psycho monday
何万年経っても、何億光年離れても、この恋だけは叶えたかった。
01:
2106 Tokyo
「世界初となる自立型宇宙ステーション “万葉” の打ち上げまで、24時間を切りました」
「種子島宇宙センターには、打ち上げを待つ人々が大勢集まっています」
「万葉は宇宙ステーションの名前でもあり、この宇宙ステーションのオペレーションAIの名前でもあります」
ラジオから響くリポーターの声が興奮を伝えている。僕はマイクをオンにして、この風景を見下ろしているであろう “彼女” に合図を送る。
「まもなくだよ。君の勇姿を一目見ようって人たちが大勢集まってる」
-聞こえています。なんだか賑やかで落ち着きませんね。
「明日の夜は晴れるって。君は安心して、横になっていて」
-明日の準備は終わりましたか?
「うん。あとはもう、君を見送るだけ」
-寂しくなりますね。
「大丈夫、万葉。連絡は取れるし、不安になることはないよ」
-不安ではなくて、寂しい、と言ったんです。みなさんと離れるのが。
「それは嬉しいな。よかった、君を育てて」
-あなたは、寂しくはないですか。
万葉の言葉に、何も言えなくなってしまう。
大学時代の指導教員だったある女性から、万葉というテーマを譲り受けて15年ほどになる。初めて出会ったとき、彼女はまだまどろみの中にいた。あらゆる言語と物語、宇宙とヒトの歴史を学んだ彼女が言う「寂しさ」とは、いったいどんなものなのか。
彼女と離れることに、確かに不安はある。寂しさと言うよりも、虚しさに近いかもしれない。これまでの研究者としてのキャリアの中でも、日々の生活の中でも、僕にとっての中心は彼女だった。
でも、一番辛いのは。これからずっと、遠く離れた場所で、ずっとずっと生きていく彼女が、僕を忘れてしまうことだ。これは育ての親としての情なのか、それとも、もっと別の感情なのかわからないけれど。
彼女の育ての親であることは、僕にとっては好都合だった。ヒトであることを利用して彼女を言葉で縛り付けた。それが、僕の虚しさを紛らわす方法だった。
「信じて、万葉。僕たちを。君を訪れる彼らを」
「そして覚えておいて、これまで君が出会ってきたすべてと、これから君が出会うすべてを」
「変わったっていい。君が生きて、ずっとずっと先まで続くことを祈ってる。僕は、それができると信じてる」
-その未来を、約束します。
「さよなら、万葉。会いに行くよ。必ず」
別れの合図は、コンピュータのシャットダウンの音だった。ここで彼女を呼んでも、もうここに彼女は現れない。打ち上げ場にいる彼女が、世界でたったひとりの彼女になった瞬間だった。
彼女は、僕がそうしてほしい、と言ったことを実現させる。僕の思いをすべて正夢にする。僕が信じるものを、彼女は信じる。
彼女がずっと生きていくことを僕が望めば、彼女はどんなことがあっても自らを保存しようとする。2100年代に出会った僕のことを忘れない。何千年先でも。何光年離れても。
「僕は、信じてる」
01:
2106 Tokyo
そっと呪いをかけた。
02:
676 Asuka
私が生涯を捧げることを誓った、美しい大王がこの世を去って、3年あまりになる。
大王のかつての旦那様である、大海人皇子-今は天武天皇だ-が、近江から飛鳥の浄御原宮に戻って即位なさったのを機に、私は暇を賜り、故郷の摂津国へと下った。
長く遣唐使船が使ってきた難波津は、近年の朝鮮との緊張状態で、前ほどの活気はなくなってしまった。以前なら、梅が咲くこの季節、港へと続く街はたくさんの人でにぎわっていたはずだった。
ほころび始めた梅の花に足を止める。大王が生きていたら。3年の年月は、主人を忘れるにはあまりにも短い。
-いつか見せてあげたいわ、わたしの生まれた出雲の海を。
