25歳の君に。
じぃーーっ じぃーっ かちゃ。
写ルンです で撮った、ショーウィンドウに映った自分の写真。
ドキドキしながらオトナ買いしたベージュと淡い色のデニム、濃い色のデニム3本のうち、ベージュの裾にジップがついたローウエストのデニムを履いている。
セピア色めいたレトロな写真が記憶の瞳の中に映る。
あの頃。
25歳、初めて付き合った彼と別れたばかりのわたし。
心が死んでしまったように何も感じられなくて、悲しみの中でもがいていた。
そして通っていた専門学校から地元の埼玉に帰って夜中のスーパーを当てもなく徘徊していた。
あの頃。
まさかこんな未来があるなんて思わなかった。
こんな未来があるなんて。
東京ライフ
やっと秋めいてきた10月の終わり、長袖がクローゼットの中に数枚しかなくて、豊洲のZARAで黒いシンプルなTシャツを買いながら思う。
あれから20年近くが経った。
マレーシアに帰るために就職活動を再開したところだ。
きっと。
ZARAで買った長袖のTシャツは2週間のうちに3回ほど着たらあっという間に冬が来て、年明けには日本を離れるだろうから、数年間実家のクローゼットの中で眠ることになる。
2022年。
マレーシアに移住した。
南国、のイメージとは裏腹に日本の夏よりも涼しい気がした。
日本に住む今も、同じくそう思っていた。
日本の夏は暑すぎる。
突然だが、マレーシアに住むまでのわたしは、仲の良い友だちが口を揃えていうくらいに「男運がない」女だった。
ここで公表するには気が引けるくらい、文字にすると ???となってしまうような肩書きがつきそうなキャラクターの元彼たちのラインナップ。
当然の如く、結婚なんて考えられなかった。
そして、決まったマレーシアの仕事。
マレーシアがわたしの人生の中で大きな転機だったことはいうまでもない。
土地に流れる音楽も、人の話し声も、漂ってくる料理の匂いも、すべてが日本とはちがって、たくさんのわたしが抱えていた常識を覆していった。
40代になって初めて他人とルームシェアをしたし、会社もクビになりかけた。
新手のスリにも会ったし、ダニに噛まれてオペまでするハメにもなった。
その時その時、毎回たくさんの人に助けてもらって、支えてもらった。
たくさん泣いて、たくさん笑って、知らない世界をたくさん知った。
でも、振り返ってみるとわたしの人生の中には他にも大きな大きな転機があった。
専門学校入学だ。
20年前のわたしへ
当時23歳で新卒の栄養士だったわたしは、どんどん成長していく同期の近況報告にモヤモヤした気持ちを感じていた。
なぜかというと、わたしが配属された職場は少し特殊で、栄養士が新卒で経験するような大量調理の実践経験や、そのスキルが身につけられないような環境だったから。
だからものすごい焦燥感を感じていた。
同期たちに会うたびにその焦りは増していった。
急に思い立って、本屋へ行き、そこら中の専門学校のカタログを読み漁り、パティシエになるための専門学校へ通うことを決めた。
キャリアチェンジだ。
正直なところ、管理栄養士の仕事に興味やおもしろさはほとんどなかった。
いい子ちゃん人生を歩んでいた高校生のわたしが親に助言を求めた結果、
という母のひとことを丸呑みにして、興味がありそうな「食べること」に関わる国家資格が栄養士だっただけ。
当時付き合っていた彼がいたが、専門学校入学については事後報告だった。
Cast a Spell
その彼に関しては、今振り返ってみても不思議なことがある。
それは
彼と別れてから約10年間の間『自分に呪いをかけていた』こと。
彼と別れた後、わたしはなぜかわからないけれど自分に誓った。
恐ろしいことにこの呪いの効き目はすごかった。
美女と野獣の魔女が自惚れていた野獣にかけた魔法のように、本当に長い間、その呪いは暗い暗い闇の中にわたしを幽閉した。
呪いの通りそれからのわたしは何をやっても恋愛でうまく行くことはなかった。
そりゃあそうだ、自分でその呪いを受ける覚悟を決めたのだから。
そして、元彼と別れて何年もした頃、親友が言った。
それまでにもその親友から何度も言われていたように思う。
でも、わたしの心がその言葉を受け入れる準備ができるまでには10年近くかかっていた。
やっと、自分で自分の呪いを解く覚悟を決めた。
連絡先を消してわからなくなっていた彼の連絡先を共通の友だちに頼んで教えてもらう。
元彼に会う約束を取り付ける。
実際に会って話す。
今のお互いの現状、わたしがあれからどんな思いを抱きながら生きていたのか。
思ってもみなかった言葉が返ってきた。
わたしは自分の勝手で2人の関係がうまくいかなくなった、と思っていたし、別れを切り出したのは彼だったけれど、本当は自分がそう仕向けたのもわかっていた。
こんなに『いい人』とうまく関係を続けられないのは自分が悪いからだと思っていた。
そして、彼とうまくやれないことにずっとずっと申し訳なさを感じていた。
それらを聞いて彼が言った言葉。
「自分(彼)に対してそれは失礼だろ」 と。
彼はわたしが心配する必要なんて微塵もなく、自分で自分の人生を歩んでいた。
ちゃんと前を向いて。
なんだかずっーーーと長い間成仏できなかった亡霊がやっと天に昇っていった気がした。
10年という長い月日をかけて、やっと自分にかけた呪いを解くことを許可した。
自分をゆるす許可を。
自分の欲求を叶えてあげる
そこから10年近くが経ち、この10年の間に数えきれないほどの自分の夢、と言ったら大袈裟だけれど、自分の内側から出てきたWANTを叶え続けた。
どんどん大きな夢が叶うようになってきたようにも思う。
『海外移住』もそのうちの一つだった。
望んでいた移住先ではなく、実際に住めたのはマレーシアだった。
それでもそこからまたわたしの人生は大きく変わった。
今、わたしのとなりには愛する人がいる。
20年前、ストレートな愛の表現を言葉やギフトでもらえなくて悲しかった20代の自分も
10年前、どんなにもがいても寄り添ってくれる人なんて見つからなくて、ひとりの寂しさを抱えながら気丈に振る舞うしかなかった30代のわたしのつらさも
それらすべて内包してしまうくらい大きな愛で包んでくれる人。
愛を知らなかったわたしに、愛を触れさせてくれた人。
もし、今
自分がゆるせなくても
誰かをゆるせなくても
ひとりがつらくてさみしくても
10年先の未来ではまったく別人の自分がいるかもしれない。
それを望む人すべての人が、望むものを溢れるほどに受け取れますように。
愛を込めて。