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晴一と綴る
こんにちは。先日発売された「ESECAN×新藤晴一」アートブックを購入し、開封の儀を済ませた”親切でエキセントリックな嗜好”を持った人間、ミチです。まさか自分がそんな嗜好だったとは知らなかった。
というのは晴一さんがそう言っていたから。これに関しての説明は晴一さんnoteの無料部分で説明されていますのでこちらを参照のこと。バンドの右側がモデルの写真集。
人生で、誰かの写真集を購入したのはおそらく初めてな気がします。
うちに写真集はあるけど、彫刻家や写真家の写真集しかありませんし。あとはポルノさんのライブ写真とか。
なのでこんな個人の写真集を買うなんて生まれて初めてのことです。そんな初体験が、まさか50歳の大人の男性の写真集。なにこれ。
グラビア写真しかなかったとしたら買わなかったかもしれないし、多分晴一さんも販売してないでしょうね。ただ写真がアートであり、且つ写真とともに詩が添えられているということなら話は別。だって晴一さんの言葉のファンだから。
前置きが長くなるので感想。といっても中身は極力露呈しない方向で。
まず最初の写真に載せられた言葉を見ての私が発した一言は「紛れもないな」。たった二行の文字の連なりが、紛れもなく新藤晴一で。音まで聴こえてきそう。
その後も次々とページをめくるたびに「はぁ…」「ふぅ…」「ほぉ…」と言葉にならないため息が次々と。
そして大人の男の渋みの中にほのかな愛嬌を垣間見てにやけてしまう。
とりあえず、いつか一緒にご飯を食べる機会があるなら「こんなに食べれないかも」って言おうと思う。そんな機会はないけれど。
読み進めながら素敵なアートブックで何より、と思いつつも私は徐々に焦っていきます。それは、宿題が課せられているから。
宿題とはコレ。
晴一と綴る…?このノートに詩を書けと?晴一さんの文字が表紙に書かれたノートのページをめくればさっそく3つ詩がありました。若干大喜利っぽかったけども。
私も何か書こうとしたけど、全く言葉が頭に浮かんでこない。
ということで宿題を持ち帰り、今一つ一つの写真を眺めながら考えているところ。詩を書くなんて、多分国語の授業以来ではないだろうか。だって詩というものにあまり触れてこなかった人生だから。有名なものをかいつまむぐらいで。
別にこの企画に参加しなければいいだけの話だけど、ファンとしてスルーできますか?どうせなら大勢のファンがぎっしりと詩を書いたノートが晴一さんの手元に戻ってほしいと思いませんか?
ということで一つ一つ熟考しています。
写真を見ながらだと、強火オタクの気持ち悪い感情か、写真で一言大喜利しか出てこないのでそういった類のものをいかに詩的表現に変えていくかということで頭を悩ませています。
詩は、言葉の意味や文節、ルールなどに則って正しい文章を書いていたらあまり面白くない気がして。
言葉と言葉の関連性がなくても、自分にしかわからない表現でも、伝わらなくてもいいのが詩なのかなと。
理路整然とした文章ばかり心がけていたから急にベクトルが変わって混乱中です。でも、このアートブックを読んでの感想を晴一さんに届けたいのでもう少し練ってみたいと思います。
いつ書きにいこうかな。ギリギリまで粘るかな。
おまけに詩とは何なのか、という事を勉強してみたいと思い立ったので、カフェイン11でお馴染みの渡邊十絲子さんの新書を読んでいます。詩の世界って自由。
なのでぜひみなさんもチャレンジしてみてくださいね。