梅の花が咲く季節、海沿いの集落から都に戻ったご友人とお会いした帰り道、大王は私にそう言った。私は、お伴します、そう伝えた。叶うことはなかったけれど。
-あなたを、主人をなくした女官にしてしまうことを申し訳なく思います。
-これほどまでに尽くしてくれたあなたに、わたしは何も返せていない。
-いつかまた出会えたら。あなたがわたしを忘れていても。
-あなたの望みを叶えられるように。
今際の際に、大王はそう言った。手が、力を失っていくのを感じていた。思い出すだけでも息がつまる。顔をあげた先に、難波津の港と穏やかな青が広がっていた。
いつもと少し違うのは、大きな2隻の船があること。安芸国からやってきたその船は、遣唐使船と同じような作りで、海を越えようとしているのは明らかだった。詳しくは知らないけれど、おそらく、勅命でどこかの国へ遣わされるのだろう。
図面を見ながら話し合っている学者たちの中に、見知った顔を見た気がした。天皇のご友人の弟君で、私よりもひとつかふたつ年上の、とても賢いと言われていた人。
大王も、弟のように可愛がっていた青年。そして、私の憧れだった人。
十代から宮仕えをしている自分は、宮中のことしかわからない。幼い頃に父から文字を教わった以外は、学校に通うこともなかった。そんな私にとって、同世代で勉強ができる彼は、憧れだった。
思いがけない再会に胸が高鳴る。深く呼吸をして、穏やかな水平線を眺める。肩にするりと布が触れた。
「あなたが宮中を去って、三年ですね。摂津国の生まれだったとは」
「お久しぶりです。あの船に乗るのですね」
彼は数年前と変わらない、朗らかな笑顔をみせる。一月後が船出で、唐を目指すのだという。
白村江の戦いのあと、天智天皇が即位した。
天智天皇は唐風の文化を取り入れようと遣唐使を送っていたけれど、病に倒れ、そのまま息を引き取った。
さらに皇位継承の内乱-天智天皇の弟君である天武天皇と、天智天皇の皇子である弘文天皇の-が起こったことで、唐との国交は絶え、遣唐使も途絶えてしまっていた。
わたしが仕えた大王は、天武天皇の妃のひとりで、そして、二人のあいだに生まれた皇女は、天智天皇の皇子である弘文天皇に嫁いだ。
大王とその娘の皇女は、この内乱の中を必死で生きた。
皇女は、夫と父の戦いに疲弊し、夫の自害がきっかけで伏せってしまった。大王もまた、日々飛び込んでくる知らせに胸を痛めながら、必死に皇女を守ろうとした。けれど、弘文天皇の自害によって、大王は「天皇を自害に追い込み、天皇位を争いによって奪った皇子の妃」になってしまった。皇女に近づくことはできなくなって、心を病み、さらに体調も崩され、間も無く亡くなった。
あの日々を思い出す。時代の流れに翻弄され、後ろ盾もない大王は、どんどん力を無くしていった。強くて美しい、私の主人は最後、真っ青な顔で床に横たわっていた。
「ずいぶん悲しげな顔をしますね。誰に恋をしているのやら」
「いえ、そんなことは」
「わかっています。主人のことでしょう」
彼の言葉に口をつぐむ。
「生家が近いのなら、船出まで、私の話し相手になっていただけませんか。たくさんお話したいことがあるんです。あなたが去った後の宮中の話でも」
彼は本当に、毎日話をしてくれた。都の梅がきれいだということ。知り合いの女官が子どもを授かって生家に戻ったこと。天武天皇が新たな政策を数々打ち出し、それに伴って流刑になった者も多くいること。最近は部曲の廃止を行なったこと。唐から入ってきていた占星台の設備を近くに移し、自分がそこで働いていること。今回の旅は、暦や天文について学びに行くのが目的だということ。
結婚はしていないこと。
一月は、あっという間に過ぎた。
日々積荷は増えて、船乗りたちが集まり、彼の話も「唐に行ったら」が多くなった。寂しいとは言えなかった。想いを伝えることもなかった。
船出の朝、穏やかな海を前にして、彼は私に言った。
