ニュースつぶやき:「優しい人」を怒らせてはいけない」
体温36.6℃、喉の痛みなし、鼻詰まりなし(鼻声あり)、倦怠感なし、関節痛なし、目ショボ若干あり。病魔よ、そろそろ年貢の納め時ですわよ!
ごきげんいかがでしょうか、引き続きお嬢様月間の私です。
「優しい人」には2種類ある、というお話ですわね。
私、じつは、よくキャラクター設定で目にする「ふだんは優しいが怒ると怖い」というのがよく理解できなかったんですの。もちろん、ふだんとのギャップを見てなにか感じるものがあるのだろうというのはわかるのですけれども、いわゆる「優しい人」からそのような感情をぶつけられたことが無いので、実際の感覚としては謎な部分だらけなんですね。でも、この記事を読んでなんとなくわかった気がしました。
「優しい人」には2種類ある。
ひとつは、慈悲深いから優しい人。にわかに雨が降り出した時にお年寄りに傘をさしかけたり、家に迷いこんできて逃げ場を失った虫を殺さず外に放ったり、それらは慈しみ深いから優しい、ということです。
もうひとつは、ビジネス的に優しい人。会社の同僚や取引先と良好な関係を保ったり、SNSで交流する際に円滑にやりとりしたり、それらはビジネス的に優しい人、ということです。
みなさまも思い当たるふしはございませんか?
私などはかなり後者に当てはまります。友ならば、その身を思えばこそ、強い言葉や厳しい口調で諫言いたしますけれど、そうでない相手は放っておいて、積極的に口をきいたりはいたしません。SNSになるとそれが特に顕著となり、(私にとって)真に不快な言動をする者はもちろん、つきあったところで時間の無駄だな……と判断した者は、デメリットがメリットを上回るという理由でなんのためらいもなくフォローアウトしてしまいます。記事中における
というところにすべて集約されていますわね。
しかしながらおそらく、すべての人間はこの2つの優しさのどちらか一方だけではなく、この2つを──2つの比重や使い分けがどうであるにせよ──併せ持っており、場面や環境によって使い分けているのだとも思います。
そしてこれも大切なことだと思うのですけど、どこまで相手に言っていいのか、聞いていいのか、踏み込んでいいのかは、相手の性格はもちろん、時と場合、互いの信用度合いによって変化するということはおぼえておかなければならないでしょう。ほとんど流動的であると言っても差し支えないかもしれません。
精神の浮き沈みが激しい時に同じことを言っても違う受け取られかたをするように、完全に安全な道を探すことなど不可能です。いつ割れて取り返しのつかないことになるかもわからない薄氷の上でコミュニケーションを取っている、というのは筆者に同意ですけれども、そもそも人生において出会う人たち全員と円満な関係をつくるなど無理筋なこと。お互いに被弾しつつも、相手の防御力や弱点、逆鱗、懐の深さなどを推し測っていくしかないと思いますわ。
優しい人、ですか……
人さまに私自身がどのように見えているのか知る由もありませんけど、今、私がnoteでフォローしている方たちは皆、いろいろな形の優しさをお持ちですし、おつきあいしていて楽しい時間を過ごせている方たちばかりです。
薄氷を踏み抜かず、さりとて萎縮して渡るのを躊躇することもなく、これからも交流し続けていきたいものです。