コミュニケーション能力の一粒
経験により、、というより反省により、、
自分が何かの感情を、特に「ネガティブ」なものを感じたとき、
その理由となる「プロセス」を知っているものはほとんどいない
ということを自覚して「ネガティブな感情」を出しているか。出し方を工夫しているか。
ということを考えた。
ずっと気になる行動や行為を繰り返している他者がいたとして
我慢していた自分がいたとして
でもちょっと一線越えたな、というところで物を申すとき
その伝え方は相手が理解できる範囲から一線越えてないだろうか
なんでそんなにいきなり怒るの? となっていないだろうか
相手にもそれまでの別「プロセス」を過ごしていた時間があるということ
自分の「プロセス」ばかりを正当化して感情をぶつけていないだろうか。
自分の行いや素振りにそういった部分がないか、ふと考えた1日だった。
そんな想像力も、人との余計な軋轢をうまないコミュニケーション能力の一粒と言っていいのかな。