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WORKING HOLIDAY (ワーホリ)へ旅立つ君へ(前編)。

海外へ出ることにはまった。というお話を前回書いたのですが、その中でも、カナダで過ごした1年間は僕の世界観を変える原体験だったと思います。今日は、WORKING HOLIDAYで僕なりに思ったことなんかを書きます。これからワーホリしようと思っている方の参考になれば嬉しいかな。

何故これを書くか、僕の自己紹介シリーズのうちではあるのだけれど、最近みたこのニュースをでも、日本が世界の中でどんどん脱落していっている。会社の中を見回しても、「僕日本人です」があふれている。僕が務める外資であってもこのありさまは、もうほんと「幸せですね」と言ってあげたいくらい。出張でいく東南アジア各国は信じられない発展を遂げていっている。そして日本が失ってしまった勢いを感じる。つまり、まだ勢いがあったころを知る人として、現状は悲しく思う。ドンドン外へ出る人が増えてくれたらいいなという希望から。

●長期海外滞在の滞在費の悩みを解決するワーキングホリデー制度

僕がワーホリにでたのは、1994年3月。帰国したのは1995年3月。え!うそ!もう25年前?みたいな前の話しです。当時はカナダ、オーストラリア、ニュージーランドの3か国が日本と協定を結んでいて、当然その3か国のどこかにワーホリに行けたわけです。今はすごいことになっています。世界中行けちゃう。

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1か月程度の海外滞在で満足できなくなっていた僕は「留学したい」と、頭も資金もないのに思っていた。いちばんのきっかけは、大学を留年することになったこと。「どうせ人より遅れるんだったら、あと1年ぐらい遅れても問題ない(はず)」「仕事を始めると絶対できない海外長期滞在を絶対にやりたい」「留学は資金的にも、何的にも絶対むりだろうな」

そんな時出会ったのが「WORKING HOLIDAY = WORKING ABROAD PROGRAM」です。一人でいろいろ調べて、準備を始め、バイトを増やし資金を貯めはじめた。親は大反対だったけど口説き落とし、選んだ渡航先はCANADA。なぜ?嘘のような本当の話し、じゃんけんに負けたから。今のようにネットがなかったから調べるといっても、雑誌とか協会さんの資料とかのみ。まだ少し海外が遠かった時代だから、正直調べたことは滞在最初の都市であるTorontoの事ぐらいだったけど、いつもの「旅行」とちがうので、いろいろ調べてノートみたいなのを作った記憶があります(そういやまだ今みたいなノートPCももってなかったぞ)

●準備の大切さ、自分が何をしに行くのかをまず決めよう

よく言われることだけどワーホリは、その使い方も、やり方も人それぞれ。僕はそれでいいと思うのだけど、逆を言えば、何もやらないで帰ってくる人は山ほどいた。つまり「お前何しに来たんだよ?」「何やってんの?」って人たち。きっと今もそうだと思う。けど、「なにもしに来ていない」「いや、こうしてダラダラ、チャラチャラ(表現むずかしい)するためにきたんです」というのが、目的なら、それはそれでいいと思う。僕はそれが嫌だったし、そういう日本人とはかかわらないと決めた。僕の目的は、「英語での日常会話を完全マスターする」ことと「多国籍チームで働く」ことの2つだった。

主体性をもって1日1日を過ごさなければ、365日はあっというまにおわってしまう。計画的にこの完全自由な日々を過ごす人と、そうでない人で、その後の人生が大きく違ってくるかもしれないインパクトがあると僕は思っている。なんでもいいから、達成したり、大きく記憶に残る”何か”をぜひ見つけて欲しいと思う。20代までの人しかそれが体験できないというところにこのプログラムの主旨がある。WORKINGとついていることもそうだ。潤沢な資金をもって、贅沢な海外滞在をエンジョイするのは、もっと後でもできること。お金はないけど、夢がある。狭い日本を一度飛び出してみたい!そんな人にチャレンジしてほしい。

僕のおススメは、渡航前にすべてを決めてしまわないこと。けど、最初生活が安定するであろう導入期間の計画は決めておくことだ。それが1か月でもいいと思うし、3か月でもいいと思う。言葉に対する不安を抱えている人は少なくないと思うから、まず語学学校へ行こうという人は少なくないと思う。1年の導入部分を渡航前に決めておくと、そこで得る情報や、出会う人からいろんな情報を得ることができる。僕は、英会話が全くできなかったので、語学学校に当時許された3か月間通うと決めた。そこを決めるとホストファミリー制度があるのを知り申し込みをした。振り返るとこの3か月間はその後の9か月間を豊かにしてくれた。仲良くなった人もこの時期の人が多い。