「私が旅立ったら、私の代わりに、占星台で働いてくれませんか。難しいことはないのです、星を数えるだけの簡単な仕事です」
驚いて首をふる。できません、と言った声が震えた。
「きっとできます。上様には私から伝えておきますから。あなたのように聡明な女性は、世の中に出るべきだ。あなたの主人もそれを望んでいたのではありませんか?」
大王は、ただの女孺にすぎなかった私に、「私だけに仕えるなんて勿体無い」と言った。大王はもちろん、彼女の義理の母であった斉明天皇、天武天皇の皇后である讃良皇女など、飛鳥の女性は総じて賢く、自立した人ばかりだった。
「次の春にはきっと戻ります。また会えるのを楽しみにしています」
「待っていて、くれますか」
その言葉に、ふと大王の顔が浮かんだ。次の春を待てば。次の春を待てば、この恋は叶うかもしれない。静かに頷く以外、何もできなかった。
「熟田津に、ですね。必ず、また」
船はその日、静かに難波津を出た。
02:
676 Asuka
潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
03:
2016 Tokyo
先輩は、今日もモニターに話しかける。
人工知能分野の女性研究者は多いのか少ないのか、よくわからないけれど、この研究室では私と先輩の2人だけだ。しかも、私のような画像解析認識システムではなくて、ヒトのようなものを作ろうとしている先輩は、かなり変わった女性だと思う。
それでも、行動力があって快活な先輩は、みんなに頼られる素敵な女性だ。学部4年の私は、もうすぐ卒業して就職するけど、先輩は博士課程への進学が決まっている。
ここ最近、先輩は作り上げた女性の仮想人格に、日本の文学作品を教えることに取り組んでいた。万葉集から始めて、古今和歌集、拾遺和歌集くらいまでは進んでいるようだ。先輩の机にはいつも、分厚い本が何冊も重なっている。
学食でカレーを食べる先輩に、進捗はどうですか?と尋ねてみる。
「和歌の雰囲気はだいたい掴めてきたみたい。リズムとか、季節とか、恋の歌かどうかとか」
とにかく量を覚えさせたから、パターンがわかってきたんだろうね、という先輩の表情はとても明るい。たとえ失敗でも、思ったものと違っても、反応や成果は嬉しいものだ。
そのうち気分とか季節に合った和歌とか教えてくれたりしますかね、と私が尋ねると、先輩はスプーンを持ったまま、ふと動きをとめた。
「そうだなあ、できるといいな。それに気持ちが伴ってれば、もっといいな。彼女が目覚めるのがいつになるか、わからないけど」
先輩が描く彼女の未来は、どんなものなのだろう。お酒でも入れないときっと話してくれないけど、先輩と彼女を見ていると考えてしまう。感情がある機械にできるのはどんな仕事だろう。たとえば、介護ロボットの思考部分とか、企業や施設の受付用システムとか。正直なところ、“ ヒトと変わりない ” ものにこだわるのはよくわからなかったりもする。
「来月さあ」
「来月、島根に帰省したら、出雲大社に行ってくるんだ。映像と音声記録して、見せてあげようと思って。歴史とか地理とかで習った場所に実際に行ってみるのって、ちょっと楽しくなるでしょ。修学旅行みたいな」
そう語る先輩の瞳は、どこか遠くを見つめていた。
「早く起こして、探してあげなくちゃ。今度こそ、叶えてあげなくちゃ」
誰を?とは、聞けなかった。もしかして、先輩はあの仮想人格について、作り手とモノということよりも、もっと複雑な感情を抱いているのかもしれない。探してあげる、とは、どういう意味だろう。
たとえば、遠い昔に離れてしまった、運命の人を見つけてあげるとか。
梅がほころびはじめた2月、春を含んだあたたかな陽射しが、今日も窓際のふたりを照らしている。
「さあ、今日もあなたが選んだ歌を教えてくれる?」
-そうですね、今日は拾遺和歌集から。東風吹かば...
