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【留学窓口】放課後_高校2年生
私は当時、オーストラリアにどうしても行きたかった。
ただ、私の上に大学院生の兄、大学生の姉がいるため、短期留学をするにも家計として現実的ではない。
当然私も遠慮をする。英語科に入っていれば、「学科のルール上渡航しなければならない」ということもあったかもしれないが、私の学科は商業科目のど真ん中だった。そんなこともない。
ある日、真面目な担任の先生が毎日丁寧に書いている学級通信を何気なく見ていた
【数学】担任_高校1年生
高校1年生のときの担任だったF先生は、背が低く、目がくりっとしているおじさん先生だった。ぼんやりと愛情光線を放ちながらまっすぐ生徒を見つめる先生だったため、まっすぐが故にかえって気持ち悪がる女子生徒すらいた。
F先生のよいところは、生徒の良い所をまっすぐ褒め、成果を一緒に喜び、喜ぶときは若干軽く飛び跳ねているように見えるほどにパーッと周辺環境を明るくするパワーもあった。
先生はいつも肯定的な声
【保健室】5限目_中学2年生
保健室にはいつも人が集まっていた。
本当に体調が悪い子に加え、精神的に追い詰められて具合を悪くしている子や純粋に授業に出たくなくて仮病を患う生徒たちで一杯だった。
保健室のS先生は時々、
「あぁ、もうあんたたちは風邪なんてひいてない!教室戻りな!!」
と叫んでいた。
それもそうだろう。
仮病の生徒を保健室に溜めておこうものなら、当然職員室から指導が入るだろう。
私もよく保健室を利用して
【数学】5時間目_中学2年生
若くておしゃれに気を遣っているK先生は、なんとなくしゃべり方に締まりがなくだらしない。
パチプロ出身で長らくフリーターだったそう。
その人生の汚点に対して開き直っていて、かつ、なぜかフリーターだったこと自体をむしろ自慢しているのではないかというダメさ加減がK先生の可愛らしいところだった。
わたしはいつも、K先生の勉強以外のくだらない話が楽しみだった。内容、登場人物ともにほんとうにくだらなく、
【国語】放課後_中学3年生
思春期の叫びを受け止める国語のM先生がいた。
幸い中学2年生、3年生と、M先生が私の担任だった。
クラス内で問題があったとき、生徒の様子がおかしいとき、必ず1対1で話を聞く時間をとる先生がM先生だった。
ヒアリング内容はピンからキリまで。
1)私が 部活を途中でやめるとき
2)友達が失恋で立ち直れず、来る日も来る日も四六時中泣いていたとき
3) クラス内で彼氏の奪い合いが発生して
【技術】4時間目_中学校2年生
中学2年生の技術の時間にて。
当時の中学生には珍しく、私はブラインドタッチをしていた。
それもそのはずで、私は小学校4年生のときにはタイピングソフトでタイピングの練習を開始していた。そのころ母がNTTの104でパートを始めるにあたり、PC画面に向かって日夜練習していたのを見て憧れたためだった。
中学校当時の私はこれといって勉強で優秀な成績を出すわけでもなく、1年生から2年生に上がるときにテニ
【先生】という生き物が好き。
私は物心がついたときから、先生という生き物が好きだ。
思春期には、スカートの長さや髪の色等とうるさいことを言われ、反抗しつつも先生が嫌いなわけではなかった。
先生のふとした瞬間の呟きや共感が、今の私を作っている。
教員という仕事は、人を作る仕事なのだ。
長年生徒という立場で生きてきた身として、それを感じる。
私はもう31歳。
生徒という立場から脱却してもう10年以上経とうとするのに、