちゃん・おばあちゃん
どんなイメージを持っているだろうか。
自分は父方の祖父母はもう亡くなっているが、
この歳になって、時々おじいちゃんやおばあちゃんってすごかったなぁと思うことが増えた。祖父母世代の「当たり前」をテレビなどで目の当たりにすることで「感じる」ことがきっかけとなって。
おじいちゃんは、毎日誰の命日、どんな人の記念日、自分が人生でどんなことを味わった日だったか、ということを病気をして入院するまで毎日語れている人だった。自分含め孫の誕生日には必ず電話をくれたおじいちゃん。忙しくて気持ちに余裕がなくて電話に出なかった年が何度かあったこと、すごく後悔している。死ぬまで日記をずっと書いていた。今風の言葉で言うとルーティンがしっかりある人だった。刻んで生きてきた人生。
おばあちゃんは、生き物にビビらない人だった。山の中に家があったのだが、大きな蜂が飛んでいようが、蛇が出ようが全く動じず、「蜂なんてそう簡単に刺すものじゃないんだから大丈夫。何怖がっているの。」と言って騒いでいる自分の前に飛ぶスズメバチを手ではたき落とすおばあちゃん。生き物や自然に強かった。生きて経験してきた数だけ強かった。
どちらも「詳しい」ことへのかっこよさ。
ただ、それはGoogleで検索して知ることができる答えを増やしていく詳しさとは違う。
生きて過ごした時間の中で刻まれた答えを増やしてきた詳しさ。
人生の中で、ネットという最先端の技術を通した「広い世界」ではなく、自分の足で立って見える「狭い世界」の中で生きる時間と向き合うことを中心に生活する時間をいつか持ちたいと思った。
蛍は9ヶ月の幼虫の苦しい期間を経ても、たった1・2週間だけ成虫になり最後の輝きを放つ。
自分の人生の後半。蛍のように輝きを放つことができる自分でありたい。そのために必要な時間は、きっと「狭い世界」と向き合う時間なのだ。電波に創られた世界から解放された時間の中にしかないのだ。
そう感じることができた番組。おすすめ。もうだいぶ前だけど