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未踏への道:都筑中央公園 その3

──神奈川県 都筑区の都筑中央公園にやってきた酎愛零。体力気力は尽き果てながらも、踏破率100%を目指すために探索を続ける──



ヒーーー(;´Д`)
ハーーー(;´Д ゚)

 体力も気力も尽き果てたとき、どうやって身体を動かすか。それは魔力(自己暗示)ですわ……!自分で自分にanimateアニメート deadデッドをかけてゾンビ化!あるいはresurrectionリザレクションをかけて復活(した気になる)!



脚が上がらないのでこういった箇所には要注意ですわ

 まあ、いずれにしてもダメージや疲労の蓄積を強引に無視しているので、反動がとてつもないのですけど。しばらく行動不能になるほどのめりこんでしまうのはわたくしの悪癖ですわ。



ひらひらとちょうちょが……



近づいても逃げませんわね。あなたもお疲れなのかしら?



舗装道路に出ましたわー!(⁠ ⁠╹⁠▽⁠╹⁠ ⁠)

 ずいぶん遠回りをしましたけど、清水谷戸を谷底まで降りて、また登ってきたのですね。あの行き止まりの竹林が、おそらく谷間だったのでしょう。



さて、ここからどう進みましょうか?



道は二手に分かれております

 左が、境田谷戸から出口へつながる道。右が、宮谷戸窯から宮谷戸の大池、そして円形広場へ至る道。踏破率100%を目指すのに最も効率の良い回り方は……



左の道!

 境田谷戸をいったん降りて公園を出てから、再度突入し、境田貝塚→宮谷戸窯→宮谷戸の大池というルートをたどりましょう。


下り坂はらくちんですけれど、膝への負担は下り坂のほうが大きいので歩き方には要注意ですわ〜



コンクリ舗装道路のこの模様……車が通行する道ですわね



管理事務所ですわ!ということは……



出口ですわ〜!✧⁠◝⁠(⁠⁰⁠▿⁠⁰⁠)⁠◜⁠✧



ここの地図は南北が逆になっておりますわね。なるほど、一番最初に入るときに目にしたあの神社が、貝塚への最も近い道だったのですね



快晴のもと、照りつける初夏の日差し。時刻は12時42分。あの文字が「氷」に見えるほど、アイスが食べたくて仕方ありませんわ〜(⁠ᗒ⁠ᗩ⁠ᗕ⁠)

 わたくしのもうひとつの悪癖、『食べる時間を惜しいと思ってしまう』が発動中。知らない土地ですと高確率で発動いたします。せめてゼリー飲料などを持っていけばよかったですわ。今後の教訓にいたしましょう。



よし!スタート地点に戻ってきましたわ



ぱっと見で思うのは、なぜあんな高いところに貝塚が?ということですわ

 ふつう、貝塚──貝殻や骨片を含む雑多なゴミなどの廃棄物を捨てる場所を決めるのに、わざわざ丘の上にする理由がありません。いったいなぜなのか……



行って確かめてみましょう!



再突入!階段がつらいですわ!



しかし!愛零は酎家の末裔 旅の英雄 未知を拓く者!
(※映画「RRR」リスペクト)



すご……石と木のせめぎあい。きっと歴史ある神社なのでしょうね

 杉山神社は、関東地方に多く見られる神社の名前で、祭神は五十猛命(イソタケルノミコト)、日本武尊命(ヤマトタケルノミコト)などを主神としているそうですわ。かつては武蔵国唯一の式内社としてその名を知られていたとか。

※式内社(しきないしゃ)……延喜式 神名帳(えんぎしき じんみょうちょう。当時の「官社」に指定されていた全国の神社一覧)に名前が記載されている神社のこと。一種の社格であり、これに記載のない神社──朝廷の勢力範囲外など──は式外社(しきげしゃ)と呼ばれる。



葉擦れの音が打ち寄せては返す波音のよう……

 その後裔の有力候補が、この杉山神社を含め、横浜に4つあるというのです。これは歴史の闇のベール……杉山神社の名の由来も、杉の木がたくさん生えている紀州(紀伊国)から来た一族が創建したからとか、その際海を渡ってきた舟に使われていた杉材にちなむとか、林業の神であり草木の神である五十猛命にちなむとか諸説ございますけれども、いまだ謎の多い神社だそうですわ。



緑の重なり。コントラスト。グラデーション。



到着!かなり標高は高いですわ!



あっ!そうですね、なるほど!



縄文海進の影響だったのですね!こんなところまで海が入りこんでいたなんて!

 そう、この貝塚は、当時は丘の上ではなくて、海のそばだったのです。こうなると貝塚の堆積物がどのように構成されているかも知りたいところですけど……さすがにそのあたりは郷土資料館などに行かないと分からなそうですわね。

※縄文海進(じょうもんかいしん)……縄文時代のはじめ、世界的な温暖化に伴う海面上昇により、海が現在の内陸部にまで進出した現象。このとき入江となった場所に堆積物が埋積したことにより、現在の沖積平野がつくられた。



はるかな昔、ここに暮らしていた人びとがいた……

 わたくしが歴史のロマンを感じるときは、こういう時です。その時代、その地域の「暮らしの痕跡」「人のなりわい」を感じた時、わたくしは時間も場所も飛び越えて、その時代を生きた人びと──暮らしを営んでいた人びと、行き交う人びとの中に立ち混ざり、その中の誰かと目が合うような気さえいたします。
 好奇心に満ちた目。不審そうに見る目。優しく微笑む目。悪意を持って睨む目。チラ見する目。その人がどのような感情の目で見てくるのかを想像するのも、また楽しいものですわ。
 ええ、妄想力強めのぼっち陰キャの戯言ですので、笑ってお流しくださいませ(⁠・⁠∀⁠・⁠)



宮谷戸窯へと向かいましょう

 住居跡は、まだ見つかっていないとのこと。いまだ、眠ったままの遺跡があるのでしょうか。宅地開発のピーク時にも潰されずに残ったここは、さながら巨大なタイムカプセルのようですわ。



もう、あとは極端な登り降りはなさそうですね



ゆるやかな降り道が続きます

 ちなみに、宮谷戸は「みやと」と読むそう。「みややと」では呼びづらかったのでしょうかね(⁠;⁠^⁠ω⁠^⁠)



……?煙の匂い……



稼働……はしていないようですわね……

 けれど、さっき確かに、はっきりとした煙の匂いを感じました。残り香と言うには強烈な、スモーキーな匂い……戻ってそのあたりをくんくんしても、もう匂いはしませんでしたわ。スピリチュアル的ななにかからのシグナル?疲れすぎておかしくなっただけ?



宮谷戸の大池に出ましたわ〜



少年たちがザリガニ釣りに興じておりました

 思った以上の大冒険となった探索も、そろそろ終わりに近づいてきました。
 しかし、「ばじょうじ」の名の由来、貝塚の内容物、カエルの大移動など、ここにはまだ見ぬ謎がたくさんございますわ。調査は続行いたします。



美しく咲くばらたちにも、さようなら

 港北ニュータウン計画、里山を残した英断、自然豊かな公園に憩う都筑の民。新たな発見に満ちていた横浜市都筑区、都筑中央公園に賛辞を贈ります。この先永遠とわに、地域を支え育む、善きふるさとであれ、と。





 今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 それでは、ごきげんよう。




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酎 愛零(ちゅう あいれい)
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