古文の文法が分からない〜学力格差に悩んだ短大時代
20年以上経った、今でも忘れられない。
短大に入って、最初の古文の授業。
教授が、軽い自己紹介の後、徐に、黒板に、
古文の文法を書いた。
そして、
これを高校で習った者は右、習わなかった者は左に移動して下さい
そう言った。
私は、左に移動した。
そして、プリントが配られた。
当然、右側と左側で、内容が違う。
そして、右側20分、左側30分、内容の異なる授業をし、授業でない時に、プリントに取り掛かった。
右側の生徒が受けている授業は、聞いていても、さっぱり分からない。
配られたプリントも、半分解くのがやっと。
以前書いた『努力って報われないな』に詳しいが、
私は当初、希望していた学科より、
ランクを下げて、この学部に入学した。
それでも、学力の差は、歴然としていた。
それからの毎日は、どの授業を受けても、
自分の学力不足を思い知らされた。
私が通った短大は、現代文の授業が、一切ない。
1番得意な科目を封印され、私はもがいた。
3ヶ月に1度、古文の授業で昇格テストがあるが、
何度受けても、右側には行けない。
この短大を選んだのは、間違いだったのか。
自分に失望もした。
しかし、同じく左側にいる友人達に励まされ、また、右側の生徒に、授業で分からなかった所を質問したりして(クラスの生徒の仲は良く、右側に差別的な生徒もいなかった)、何とか古文の単位を取った。
結局、1年間、左側だったが、テストのたびに、点数が上がっていたので、それなりの手ごたえは感じるようになっていた。
後から知ったことだが、わたしが通った高校の、短大からの評価は、Fランク。
相当、下の方だった。
しかし、不思議なことに、次第に仲良くなっていった友人達は、皆、進学校と言われる高校の出身、A、Bランクの生徒だった。
勿論、左側だった生徒とも仲良くしていて、短大時代は、友人が多く、
食堂に行けば、5〜6人の友人がいるのが常だった。
特に仲の良い友人の1人は、同じ県に住んでいて、
県内女子で1番の高校出身だった。
私のように、どの教科も、ついていくのに必死、という生徒も、いないわけではなかったが、少数派だったように思う。
それはそうだ。
普通は、自分の学力に見合った学校へ行く。
また、本校が、東京にあり、その足掛かりに入学する生徒もいた。
短大を卒業し、3年生に編入出来る。
足掛かりで入学しちゃうんですね、と、思わずにはいられなかったが、仕方ない。
希望する学科に入れず、両親に説得される形で入った学科だったが、私が甘かった。
そもそも、この短大の姉妹校である高校に、姉が通っていて、やはり授業についていくのに苦労していたのを見ていたのだから、
それなりの学力が必要だと、初めから気付くべきだった。
推薦で受験したので、得意の論文で勝負出来た。
そして、蓋を開ければ…というわけだ。
今、振り返ってみれば、左側に行かされたからこそ、本当の自分の学力不足に気付けたし、
努力も出来たと思う。
今思えば、だが。