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知らなかった・・・を想像する優しさ

(映画えんとつ町のプペルのネタバレが少し入ってしまいます。)


小学校の頃、いつも

「あいつうるさい。」「黙れよ。」「なんか汚い。」

と言われていた友達がいた。

先生からもいつも注意されていた。

「落ち着きなさい。」

と。

地元にいる数少ない親友の一人。なんでみんなにネガティブな感情をぶつけられているのにやめないんだろう。子ども心にそう思っていたが、直接いうことはなかった。そして今の今まで言ったこともない。

私は、その友達と二人だけで遊ぶ時間がすごく好きだった。声のトーンも低く、自分の好きなゲームに没頭してつぶやく。それを私は見ながら時々そのゲームについて質問する。すると、一生懸命教えてくれる。そしてまたゲームに没頭する。何が面白いんだ?と思うかもしれないが、自分はその空間がすごく好きで、自分が大学生になった時も同じような過ごし方をしていた。片手に酒を持つという部分だけが変わって。きっと今会ってもそうなる。

彼は人気者に強い憧れを持っていた。ニコニコ動画に挑戦したり、YouTubeにも挑戦したりしていた。人気のゲームを誰よりもやり込んで(当時はドラクエやFF)誰よりも詳しくなろうとしていた。そんな彼が、お楽しみ会か何かで、思い切りはしゃいだキャラクターを出した時に、ものすごくウケたということがあった。彼がクラス1の人気を獲得した瞬間。数少ない成功体験。彼は、ただそれを繰り返していた。頭の良い男ではない。空気の読めるタイプでもない(友達がきてもゲームに没頭するぐらいだからね)。ただ、憧れている自分の姿に一直線だっただけ。

みんなはそんな背景を知らない。

二人きりで遊んでいる時の彼も知らない。

「うるさい。」「黙れよ。」「なんか汚い。

その言葉は飛び交い続けた。しかし、彼がめげることもなかった。


映画えんとつ町のプペルを見た時に、このことを思い出した。

ゴミ人間プペルは、毎日ルビッチに体を洗ってもらっているはずなのになぜか1日の終わる頃にはまた体から臭いが出ている。自分も不思議だった。洗えばある程度綺麗になるし、いつか臭いが取れる。そのほうが物語的にも、と生意気にも思っていた。設定なのかな、と。

もちろん、そんな無限ループ臭のプペルは、唯一の友達ルビッチ以外には、臭い・汚い・どっか行け・なんでいるんだと暴言吐かれまくる。

しかし、それには理由があった。

その理由を知ったら、誰も臭いなんて言えない。臭いと言っていた自分を後悔する。そんな素敵な理由。(中身を書きたいが、ぜひ映画を見て欲しい。映画の中のびっくりポイントの一つ)


「ゴミの身体のその奥には、綺麗なハートがある。」

歌の一節。


「信じ抜くんだ。」

ルビッチの父親のセリフ。


この二つの価値観を掛け合わせるとすごく優しい価値観が生まれる感じ。

奥底を知らなかったという理由で、表面上のことだけで、五感だけで、何かを、誰かを「否定」するということを無くせるんじゃないだろうか。

知らなかった・・・ごめんよ。と思うより前に気づく人になれるんじゃないか。

そういう優しさが、一人一人の頭の上にあるモックモクの煙をはらって輝く星を見つけさせてくれるんじゃないかと。

えんとつ町の煙は、今の世の中の価値観にも例えられており、一人一人の心の世界のことでもある。そう思った。

身近な人の煙をドッカーンと無煙火薬で払える人になれたらいいな。

「ワクワクするじゃないか。」

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