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【宛名のない手紙】Eight Hundred 【long ver.】

 沈みゆく夕日が伸ばす長い影を、目の前に在る菩提樹の大木が写し取る。水車の廻る小川、黄金色に輝く田んぼ、影を濃くする山々。遠いうろこ雲、色づき始めた木々、堅果を食む生き物たち。

 場違いにもリクルートスーツを着た若い女は、泥だらけの手を拭いもせず、汚れたパンプスを気にすることもなく、荒い息のまま、ただ目の前の箱──菩提樹の根本から掘り出されたであろう箱──を見つめていた。震える手で箱の結び紐を解き、中から宛名の無い一通の封筒を取り出すと、買ったばかりの白いブラウスが汚れるのも構わず、咽び泣きながらそれを両の腕で抱きしめた。その抱擁は、何十年も会わなかった旧友に再会した時のそれであった。


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拝啓

 ……と言うのもおかしいかしらね。こんにちは、私の知らないあなた。

 この手紙を読んでいるあなたが、今、何歳なのかわからないけど、この隠し場所にたどりついたということは、自分が何者なのか、かなりのところまで思い出したってことよね。

 今日、82回目の誕生日に、これを書いています。それとも1356回目かしら?思い出せる中では、最高齢。家族はね、おばあちゃん、若いね!ってほめてくれるのよ。

 でも、この歳になるとね、思い出がありすぎて、朝、起きたときに、私が誰なのか、わからなくなるときがあるのよ。きっと、こうなると、お役目は終わりなのね。私も、そう長くないんじゃないかって思って、みんなと同じように、この手紙をしたためます。


 今まで、ごくろうさま。多分、小さい頃から、悩んだりしたわよね。私たちも、そうだったもの。それとも、今の子は、逆にそれを楽しんじゃうのかしら。

 ……うん、そんなことないわよね。わかってる、ごめんなさい。自分じゃない誰かの人生を、ありありと思い出せてしまって、苦しみも悲しみも全部背負い込んでしまうなんて。忘れることができないなんて。

 この運命に耐えられずに、自ら命を断ってしまった人もいたわ。自暴自棄になって、後に続く者たちを苦しめるためだけに、自堕落な人生を送る人もいた。人の身は脆弱だし、人の心はそれに輪をかけて脆いもの。まだそのあたりを思い出していないなら、今のうちに心の準備をしておいてね。

 いったいなぜ、私たちがこの運命に囚えられているのか。この繰り返しに、終わりは来るのか。何か意味があるのか。それは今のところわかっていないの。いつかそれを解明するのが、私たちの使命なのかもしれないわね。ざんねんながら、私たちの中から学者系の人はほとんど出ていないし、有意義な検証も記録も無い。かく言う私も、ただの小説家なんだけどね。

 あなたがこの手紙を読む頃、私はこの世にはいるけど、私はとっくに死んでる。若いあなたを、直接手助けすることはできない。でも、これを読んだなら、覚えておいて。

 自分のものではない、けれど確かに自分のものだった記憶に驚いたり、怖がったり、嫌悪したり、絶望したりする日はきっと来る。でも、負の感情に押し流されないで。私たちがどうやってそれを切り抜けたか、私たちの思い出をたどって。

 私はね、私たちの事を、書いたの。小説にね。連続歴史小説、って区分されたわ。別に連続性を意識したことはないんだけどね。……そうすることによって、俯瞰することができた。私と、私たちの区別を、明確にすることができたの。他の誰でもない自分、を意識することって、大事よ。

 もし、私のことを思い出せなかったら、私の書いた小説を読んで頂戴。「八百やおの女たち」という名前の連作。そこに、私が思い出せる限りの、私たちの事を書いたわ。思い出せない私たちのことは、そこで読んで頂戴。フィクションに見せかけているけど、事実を書いたわ。目を背けたくなる描写があるかもしれないわね。投げ出したくなるかもしれない。

 でもね、過去は消せないの。私たちが歩んだ人生は、消すことができない。過去の全てに感謝する、というわけにはいかないわね。けど、どんなに憎むべき過去を歩んだ人でも、どんなに悲惨な運命をたどった人でも、その人の存在を認めることだけは、してあげましょう。その人たちの記憶があればこそ、同じ道を進まないように気をつけることができる。その人たちの涙があればこそ、同じあやまちを防ぐことができるのだから。

 行き詰まったとき。耐えられないと思ったとき。私たちの事を思い出して。私は、過去に助けられたことがある。できれば、あなたもそうであってほしい。

 これからのあなたは、私たちの事を次々に思い出していくことになるでしょう。誰のことを思い出すか、順番はわからない。でも、怖がらないで。みんな、あなたの人生の味方になってくれる。受け入れられないような人であっても、何かのヒントをくれるものなのよ。これからは、あなた自身の人生を紡いでいって。過去の思い出にとらわれず、しかし学んで、あなた自身の人生を織り上げてゆくの。がんばってね。

 それにね、思い出せるのは、つらいことや苦しいことばかりじゃないの。楽しいことや、嬉しいこと、幸せだったこともたくさんあるわ。あんまり詳しく言うとネタバレになるから言わないけど。フフッ、すごいことになるわよ。


