展覧会レビュー:生誕160年記念 グランマ・モーゼス展 素敵な100年人生
──酎愛零が展覧会「生誕160年記念 グランマ・モーゼス展 素敵な100年人生」を鑑賞してレビューする話──
理解と敬意をもって接すれば、きっと与えあえる。
どうも、絶賛人生改革中の私です。いそがしい!
以前の記事でもお伝えした通り、この冬春に行きたい展覧会のひとつに行ってきました!
今回は、東京都世田谷区、世田谷美術館で2022年2月27日まで開催されている「生誕160年記念 グランマ・モーゼス展 素敵な100年人生」です!タイトル長っ!(;´Д`)
世田谷区美術館へは東急田園都市線の用賀駅から徒歩で17分ほど。もちろんバスも出ていますけど、用賀駅からは「用賀プロムナード いらかみち」というお散歩ルートがあります。これがまたステキなので、体力に余裕のある方はぜひ徒歩で来館されることをおすすめします(・∀・)
渡り廊下を通って、いざ展示室へ〜!
グランマ・モーゼス──アンナ・メアリー・ロバートソン・”グランマ”・モーゼス、”モーゼスおばあちゃん”の愛称で親しまれたアメリカの女性画家をご存知でしょうか。現在、アメリカの国民的画家として知られる彼女が本格的に絵を描き始めたのは、なんと70代のときでした。
それも、それまで趣味にしていた刺繍が、持病のリウマチの悪化によってできなくなってしまったから、絵筆をとったというのです。
グランマの絵は、はっきりとした色彩でありながらも、優しく、やわらかな色味を持つと思っていましたけれど、絵画の前に刺繍という下地があったのですね。私たち素人が絵を描こうとすると、どこに、どの色を、どんな風に、どんな順番で乗せたらいいか、というところから始めなければならないことが多いですが、その色彩感覚の下積み、下準備というものを、グランマは趣味としてモノにしていたのでしょうね。
グランマは、子供の頃から絵を描くことが好きだったそうですけれども、結婚し、子育てをし、農場で働き詰めに働いて、趣味で絵を描くことができたのは老年に入ってからでした。その素朴な絵は、自作のジャムや漬物などといっしょにドラッグストアに置いてもらっていたということです。売れるのはジャムや漬物ばかりでしたが、ここに転機が訪れます。
1938年、グランマ78歳の年に、たまたまお店を訪れた美術コレクターのルイス・J・カルドアが、グランマの作品をすべて買い上げたのです。彼は画商のオットー・カリアーらと奔走し、ついにニューヨークで個展を開くこととなりました。グランマ80歳の年です。
展示されているグランマの作品を見た時にぱっと感じたものが、ふたつ、ありました。ひとつは、ものすごく素朴なイメージだということ。これは画風だけの効果ではないでしょう。額縁が、ほとんど「ただの板」なのです。装飾などなにもない木の板が額縁としてほとんどの作品に使われているのです。
もうひとつは、現代の日本人の私から見ても、心が安らぐノスタルジーにあふれていること。もちろん、グランマが狙ってやった効果ではないでしょうけれども、これは1940年〜1960年あたりの、機械化や都市化が進む時代の都会人──特にある一定以上の年齢の大人たちにとって、まさに「干天の慈雨」に等しいものであっただろうことは容易に想像がつきます。それが、田舎のおばあちゃんがいっしょうけんめい描いたものだと知ったら、そのノスタルジー力はマシマシになることうけあいでしょうね。私が当時を生きていてこの絵を前にしたら号泣する自信がありますよ。
きれいなもの、美しいもの。それはグランマにとって、遠い世界の夢物語ではなく、自分に都合の良い世界でもなく、夫や子供たち、孫たち、そして隣人たちと過ごしてきた大切な時間、人生の歩みであり、それらを変わることなく見守り続ける田園の風景だったのではないでしょうか。
この展覧会で印象に残ったのは、多くの人々が登場する作品たちでした。手仕事をするためにみんなで集まり、おしゃべりをし、働き、お茶を飲む。友情や仲間意識を育み、達成感をみんなで分かちあう。大家族のだんらん、地域総出の集まり。これが人生を彩る美しさ……
地方を出て都会に住み、核家族化が進んだ所に暮らしている身にとってはなおさら、それは何よりも素晴らしく、また得がたいものだったことでしょう。
