未踏への道:都筑中央公園 その3
──神奈川県 都筑区の都筑中央公園にやってきた酎愛零。体力気力は尽き果てながらも、踏破率100%を目指すために探索を続ける──
体力も気力も尽き果てたとき、どうやって身体を動かすか。それは魔力(自己暗示)ですわ……!自分で自分にanimate deadをかけてゾンビ化!あるいはresurrectionをかけて復活(した気になる)!
まあ、いずれにしてもダメージや疲労の蓄積を強引に無視しているので、反動がとてつもないのですけど。しばらく行動不能になるほどのめりこんでしまうのは私の悪癖ですわ。
ずいぶん遠回りをしましたけど、清水谷戸を谷底まで降りて、また登ってきたのですね。あの行き止まりの竹林が、おそらく谷間だったのでしょう。
左が、境田谷戸から出口へつながる道。右が、宮谷戸窯から宮谷戸の大池、そして円形広場へ至る道。踏破率100%を目指すのに最も効率の良い回り方は……
境田谷戸をいったん降りて公園を出てから、再度突入し、境田貝塚→宮谷戸窯→宮谷戸の大池というルートをたどりましょう。
私のもうひとつの悪癖、『食べる時間を惜しいと思ってしまう』が発動中。知らない土地ですと高確率で発動いたします。せめてゼリー飲料などを持っていけばよかったですわ。今後の教訓にいたしましょう。
ふつう、貝塚──貝殻や骨片を含む雑多なゴミなどの廃棄物を捨てる場所を決めるのに、わざわざ丘の上にする理由がありません。いったいなぜなのか……
杉山神社は、関東地方に多く見られる神社の名前で、祭神は五十猛命(イソタケルノミコト)、日本武尊命(ヤマトタケルノミコト)などを主神としているそうですわ。かつては武蔵国唯一の式内社としてその名を知られていたとか。
その後裔の有力候補が、この杉山神社を含め、横浜に4つあるというのです。これは歴史の闇のベール……杉山神社の名の由来も、杉の木がたくさん生えている紀州(紀伊国)から来た一族が創建したからとか、その際海を渡ってきた舟に使われていた杉材にちなむとか、林業の神であり草木の神である五十猛命にちなむとか諸説ございますけれども、いまだ謎の多い神社だそうですわ。
そう、この貝塚は、当時は丘の上ではなくて、海のそばだったのです。こうなると貝塚の堆積物がどのように構成されているかも知りたいところですけど……さすがにそのあたりは郷土資料館などに行かないと分からなそうですわね。
私が歴史のロマンを感じるときは、こういう時です。その時代、その地域の「暮らしの痕跡」「人のなりわい」を感じた時、私は時間も場所も飛び越えて、その時代を生きた人びと──暮らしを営んでいた人びと、行き交う人びとの中に立ち混ざり、その中の誰かと目が合うような気さえいたします。
好奇心に満ちた目。不審そうに見る目。優しく微笑む目。悪意を持って睨む目。チラ見する目。その人がどのような感情の目で見てくるのかを想像するのも、また楽しいものですわ。
ええ、妄想力強めのぼっち陰キャの戯言ですので、笑ってお流しくださいませ(・∀・)
住居跡は、まだ見つかっていないとのこと。いまだ、眠ったままの遺跡があるのでしょうか。宅地開発のピーク時にも潰されずに残ったここは、さながら巨大なタイムカプセルのようですわ。
ちなみに、宮谷戸は「みやと」と読むそう。「みややと」では呼びづらかったのでしょうかね(;^ω^)
けれど、さっき確かに、はっきりとした煙の匂いを感じました。残り香と言うには強烈な、スモーキーな匂い……戻ってそのあたりをくんくんしても、もう匂いはしませんでしたわ。スピリチュアル的ななにかからのシグナル?疲れすぎておかしくなっただけ?
思った以上の大冒険となった探索も、そろそろ終わりに近づいてきました。
しかし、「ばじょうじ」の名の由来、貝塚の内容物、カエルの大移動など、ここにはまだ見ぬ謎がたくさんございますわ。調査は続行いたします。
港北ニュータウン計画、里山を残した英断、自然豊かな公園に憩う都筑の民。新たな発見に満ちていた横浜市都筑区、都筑中央公園に賛辞を贈ります。この先永遠に、地域を支え育む、善きふるさとであれ、と。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
それでは、ごきげんよう。