自分がされて嬉しいことは相手にもしてあげる
よく聞く言葉ですが、これについて思うことを書きます。
「自分がされて嫌なことは相手にもしない」
これもよく言われますよね。意味は同じです。
私は大学生の時、この言葉を間違って使っていました。
誕生日を祝ってもらうと嬉しいから、友達の誕生日は必ず祝っていました。
頑張ったことに対して賞賛されるととっても嬉しいので、頑張っている人に対して「頑張っているね。〇〇さんのおかげで助かってるわ。」などと言っていました。
一緒にいるのに話に入れないのは寂しいので、話に入れていない子がいれば話しかけたりしていました。
なぜか私は、自分がされて嬉しいことを相手にもしてあげれば、自分も同じようにしてもらえると思っていたのです。
しかし、
さほど誕生日を祝われることもなく、めちゃくちゃ頑張っていてもさほど賞賛もされませんでした。3人でいるときなど、よく話からあぶれて一人ポツンとしていました。
なぜこんなことになるのか。
いつも不満ばかりがたまり、イライラしているのに優しい自分でいなくてはと表に出すこともなく、一人モンモンとしていました。
ほら、私はこんなにみんなの誕生日を祝っているんだから、みんなも私の誕生日を祝ってくれるでしょ?
ほら、私はこんなにみんなのことを労っているんだよ。ちゃんと頑張りを見て認めてあげてるよ。だから私もこともちゃんと見て労ってよ!
私の心は、実はこんなことを思っていたのでした。
それもなんとなく気づいてはいました。
あの頃の私は、とにかく自分の頑張りを認めてほしい。労ってほしい。「よく頑張ったね」って賞賛してほしい。
この承認欲求がかなり強かったのです。
そして、私の出した結論は・・・
「期待してもいいことなんて何もない」
「期待するから苦しいんだ」
「そういうものなんだ」
ひねくれた精神になっていったのでした。
ちょっとでも自分の中に「期待」という気持ちが出てくると
すぐに、無理やり打ち消そうとしていました。
例えば、「この人は期待に応えてくれるんじゃないか」
みたいな時も、心のどこかでは期待する気持ちが高まっているのに
ちょっとでも自分の思うような反応じゃなかったときは
すぐに、「ほらやっぱり期待しちゃダメなんだ」と言って自分を慰めていました。
特に、大切な人であればあるほど、この期待値は高まり、ガッカリ感も半端ないのでした。
特に、今のパートナーと付き合い始めのころなどはそんなことがよくありました。
長年こんな感情を持ち続け、その度に苦しい気持ちになってきました。
なぜこんなことになるのか。
そもそも動機がおかしいのです。
相手のためだと思って行っていても、結局は自分のために行っていたことでした。
なにか行動する時にこの「自分」が乗っかってる時は必ず苦しいのです。
確かに「期待してはいけない」という考えはある意味正しいのかもしれない。
だけど「本当は期待したい」という気持ちを抑え込んで、無理やり「ダメ」という感情で上書きしても、何の解決にもなりません。
私は、「自分への見返りを期待する汚い私」を隠すために
この「自分がされて嬉しいことを相手にもしている」というキレイな言葉で正当化していたのでした。
こうやって文字に起こすと本当に気持ち悪いですねw
苦しい感情があるとき、「自分の心が何をしているのか」をしっかりを把握することで、解決の糸口が見えてくるのでした。
noteに書くことで自分の心が何をしているのかが分かる!
これからも文章はアレだけど少しずつ書いていこうと思います。