 長くなったので、これで筆を置くことにします。私は、もうじき生を終えるでしょう。そうしたら、生まれたばかりのあなたを、他の私たちと一緒に見守ります。いつか、あなたの思い出の中で、また会いましょう。


敬具



追伸

 ごめんね、もう少しだけ。あなたがもし、私のことより先に、初代さまのことを思い出したら、なにかに記録しておいて。なんで、洗濯しようと思った父親の袖の中から出てきた謎肉を食べようと思ったのか。それは結局なんの肉だったのか。それとも、その一連の行動が、なにかの比喩メタファーだったのか。

 ……もう、物書きっていやね。拾えるネタは全て拾うつもりでいるんだから。じゃあ、またね。


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 黄ばんで染みだらけになった便箋を置き、老女は息をついた。絵の具の匂い、古い木材の匂い、林立する画架イーゼル。日陰の絵画、ぎっしり詰まった本棚、夕日の色を変えるステンドグラス。射し込む夕日が簡素な部屋の機能性重視の調度に風格を与え、わずかなちりが光の中に静かに舞う様は時間を切り取った郷愁ノスタルジィを感じさせ、光を背にした老女とこの部屋そのものが一幅の絵画のようなおごそかな調和を成している。

 広々としたアトリエに掛けられた一枚の大きな絵画には、服装と髪型からして、時代も地域も年齢もまちまちだと見受けられる女性たちの群像が描かれている。

 年老いた女たち。うら若き乙女。中年の女性。
 笑顔。真顔。変顔。泣き顔。思案顔。すまし顔。恨み顔。眠そうな顔。
 正面を向いて笑う者。泣く者の頭を撫でる者。背を向けてこちらを睨みつける者。睨みつける者をなだめる者。
 その大半が笑顔で、集合写真のようにバランスよくきれいに収まっている。それぞれのたたずまいはこれほどちぐはぐなのに、まるで全員がひとつ屋根の下で暮らす家族のような──あるいはそれ以上の──見事な一体感をもって描写するとは、並大抵の技量ではない。


 最初は、ただの既視感デジャヴだと思っていた。小、中学生でおまじないや占いに興味を持った時、友だちと前世占いをして、あれが引き金だったのかもしれない。高校生の頃、歴史の授業が妙に現実味リアリティを持っていて。大学では歴史学を学んだ。フィールドワークではいつも私の目的は別にあった。有名な漫画家の、関係ありそうな作品も読んだりしたな。役には立たなかったけど。何人かの記憶を鮮明にたどることができるようになって、就職活動をしていた歳に、私は手紙の隠し場所を知った。知ったというか、思い出した。自分で埋めたんだものね。

 老女は壁の絵に目をやり、そこに並んでいる女たちを愛おしそうに見つめた。

 私は、私の人生を生きた。誰かの続きじゃない、私だけの人生を。望んだことが全てかなったわけじゃない。届かなかったものもある。それでも私は、過去の『私たち』の記憶から、解決方法を見出みいだすことができた。それを自分の、周りの人の助けとすることができたの。

 小説家風に言えば『世界線における何らかの比喩メタファー』、霊媒師として言えば『他人の霊がワンサと憑いている』、宗教家としてなら『釈尊と同じ道を歩んでいる』。夜鷹の捨て台詞なら『ヨタ話』、農家の嫁であれば『昼間っから夢見てンな!』ということになるかしら。

 人は、自らの生きている意味や、意義を問いたくなる時がある。自分が何の役にも立っていないと感じる時、強くそう思う。けれど、人はおそらく、生きている間には、自分の生きている理由を問うても答えは出ないのかもしれない。終わりに近づいた時、もしくは終わったあとに、気づくのかもしれないわね。

『ああ、私は、このために生きて来たんだ……』って。


 どたどたと、廊下を走ってくる音に、静寂は破られた。

───おばあちゃん、はやく、はやく!

 勢いよく開けられた扉から飛び込んでくる幼女。

───わたしも、ふー!てしたーい!はやくしようよぅ!

 優雅な所作で丁寧に折りたたんだ便箋を古びた封筒にしまい、机の引き出しに収めると、品のある老女は背を伸ばして立ち上がった。

───そうね、今、行くわ。いっしょにふー、ってしましょうね。

───うん!いっしょにふーする!わーい!おばあちゃん、だーいすき!

───あらあら、嬉しいこと。おばあちゃんも、大好きよ。皆のことが、だーいすき。一緒に、手をつないでいきましょう、ね?

───うん!おばあちゃんといっしょにいくー!

 腕に取りすがる孫に引っ張られ、老女はアトリエを後にする。今日は彼女の77回目の誕生日。いや、1433回目になるのだろうか。

───皆のことが、だーいすきよ……

『Eight Hundred』と題された大作の中、笑顔の中心で、古めかしい僧衣をまとった尼僧の微笑みが、老女の背中を優しく見守り続けていた。




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酎 愛零(ちゅう あいれい)
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