レジリエンスについて考える①
高校の時に「心理学」という言葉の響きにかっこよさを感じ(何だか人の気持ちがよくわかる人っぽいくらいに簡単に考えていました・・・)
大学の教養で心理学を学んだけど、ちょっとイメージと違い(すごく偏ったイメージを先行させてしまったせいです)
それでも根本的には心理学の分野には興味があったので、つまみ食いのような感じで本を読むことをしていた。
中でも、今年は、「レジリエンス」について考える機会がたくさんあった。
レジリエンスとは
不利な状況やストレス、逆境にあった時に、その状況に適応していく力のこと。辛くなっても、普段通りに、前向きに生きていくための「能力」。
コロナ禍にある今年は、特に多くの場で「レジリエンス」を発揮する必要性が出ていたように思う。
自分自身の経験と、見えている世界の中で「考えた」ことを記したい。
今日書きたいことは、レジリエンスを発揮「させるもの」の存在について。
レジリエンスが自己の内側からくる「力」だとすると
その力を発揮「させる力」もまた存在していたなぁと感じたのだ。
新卒採用の子。
大学で学んだことを生かし、コロナ禍でも必死に手に入れた就職先で少しでもみんなの役に立とうと目を輝かせながら挨拶をした初日。
上司や同僚に気を配り、与えられた仕事を覚えるために必死な毎日。残業も多くなる。
研修期間を終えて、現場での仕事が始まる。やる気はピークだ。
しかし、
実際の現場はなかなか厳しいもので、すぐに結果を出すことはできない。ミスも時々してしまう。その度に上司に報告。
4月に見せていた輝いた目は消えて、笑顔も少なくなった。
同じ部署の同僚や上司も、若いうちは経験だからと思いながらも、自分たちの業績も思うようにいかないため、後輩の未熟さを少し迷惑に思っている雰囲気が出てしまっている。愚痴をこぼす人もしばしば。
それでも負けないぞ、と自分を奮い立たせるためにその子は「レジリエンス」について学び、仕事を覚えることと、自分の心を整えることの両輪で努力を始めた。
このような環境の中で、最大限に「レジリエンス」を発揮することは容易なことだろうか。
「迷惑をかけてしまっている」「自分のせいで」と思ってしまっている限り、いくらレジリエンスを学んでも、また同じように苦しい日々が戻ってきてしまう。
自分たちにできることは、レジリエンスを発揮「させる」サポート。
内側からの力を大きくしていくためのメッセージ。
あなたがいてくれるおかげで
あなたのことが大切です
力になりたいと思っている
話を聞くだけでよければ
大丈夫だよ
そんなメッセージが伝わる組織の中で
「所属と愛の欲求」から「承認欲求」、「自己実現の欲求」が満たされていくように
応援し続けること
それもレジリエンスに関わる大切な「外側からの力」になっていくのかなと
多くの「レジリエンスのやり方」を学ぶ過程で考えた。