グランマの作品の中には、なぜか家の壁がなくて、中の様子が丸わかりのものがいくつかあります。そこには、戸外の人々と同じく、人が汗を流して働く姿が描かれています。つまりこれは実際に壁がないのではなく、壁を描く必要がなかったのだということであり、グランマが何を描いて残しておきたかったかの現れではないでしょうか。
現実には、古い町並みはどんどん失われていきます。防災、再開発、老朽化、理由はさまざまですけれど、ふと通った昔の通学路で、今まであったはずの家やお店がいつのまにかなくなっていて、真新しい家が建っていたり、ただの拡張された道路になっていたりするのを見るのは、まるで自分の過去の一部をはぎとられたかのような寂しさを覚えるものです。失われゆくアメリカの旧き良き時代を、グランマは、その心の思い出のままに描き残してくれたのでしょうね。
いわゆる素朴派、ヘタウマというジャンルに分類されることが多いグランマの作品の中には、(あれっ、印象派の絵が混ざってるけど何これ?)と目を疑ってしまうものがあります。
「表で」「くりかえし」は戸外の移ろう光を追い求める印象派がよく使うワード。描画法は違っても、その奥底に流れる味が似てくるのもむべなるかな、といったところでしょうか。
あと、思ったのは、(カメラでこの画面にしようと思ったら、きっと超広角レンズでないとこうはならないだろうな)という作品が多いことでした。俯瞰でとらえ、広く、高く、どこまでも遠大。このおおらかさも、きっと人気のひみつなのだと思います。
グランマは10人きょうだいの3番目に生まれ、12歳で奉公に出ています。同じく雇われていたトーマス・サーモン・モーゼスと27歳で結婚し、10人の子宝に恵まれていますけれども、5人は夭折。農村での女性の仕事は決して楽ではなかったでしょう。それでもグランマは「これ以上のものはなかった」と言っているのです。「よく働いた一日のようなもの」と言えるのは、本当によく働いた者だけです。
まだグランマの1/3も生きていない私がそう思えるには、どれくらいの経験を積まなければならないのか。想像もつきませんけれど、不思議とあせりはありません。
グランマは『人の造ったものは変わる、自然は理解と敬意をもって接すれば恵みを与えてくれる』と言いました。しかし、造ったものが変わりゆき、ついには失われても、それを造った人間の心は、いつまでも変わらないのではないでしょうか。それを心にとどめておきさえすれば、いつでも、思い出のなかで古き良き時代に会える──
そして、人間もまた、理解と敬意をもって接すれば、お互いに恵みを与え合うことができると、私は信じたいです。なぜなら人間もまた、自然の産物なのですから。
グランマが最後に描いた作品「虹」を見たときに、涙がこぼれそうになりました。「虹の橋」は死後の世界へ旅立つことの暗喩が有名だからです。もちろん、私の勝手な想像です。グランマが何を意図して虹を描いたのかはわかりません。でも、展覧会場に書かれていたグランマの言葉のひとつひとつが(私の妄想といっしょに)胸に語りかけてきます。『もちろん苦しいこともあったわ。でも、まあ、なんとかそれを取り払い、忘れるようにと自分に言い聞かせたの。最後には、すべて過ぎ去っていくものなのですからね。』『そして、人生とはわたしたち自身がつくりだすもの。いつもそうでしたし、これからもそうなのじゃないかしら。』『ルイスにも、オットーにも、いっぱいお世話になりました。あなたにもきっと現れるわ、彼らのような人たちが。それとも、もう現れているのかも。』『もしかしたら、あなた自身が、そうなのかもしれないわね。』
1961年、アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼス死去。
享年101歳。
老いてなお精力的に制作を続け、心のふるさとを残してくれたグランマ──おばあちゃんが、虹の向こうで、先立った夫や子供たちと幸せな再会をしていることをお祈りします。
世田谷美術館からの帰り道、薄雲の広がる寒空の下で、遊ぶ子どもたちと見守る親御さんたちがいる広場を見つけました。まるでグランマの絵のようです……いや、今ならなんでもそう見えるんだろうな……
寒かったけど、冬に来て良かった。真冬の展覧会で良かった。
空はより高く、より広く。
私たちは、きっと与えあえる。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それでは、ごきげんよう。
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