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●僕のワーホリ概要

準備資金:100万円(うち、最初3か月のホームステイと語学学校の費用で60万円がきえる=渡航したときの所持金40万円、当時のCAN1$=¥90ぐらいだったと思う)

●4-6月:Toronto ホームステイ+語学学校(残金20万円に減少

●7月-8月:Toronto シェアハウス+ドライバーズガイドでナイアガラ観光の仕事。残金60万円に上昇

●9月-10/中:ヨーロッパへ。残金20万円に減少

●10/下:Vancouverへ、ドライブアウェイのバイトを使ってカナダ横断のつもりが。。

●11月:BanffでVAN生活、職探し(見つからず)残金10万円あるかないか

●12月-2月:Vancouver定住、Grouse MT. でリフトオペレーターの仕事開始

●2月:極寒の北極圏、INUVIKへの旅

●3月:帰国。そして復学

●人との出会い

Torontoへついてから、僕はとにかく英語を話すことに必死だった。学校で知り合ったのは、外国人半分、日本人半分ぐらいだったように思う。しばらくすると、日本人グループがあるあるのアフタースクールでつるみだし、僕も誘われたけど、お断りするようにして、僕は外国人グループに食い込んだ。周りはみんな僕よりはるかに英会話がうまく(聞こえた)、僕は、えーっと、えーっと、Yes, No, 程度の会話しかできなかったけど、それでも彼らと過ごす時間はとても楽しかった。同世代のかれらは、みんな遥かに自分の国について知っていた。政治の話し、文化の話し、ありとあらゆる話が飛び出してくる。それに比べて僕は...... 何も知らなかった。恥ずかしかった。「日本人はいいよね、日本のパスポートがあればどこにでも行ける」そんな風に言われたことがあった。「僕は、もう国に帰れない。帰ると家族が銃殺される」そんなことをいうやつもいた。週末に、教会で開かれていた移民者向けの英語セミナー (ESL : English as a second language) にも積極的に参加したり、時間をとにかくできるだけ英語で過ごすようにしていた。

ホストファミリーや、シェアハウス大家のドーラ。学校の仲間でギルボナディアキム、僕に海外生活の仕方を教えてくれたアキ、僕をやさしく応援してくれたアコさんさん。よなよな話をして過ごしたヒロミ。ランゲージエクスチェンジをしたハース。Grouse MT. で仕事後にスノボを教えてくれたマイケル、リフトオペレータの仕事を終えた後カフェでいつも暖かい飲み物をくれたキャリー、僕はゲイだと告白されたスコット。他にもたくさんの知り合いが、その時、その時で僕の1年間を助けてくれた。

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実生活でもそうだけど、どんな人と付き合うのかはその人に大きく影響すると思う。僕がラッキーだったなと思うのは、変な日本人コミュニティに属さなかったことだ。変なというのは、「あいつ感じワル」っていうような人ら。明らかに、親のすねかじりできてた(と思われる)系のやつら。日本の悪口を連発するような人たち。なんでお前ら海外にいるのに、ずっと一緒にいるの?という人たち。目的をもっていないと、そういう人たちと過ごすことになる。なぜなら居心地がいいから。でも、それでいいならいいけど、僕は、時間の無駄だと思ったし、今でもそう思う。ワーホリの醍醐味が全然味わえないから。多分得られる経験は半分以下。いや、1/10かもしれない。寂しすぎる。悲しすぎる。

目的をもって励ましあえる人や、学校や職場で相談できる仲間とできるだけ濃密な時間をすごくすことがとても大切だと僕は思う。

そんなことをしていたら、僕は確か10月(ヨーロッパを周ってトロントに戻ってきたころ)頃に、自分の英語にチョット自信ができて、人から聞かれたり、電話を受けたり、かけたりすることが怖くなくなっていた。夏の観光ガイドの仕事をやめ、1か月半ヨーロッパを周って、お金の底がまた見えていたころだ。冬が来る前に仕事を探さないととバイト探しを始めたころ。Canadaの生活が絶好調に楽しくなってきたころだったと思う。(続く)

ワーキングホリデー進行中の方、今、ワーホリを目指している方に少しでも参考になれば。今はネットでいろんな情報が調べられるので、渡航されている、もしくは計画されている地域情報を得ることは簡単だと思います。大切なことは、限られた時間を、どう使うか?(使わないかも含めて)だと思います。絶対に皆さんの未来に輝く1年にしてほしいと思います。

今回も読んでいただいてありがとうございました。次回はバイトの経験を中心に後半を書きたいと思います。では。

僕の経験がどれくらい今役立つのかわからないけど、質問とかあれば、DMいただければできるだけお答えします!




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