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メザシと結婚した母。

小学3年生の時、寒い冬の日、
リビングのこたつで、宿題をしていた。

傍には、メザシを食べる父がいた。

宿題が終わろうかという時、ふいに父が、
「まゆこも食べるか?」と、聞いてきたので、
良く考えずに頷いた。

父は、器用に箸でメザシを切り分け、
小さいものを、私の口にぽんと入れた。

噛んでびっくり、苦い!

「苦い!炭の味」
私は咄嗟にそう言った。

いや、炭を食べたことはない。
しかし、そんな気がしたのだ。

堅物の父のこと、怒るかな、と思ったが、
意外にも、ちょっと笑って、

「まゆこには、早かったか。大人の味だからな」

そう言って、また、残りのメザシを食べ始めた。

私は口の中のメザシを何とか飲み込んで、
キッチンへ行った。

そして、コップで水を一気に飲んだ。

すると、母が、
「あら、どうしたの」と尋ねてきたので、
事の経緯を話すと、母は苦笑いして、
「私もあれは苦手だけど、お父さんの大好物だからね」と言った。

メザシを焼いたキッチンは、独特の匂いがして、それも好きではなかった。

そもそも、父がメザシを好きなのは、
実家が貧しく、野菜メインのおかずばかり
食卓に並ぶ中で、たまに出る、動物性タンパク質である、メザシが楽しみだったことだ。

対して、母の実家は裕福で、食事に
金の糸目はつけない家庭に育った。

メザシは、結婚して、初めて知ったという。

まだ姉が生まれる前、新婚の頃から、
母は、苦手なメザシを、父と食べてきた。

母からしてみれば、共働きとはいえ、
生活レベルは、グンと下がった。

母の実家が経営するアパートに、少し家賃を
安くしてもらって住んでいたので、
下の階に住んでいる祖母が、よく、
おかずを作って持ってきてくれたそうだ。

父は、見たこともない、豪華なおかずに、
驚いていたと同時に、
こんな立派な物をいつももらって、
実家の食費は大丈夫なのか、と心配したそうだ。

母が「いつものメニューを分けてもらってるだけよ」と言ったので、父は更に驚いたそうだ。

夫婦とは、まるで違う環境で育ってきた二人がなるものだが、ここまで違うと、ギャップが大きい。

私達が生まれてからも、しばらくその
アパートに住んでいたが、
離乳食は、祖父が作ってくれた。

鮭雑炊をすりつぶしたり、林檎をミキサーに
かけて、トロトロの冷たいアイスクリームを作ってくれたこともある。

これにも、父は驚いた。

父方の祖父は、育児に殆ど無関心だったそうだ。

父は四人きょうだいだが、下の子が泣こうが祖父は新聞を読んでいて、仕方なく父が
面倒を見たという。

母は三人きょうだいだが、両親が店を開いていたので、きょうだい助け合って暮らしていた。

従って、絆が深い。

父方の兄弟に、絆がないわけではないが、
見ていて母方の方が、関係が良好に見えた。

メザシだけが楽しみ、という家庭に育った父と、豪華な食事が当たり前の家庭に育った母。

刷り込みに近い形で、メザシは父の
大好物になった。

ある晩のこと、いつものように、
メザシを食べる両親と、ハンバーグを食べる
私たち姉妹。

当時の冷凍食品は、今と比べて、美味しくない。

母は、いつも手作りの料理を作ってくれていた。

そんな母が、ふと、

「私、メザシと結婚したみたい」

と呟いた。苦手なメザシを、父の大好物だからと、一緒に食べてきた母。

その呟きを聞いた父は、意外にも笑って、

「そうだな。結婚して初めて食べたんだもんな」

と言った。

食事に、酒の肴に、メザシは活躍した。

それは、父が癌になり、入院するまで続いた。

食道癌で、食べた側から吐いてしまう。

しかし、メザシだけは、最後まで食べられたのだ。

一時退院した父の為に、私と母は、
食事をガラッと変えた。

喉を通りやすいように、柔らかく、
しかし味は落とさない。

その中でも、父がいつも完食するのは、
焼いたメザシを、粉々にしたものだった。

三つ子の魂百まで。

メザシは、最後まで、父の大好物だった。

メザシと結婚したと言った母も、
納得した表情だった。

安いかもしれない。苦いかもしれない。

けれど、メザシは、病に罹った父の
救世主だった。

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