ニュースつぶやき:「異世界転生ものはジャンルとして確立したのか?」
異世界転生ものがジャンルとして定着したかどうかという話。
いつのころからか、異世界に転生もしくは転移して、神さま的な存在から与えられた無敵の能力で周囲を圧倒してちやほやされる……そんな傾向の作品が雨後のタケノコのように乱立してきたように思います。これらはおしなべて、自らの努力ではなく与えられた能力か、もともと持っていたけど周りが無理解だったせいで不当な評価を得ていた能力である(と設定されている)ことがほとんどですわ。ここから透けて見えるのは、これら都合のよい展開は筆者の願望and/or読者の願望であるということ。
そのことの是非は置いておいて、これらがひとつのジャンルとして成立するということは、それらを求めている層の肥大化を表していると思いますの。すなわち、「生まれ変わりたい」=「現世界では生きる希望を持てない」という層の肥大化ということですわ。
世相が今とは違っていたらどうでしょうか。国民みんなが総じて中流の社会であればもう少しおだやかな日常系が流行るかもしれませんし、高度経済成長期であれば、挫折や苦労を乗り越えれば成功が待っているというサクセスストーリーが流行するかもしれません。すると「生まれ変わりたい」というジャンルが台頭するということも、やはり世相を反映していると言えるのではないでしょうか。
私自身は安易な異世界無双ものを読もうとは思いませんけれども、それにすがるしかない、どうにもならない境遇の方たち──就職氷河期の中年世代や、先の見えない未来に望みを持てない若者世代がいらっしゃることはわかります。努力なくして成功し、労せずしてたくさんの異性から好意を向けられ、栄華や経済力は何もせずとも転がりこんでくる、そんな甘い夢に逃げ込むしかない、現実に追い立てられた方たちが。ついでに申し上げると、難しい文体やページを埋め尽くすほどの長文を読む気力すら失われた方たちが。
そうなりますと、自分に都合のよい世界で欲望のままに振る舞う主人公と自分を同一視でき、かつ中学生の作文程度の文章力で書かれていて頭を使わずに読める、そんな作品が好まれるのは必然であると思いますの。
そしてそれらは中身という程の中身はないテンプレもの──設定やキャラクターなどが同じような雛形で作られる、いわば定型文であるがゆえに、先の心配や、煩わしい考察などをしなくても楽しむことができ、結果として、同じレイアウトに多少違う味付けをしたもの──たとえるなら塩と塩コショウくらいの違いしかないもの……いえ、下手をすると塩の量の違いしかないものが雨後のタケノコのように乱立するのも、道理のひとつというわけですわね。
しかし、異世界転移/転生ものがこのような薄っぺらなものだけではないことは断言できますわ。なぜなら、この手の物語は古今東西さまざなものがあり、日本なら遠野物語や、おむすびころりんなどの各種昔話、海外なら桃花源記、不思議の国のアリス、ナルニア国ものがたり、はてしない物語などたくさんございまして、どれも歴史に名を残す名作、あるいは普遍の物語だからです。
特に私が推すのは子供の頃から愛読している「はてしない物語」ですわね。内容は、いじめられっ子の少年が不思議な本に魅入られ、やがて物語の世界に呼び寄せられて、そこで何でも望みが叶う護符の力を与えられて自分の思い通りに振る舞ってゆく……という、まさに昨今のブームを先取りしたかのような作品ですの。もちろん、文章力は現在濫造されているものたちとは天と地ほどの差がございますけれども。
終盤、何でも望みを叶えてくれる護符アウリンが何を代償に望みを叶えていたのかを初めて知った時には、恐ろしさと気味悪さのあまり、作中でバスチアンがそうしたように本を投げ出してしまいました。大人になって読み返してみると今度はその寓意のあまりの鋭さに気分が悪くなり、エンデ先生ほんとは人間が嫌いなのでは?と考えたりして本を閉じてうなだれること数度。
正直、主人公の闇落ちが読んでいてめちゃくちゃキツいのですけれども、だからこそ、それを乗り越えた先にあるもの──バスチアンが代償の正体を知ってなお望みを叶えようとした気持ち、それを止めなかったフッフールの気持ち、そしてアトレーユが全てを背負おうとした気持ちが、その表現の数々が、神々しいほどの感動を伴って私の胸を震わせましたわ。
真のファンタジーとは、これのごときものをいうのだ──
そう、私の脳裏に刻まれたのです。
私にとっての異世界転移/転生の原点は、「はてしない物語」です。基準が「はてしない物語」なのです。現代の量産型異世界ものをバッサバッサ斬り捨てているのはそれが原因ですわ。
もちろん、「はてしない物語」が合わない、つまらないという方もいらっしゃるでしょう。現代の頭を使わずに読める作品の方がいい、という方もいらっしゃると思います。それについては、私は何も申しません。お互いに、読みたくないものは読まなければよいだけの話ですから。
ただし、古今の名作と現代の量産型異世界ものを同列に語られるのはイヤですわ。表題の「異世界転生ものはジャンルとして確立したのか」は、正確には「苦労も努力もせずに成功して人から慕われ欲望のままに生きる系の異世界転生ものはジャンルとして確立したのか」です。
これは、確立していると思いますわ。
日本という国が閉塞、下降に向かっているという実感が消えない限り、世相を反映した、時代のジャンルとして記録されるでしょう。私としましては、このジャンルはもちろん、既存のどのファンタジーとも違う、新しくて骨太な読み応えのあるファンタジーをじっくりと、時間を忘れて読みふけりたいところです。とりあえず、勇者パーティとか、エルフとかドワーフとか、一定の共通認識/お約束に頼らないものがいいですわね。そういうのを使うと楽なのはわかりますけど。