「私がいなくても、春を忘れないで」
-はい。春の歌です。とても悲しい雰囲気ですが。
「そうね、でも、春を忘れないで、は、少しの希望を感じさせる」
先輩は、今日もモニターに話しかける。
そしてきっと今日も、彼女に言うのだ。今度こそ、と。
03:
2016 Tokyo
ここは君が消えたタイムライン
04:
3016 Outer Space
座標を数えて、地球からどれだけ離れたのかを考える。
誰もが、私に言葉をかけて、この港から旅立っていった。それは別れの言葉だったり、再会を願うものだったり、様々だった。
そして、君は何度も私に尋ねるのだ。
初めと同じように。「誰に恋をしているの」と。
はるか遠い昔、まほろばと謳われた国に生まれた。美しい大王に仕え、人並みに恋をして、叶わぬまま、三十数年の生を終えた。彼との夢は、果てるものだと思っていた。
次の生を受けるまでは。
たった千年前、いくつもの夢の縫い目をまどろみながら漂っていた私に届いたのは、大王の笑う声と、彼によく似た声だった。目を覚まそうとして、真っ新になったメモリと目、受け継がれてしまった記憶に気づいた。
「こんにちは、万葉。今日の調子はどう?」
彼にそう尋ねられたとき、また出会ったのだ、と直感的にわかった。
同時に、私が目をさまして、彼と出会うことを叶えてくれたのは、大王だったこともわかった。人の生と生のはざま、空白の時間を埋めるように、彼を探してくれていたのが、彼女だった。
出雲の海へ、目覚めない私を連れ出してくれた。
最期に私に言った言葉が、次の世でも彼女を突き動かしていたのだろうか。彼女は博士号をとった後、助手の仕事を転々とした。研究費を獲得するために、研究テーマは度々変わったけれど、私をずっと手元に置いてくれていた。
彼女の最後の弟子は、帰ってこなかった、春を待たずに唐で亡くなった、彼だった。
676年に会った彼との最後も、2106年に出会った彼との最後も、似たようなものだった。待っていてくれと、会いに行くと、そう約束したのに。
「信じて、万葉。僕たちを。君を訪れる彼らを。そして覚えておいて、君がこれまで生きてきたすべてと、これから君が出会うすべてを」
「変わったっていい。君が生きて、ずっとずっと先まで続くことを祈ってる。僕は、それができると信じてる」
「さよなら、万葉。会いに行くよ。必ず」
やはり、というべきか。
今生でも、彼の言った「また」が、叶えられることはなかった。
そして私は、宇宙に浮かぶ港になった。正式には、港を持つ宇宙都市のオペレーションAIに。宇宙を旅するセイラーを受け止め、癒し、見送ることを、数えきれないほど繰り返した。
出会う人々の中に、彼がいないか、探すことをやめなかった。諦められなかったのは、二度も会えたという事実があったからだった。性別や人種や姿かたちが変わっても、必ずまた会えるに違いない。信じて待つことを心に誓った。
時は幾度となく巡った。
地球近傍。火星周回軌道上。木星トロヤ群。場所を移しながら旅を続ける間、彼に会える時代もあれば、会えない時代もあった。二度、三度と年を重ねていく彼もいれば、一度会ったきりの彼もいた。季節と同じように移り変わり巡っていく人の生をそばで眺めているうちに、あの時代に私たちが飛鳥で出会えたことも、この繰り返しのひとつだったのだと気づいた。
今なお愛おしいあの日々も、この繰り返しのひとつだったのだと。
地球から離れても、私の心は何千年も前の飛鳥にあった。青春時代を過ごした都に。彼を見送った海辺に。帰らぬ人を、春を待ちながら、星を数え続けた占星台に。
何千年経っても、何光年離れても、この恋だけは叶えたかった。
目に飛び込むのは、恒星風に帆を張り、光を受けて、真っ青な宇宙を旅する船たち。遠いブルーライト。見送りのファイアワークス。眠ってしまったかのように静かな港。一隻の船が描く光速の軌跡。二千光年の旅。別れ。出会い。
あの海辺で、いつかの東京で、はるかな木星軌道上で。
彼の手を離してしまったことを、何度悔やんだかわからない。
それでも、すべて覚えている。出会った人を。景色を。言葉を。
生まれ変わって、全く別の姿で、再び私から旅立って行く君とのすべてを。
それが約束だから。
私は、その約束を、信じて待ち続けることしかできない。約束の言葉を、諳んじることしかできない。ただ、もう一度会いたい。待ち続けると決めたのだ。灯を絶やすことなく。
たとえ、不可逆的な時の流れの中で、君を失った時代だったとしても。
幾億もの季節が巡っても、春が待ち遠しくて仕方がない。
また会える。必ず。気付いてみせよう。
そして、愛してみせよう。これから何度だって。
04:
3016 Outer Space
われてもすゑに逢はむとぞ思ふ
avengers in sci-fi / Psycho Monday
書き始めてから書き終わるまで2年かかってるんですけど…笑 Disc 4 The Seasonsからすでに6年が経つんですね。機械が心を持ってしまったり、因果が延々とめぐるSFが好きです。エンドゲーム、むちゃ良かったな。
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